地方の視点で日本社会を見る
 今週のゲストは国友林業代表者の国友昭香さんです。国友さんは土木建設業や他の事業も手広く展開されています。数年前から有機栽培の日本茶の栽培にも取り組まれています。
 今日のテーマは「地方の視点で日本社会を見る」でお話を伺います。「郵政民営化」や「市町村合併」「三位一体改革」など、地方切捨ての政策が推進されています。過疎がますます引き起こされ、山間部の荒廃が心配されます。
国友さんはその山間部に基盤があるわけです。林業、建設業、そして新しいプロジェクトとして有機栽培のお茶。それぞれの展望はいかがでしょうか?おかまいない範囲でお話下さい。
 随分古い話になります。わたしが中学生の頃の話です。同級生は当時は「金の卵」と言われていまして、集団就職で都市部に出て行きました。(学生時代や社会人生活を都市で過ごしまして)何10年か経ちまして山に戻りますと地元は本当に過疎化し、高齢化が進行しています。若者が殆どいなくなり、小学校もどんどん廃校になっています。
 山元で生活することがひじょうに厳しいものになっていました。そのなかで私は父がしていました事業を引き継いだわけです。社員が50人います。まだ子育て真っ最中の社員も随分います。そういう社員が山元で生活する手助けをなんとかしたい。私が子どもであった昭和30年代の賑わいが再び山元に来ないかな。というのがライフワークにし、山に対してするべき仕事かなと思って取り組んでいます。
国友昭香さん
 林業だけ、建設業だけ。公共事業も大変厳しい状況におかれています。比重が大きく建設業で
けでなんとか食べていけていました。公共事業の国の予算、県の予算が厳しくなるなかではそれ1本だけでは難しい。やはり安易に社員の首を切らないためには、林業、建設業、お茶の栽培という農業をセットにしまして通年雇用をなんとか続けていきたいと思っています。
 大量消費社会から、足元の環境を見直す社会になりました。地方からの提案が「受けいられる素地」が出来ています。国友さんはどのような構想で提案されようとしていますのでしょうか?
 実は私は阪神大震災に遭遇いたしました。私の時代は都市に出て行くのは当たり前の時代でした。地元に残っているものは片身が狭いかなと言う時代でありました。
 長い都市生活をしまして、阪神大震災のような大災害に遭いますと、人生観が変わります。これからの人としての幸せがどこにあるか。都市生活がいかに脆いものであるか。水の問題、エネルギーの問題など一杯あります。罹災した地域は山も近かったですし、ひどい火災などもありませんでした。1週間目に子どもが幼稚園でしたので高知へ避難するために戻ってきました。
1995年の阪神大震災の様子。写真は神岡俊輔さん提供。
 
 生活を続けること。地球環境的なこと。国際政治上ですねひじょうに危うい問題。そう考えた時に昔のように都市へ、都市へという時代ではないのではないか。自然の豊かな山元で、水の心配も無く、いかなることもあろうとも水というのは大事です。地震に遭ってもそうです。
 水の問題も無く健康に生きられると言うことでは、中山間ほど素晴らしいところはないのではないでしょうか。私は日々それを考えて山元で生活しています。
 ただ生活の糧になる収入。それを何とか得ていく方法をこれから確保していかねばなりません。それが一番大事な問題かなと思っています。
 人間として生きる自然環境や精神的な癒しなどは中山間部は素晴らしいものがあります。それから危機管理上でも中山間部は素晴らしいものがありますね。唯一解体されているのが経済的基盤ですね。それをどうやって再構築するかが問題ですね。
 昔は木炭を売ったり、楮、三椏や木材を売ったりして豊かでしたね。
 資産格差が都市部とはありませんでしたし。山持ちは大金持ちでした。
 私は公共事業をしていますからその立場で申し上げますと、都市部での防災対策にはいくら工事をしても限界があります。大地震でどれくらいの犠牲者と被害が出るのか想像がつきません。それから地球温暖化の影響なのでしょうか大型台風が次々と襲来します。昔は北海道へ台風が行くなど考えられませんでした。
 東京や大阪で時間雨量100ミリという事態になれば、地下街はどうなることでしょう。それに対応した都市設計ではありませんし。

国友さんの会社の応接室にあるテーブル。杉の木で出来ているテーブルです。合板家具を見慣れているので、驚きでした。

こうした家具や家屋など地元の自然と一体となった「総合産業」を国友昭香さんはお茶を中心に考えらrています。

 
 高知市の雨水処理能力は時間雨量が70ミリです。それでも日本最大級です。「98豪雨」はその施設がフル稼働しましたが時間雨量が110ミリでしたので、オーバーフローして浸水したのですから。100ミリなど東京、大阪で対応できませんね。また津波の心配もあります。

 大都市が災害に遭いますと助ける人のほうが多いので、救助活動も困難ですね。
 山間部に人に来てもらう工夫。定住してもらう工夫は必要です。以前番組に出演いただいた山本有二さんは「畑つきの住宅をセカンドハウスとして賃貸したら凄い人気の町があります。」と言われていました。吾北地区には可能性があるのではないでしょうか?
 はい。私は吾北に戻りました時から構想としてあたためているものがあります。定年退職した後に都市生活が長かった人は畑をこしらえたかったり、自然に親しんだかったりする人が多いようです。Uターンといいますか、高知から都市部へ出て行かれた方も退職金をもって高知の山間部へ帰っていただきたい。
 普通の家の売り方ではなく、菜園畑や雑木林のついた住宅ですね。吾北などは土地代が安いです。以前はツボ30円と言われていました。昔父が「130円の豆腐は腐るが、土地は腐らん」と言っていました。今は80円、30円いところもありますね。
 私の造語ですが「セカンドライフハウス」というものが提案できないかと企画中です。
 生垣にはそれこそ山茶を植えます。石垣つきで、都市部の平坦な宅地造成ではない山の景色を生かした造成をしまして、ゆったりとした自然を楽しめるような。しかも安価な家を提供できにかとわが社の自社林を利用して考えています。
 一方で古い民家に住みたいという人は沢山おられます。都市の人と、地方の人をうまくつなぐ方法が必要なのではないのでしょうか?なかなか民家を貸してくれないようですし、なかなか地域の中へ入っていけないという話も聞きますが。。。。
古い民家は人気があります。
棚田づくりのグループも人気です。(中嶋健造さん提供)
 

 集落で努力はされています。現実にもう住む可能性がなくても自分の家を貸したくないというのが地元の現状です。家は閉めてしまいますと10年も持ちません。腐りこんできます。
 そういう都会の人と、地元の人をつなぐ「パイプ役」が出来ないものかと日頃考えています。田舎にいまして時々物足らないと思いますのは、いろんなタイプ人たちと交流が出来ないことと思います。
 人の活性化という部分でも、どんどん人口が減っていく中山間部に外部からいろんなタイプの人が来るようなお手伝いをぜひともさせていただきたいと考えています。
セカンドライフハウスは、1000万円を超えてはいけないと思いますね。オプションでスウェーデンの薪ストーブをつけたらいくら、囲炉裏をつけたらいくらとか。何もなかったら最低コレぐらいの値段とか。
 生垣であるとか、それぞれパーツがあって組んでいくとおいくらになるという仕組みにされるのですね。
 そうです。そういう家屋が増えましたら管理を地元の高齢者の方に委託するようにします。現在お茶に関しましても、余った弊社の人員で茶畑の草引きなどをやる予定でした。今のところは土木のほうも忙しいので、地元の高齢者の人たちを雇ってしています。お小遣いになりますので。喜ばれているようです。