安田純平さんイラク現地報告会(その3) |
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そんなわけで現地の様子を知らないといけないということで、現地へ行っていました。3月中旬からイラクへ行きまして、戦争開始から1周年ということで、街中が厳戒体制になっていますね。 1周年攻撃をしてくるだろう。米軍も物凄く警備していましたし、実際にロケット砲なども打ち込まれていました。 戦闘が広がっていまして、そのなかで発生したのが、前の3人の事件です。まず3月31日に、バクダッドの西にあるファルージャの街で、アメリカ人が4人殺されて、遺体が焼かれ鉄橋に吊るされるという事件がありました。 |
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日本でも結構ニュースになりました。それに対して米軍が街を完全に包囲しまして、報復をしまして、4月にはいりまして、600人以上のイラク人を殺すという状況です。 虐殺状態と。 アメリカ人4人というのは日本では民間人と言われていますが。実際は傭兵で、兵士です。アメリカの戦争というのは「民営化」が進んでいます。 |
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現地へ入ってから、インタビューをして廻るわけです。場合によっては、ジァーナリストと言いながらインタビューをして、その後空爆をするとか。もしくは米軍へ入って捕まえるとか。自ら入って捕まえて、拷問なんかもやっています。
撃ち殺すケースもあるみたいですね。専門家集団という傭兵部隊がイラク中に2万人はいると言われています。民営化というのはもう一方もありまして、米軍の宿営地に物資を運んだり、輸送する。補給部門もやっていますね。 |
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イラクで韓国人やらいろんな外国人が捕まっていますが。米軍の宿営地に物資を運んだ帰りに捕まるんですよ。 企業で言うと、企画・開発部門、専門家部門を専門家に委託。工場の単純労働は、安い労働力にやらせるという具合になっていますね。米軍の戦争というものは。 そういうわけで現地に民間人という事実上の兵士が一杯いるので、そういうなかで、傭兵が捕まって死んだということですね。報復して虐殺しているのです。 |
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あそこの通りはみんな通っています。ヨルダンからバクダッドへ入るには、絶対に通る通りです。そこで捕まるというのは、そういった状況があったからです。その背景をちゃんと見なけばいけないのです。
単純に「危険な場所に行ったからしようがない」と言われましたが、危険な場所にしたのはそういった虐殺状態があってなったわけです。流れをちゃんと見なければいけないのですね。 当時私はバクダッドの市内にいましたので、民間人の意見を聞いてまわりました。 |
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3人に対して同情する意見が多く「申し訳ない」「日本人に申し訳ない」と。「日本の民間人が来て捕まってしまうことに申し訳ない」と「自分らもアメリカの占領には抵抗し、反対しているけれども民間人を捕まえて人質という方法に関しては賛成できない」という意見が凄く多かったです。
捕まりました段階で、3人のなかの女性で高遠さんという女性がイラクで1年以上ボランティアをしているという情報も流れましたので、イラク中で、かれらは民間人ということで同情することが多かったですね。 |
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そういう風に同情する皆さんの横ではマル焦げの車があって、葬式をしているのですよ。家には穴が開いていて。当時は市内も毎晩空爆をしていまして、どかんどかんと響いていました。地域に行って聞いているわけですね。
虐殺状態になっている地域で起きている事件なので、同じように空爆されている地域の皆さんがなんと言うか。意見を聞こうと思って行った。そういう自分達の住んでいる地域で毎日、何人も何10人も死んでいる皆さんが、「ひじょうに申し訳ない」と言い方をしたんですよね。こちらのほうが凄く申し訳ないような気分になってしまいます。 |
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でもなかには厳しい人もいました。 「お前は日本人3人が心配でここへ話しを聞きに来たのか。それは判る。1週間程度で何百人も死んでいるイラク人のことを考えないのか。同じように尊重すべきだろう。日本人のほうが、命の価値が高いのか」と話しをされました。 当時日本でも3人を救おうという運動が凄く広がっているという情報は向こうで、ニュースで見ていました。それはそれだとおもうのですが。現地ではイラク人が死んでいるわけですね。 |
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民間人を殺すのは卑劣であると言うからには、民間人を殺している戦争についてもちゃんとみなければいけないじゃないかと。そういう訳で、ファルージャの情勢をちゃんと見ようということで、情勢の取材に入っていくわけです。
まずはバクダッド方向にファルージァから一般市民が逃げてきていましてますは様子を聞きます。市内のモスクにお墓があり男性が泣いています。ファルージャの町を米軍が包囲をしているので、住民は米軍と交渉して検問を抜けてくるんですけれども、30歳前後の女性と、3歳前後の娘さんが、米軍の検問を抜けて1時間ほど歩いたところで、米軍の戦闘機が上空にやってきて機銃掃射され、死亡したわけです。 |
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埋葬されていまして、男性が泣いていて錯乱状態でした。殆ど無差別かなと言う所です。別の男性は2日前に自分の家の横の家が空爆されて、25人が死亡した。みんなで庭に穴を掘って埋葬した。なんとか生き残って逃げてきたと。
で、町には娘婿が残っていて心配とか。家から出ようとすると米軍がビルを占拠していてそこから狙撃をしてくる。出られないと。当時の情報を見ていますと、ほうぼう結構ビルは占拠されていまして見張っているいわけです。 |
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講演会の様子。会場は満席になりました。臨時の椅子も用意するも足りず、立って講演を聴かれた人も出てこられました。 しかし途中で帰られる人は一人もいませんでした。皆安田純平さんの話しを真剣に聞かれています。 |
