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中嶋健造さん
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昭和37年2月3日 旧伊野町加田生まれ
専門学校を卒業し明治学院大学へ。コンピューター会社に勤務。
経営コンサルタントに。
平成7年
関西勤務をしていたが阪神大震災の1週間前にUターン。
平成14年 西日本科学技術研究所に勤務
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中嶋健造さんとの出会いは、ある日成川順さんの自宅でした。BLOGをしましょうということで、成川さん宅を訪問していたときでした。同じ町内に住む中嶋健造さん。同席しお話を伺いますと、いの町の成山で棚田づくりを仲間達としていますとのこと。「元気者交流会」のメンバーでもあるし。お話に興味を持ちました。
最近農業の見直しや、グリーンツーリズムなどを聞きます。このところ番組でも農業技術の専門家である杉本久典さんや、地域開発に詳しい吉田文彦さんお話も聞いていました。山本有二さんも「高知の田舎に自信を持とう」と言われていました。
この際「実践して楽しんでいる」人の話も聞いてみたいと思っていたところでした。
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私自身は農業体験があまりないので、未知の分野でもあります。ただ出身がいの町であり、現在居住していますので、懸命にお話を聞き取りました。ただ山の活動でも街の人たちとの上手な交流が必要であると思います。そのあたりは他の出演者の皆さんもその交流の必要性をお話されていましたし。
わかりやすい言葉で、収録は順調に進みました。「慣れていないから」とのことでしたが、わかりやすい自分自身の言葉で話されました。
「高知はある意味でバッファーゾーンですね。自然と都市との中間域ですね。境目です。山も海も近いですし。」。それは言えますね。私の場合もヨットをしに夜須の海へは車で30分、工石山(くいしやま)でのハイキングへも30分で到着しますし。ある意味高知県民は自然と親しむことが、手軽に出来る立場にいます。
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「棚田をこしらえていますが、周辺の農地の75%は荒地です。もっと仲間が沢山いればと思いますね。高知出身の人たちがUターンして戻られないかと思います。都会のことも知っているし、高知のこともわかるし。都会にネットワークがありますし。」
「中山間部と都市との繋がりは、ある意味団塊の世代が頑張っていただきたいですね。高知からも沢山の人たちが都市部に行かれています。その人たちとの繋がりをつくりたいですね。」
「具体的には農村民泊の推進をやります。7軒の農家の協力が得られましたし。どんどん都会からUターン、Iターンの人たちが棚田をつくりに来ていただきたいですね。」
いつまでも話は尽きませんでした。
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「自分達は不耕起で米作りをしています。最初は地元の人たちに白い目で見られていました。しかし意外や収穫量も多く、お米も美味しかったです。収穫後地元の人たちにみとめられたようです。田んぼにはどじょうや沢蟹もいますし。様々な生き物も棲んでいますし。」
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中島健造さんの 番組での発言は こちら から |
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中嶋健造さんの ホームページは こちら から |
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