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周りを見張っているわけです。ある家のお父さんが家の門から顔を出したら撃ち殺されて。びっくりして子供が寄っていくとまた撃ち殺された。もう動いているものははじから撃ち殺すという状況です。だから家から出られない。家にいると今度は空爆されるということで、どうすればいいんだという話しになりわけですね。
それをしましたのは、沖縄から行っている海兵隊です。沖縄から1600人がその時の包囲戦に参加したということです。日本の私らの税金なども使って訓練したのがあんなふうに発揮されるので、実は凄く身近な存在なのですね。 |
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そんなような証言を聞いているうちになかの激しい状況は想像できる。一方でなかの情報、生の情報が入ってきません。どうしてかというと現地に記者が、報道陣が全然入っていなかったんですよ。捕まるかも知れないからですね。 という訳で、前回も虐殺真っ最中に人質事件発生ですね。今回も完全に包囲して攻撃する寸前に発生しているので、どうも気持ち悪いなと思っています。 ああいう事件がおきますと、外部の目が全然入りませんので、誰も見てみていない場所で、好きなように攻撃できるということで、どうも気持ちが悪いなという気がしています。 |
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3人の件に関しても陰謀説が流れていました。「アメリカ陰謀説」ですね。まあ良く流れるんですよ現地では。そういうわけなんですけれど、なんとか中の様子を見ようと検討しまして、ファルージャの町からバクダッド方向に大勢来ているなかで、まん中付近が、アルクレーブという例の刑務所があるところでして。そこまでは人が来ている。避難してきています。
そこまでは彼らからみても危なくないわけです。アブグレイブ付近であれば、地域住民もそれほど緊張していないだろう。というわけで、入れるのではせいぜいアルグレイブまでだろうという意見を方々から聞きまして、ちょっと行ってみようかと偵察に行ってみようかなとかな。 |
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手前のほうで、逃げてきた住民に意見を聞いてみて次の準備をしようかなと入ったんですけれども。その偵察の段階で捕まってしまうんですね。タクシーで走って行きますと、アググレイブの手前で米軍が閉鎖していまして、地域に入れなくなっています。
へたに近づくと撃って来ますし、捕まりますし、米軍を避けて入って行きますと地元の連中に捕まります。車で走っていますとイラク人の車が割り込んで来て止められて、最初は普通の服なんか着た連中が降りて来まして、「何者か」と聞くので、「記者である」と答えました。「どこまで行くんだ」と聞かれますと「ファルージャ方向に行きたい」言うと、「危ない」と言うのですね。 |
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この先は危ないというのですが、ここで引き返したら取材にはならないので、どこまでならいいのかと話しをしていますと、「そうか米軍のヘリが墜落したから見に来い」とのこのこついて行きますと、罠でして、連中の車が3台くらいわっと来まして、今度は銃を持ってきて10人ぐらいが降りてきて捕まる。というのが今回の流れです。
当時の報道では地元の住民の話しを聞いていれば安全を確保できると言う人もいましたが、地域住民の話しを聞いていたら捕まるわけですよね。というわけで、そんなに甘くなかったわけですよね。 |
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アブグレイブというところは刑務所があるところです。もう何人も取材に行っているんですよ。私が行った前の日も日本人が行っています。よく「情報をちゃんと調べれば、危険も回避できる」という人もいますけれども、情報というのはすべて過去なのです。今ではないのですね。
いくら調べても情勢が変れば、参考にはなっても、瞬間瞬間の、運とか感とかが左右する。情報調べて安全が確保できれば、戦争なんて怖くないですよね。逃げれば良いのですから。 そうじゃないですよ。瞬間で変ってしますので、戦争と言うものはどうしようもないこともあるのです。そういうわけで、運も感も作用しませんでして、どうしようもなくて、連中の車へのっけられて、目隠しをされて移動しました。 |
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15分近く走りましてどこへいくのかなと。どこかの広場や空き地にいったら、嫌だなと思うわけですね。すぐ処刑されそうですし。嫌だなと思い走って行きますと、普通の民家に入りました。絨毯が敷いてありましてそこに親父がいる。横に小学生の息子がいる。 で親父が「お茶もってこい」と言うと、息子がだっと走ってもってくるわけですね。 お盆に載せて。回りからお母ちゃんの声もすると。 要するにそこは普通の生活の場でした。生活の場で小さな息子のいるところで、殴るとか、処刑とはない、と一応安心します。小さな子は他所へ行って喋りますよね。なんか変なのがいると。 |
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平和資料館の金英丸さんや高知大学の学生達も受付で頑張っていただきました。
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当時米軍がファルージャ中心に包囲をしていましたので、地域住民が自治体単位で、自警団をつくって封鎖したんですよ。地域全体が生きるか死ぬかのことをしていますので、入り込む部外者を全部捕まえるわけですね。
まあどちらさんですかと聞いて、日本人とかイタリア人は軍隊を送っていますから、スパイか傭兵だろうと言うことで捕まえるわけです。 |
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先ほど言いましたように「民間人という兵士」がいるので、全部捕まえたという流れなのですね。自治会運動ならば、問答無用で殺すことはないだろう。と一応安心するわけですね。
そういう部分が今回(香田証生さん)と違う部分で、そういうところがなくて、外国人中心ですよね。そういうことも一切なかったでよね。人質になっていないんですよ。私の場合は。でも今回の彼の場合は捕まって、「48時間で殺す」という宣告までされて、日本政府に対して要求する。 |
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そうすると当然日本のなかでも、バッシングが起こるだろうし、家族に対してもあるでしょうし、いろんな面で精神的な圧迫感があったのだろうなと思います。本当に亡くなられるまでも非常に辛かったと思います。想像しまして今回は残念だと思います。
当時私らの場合は、こういうこの特殊な地域に入り込んだから捕まったというのが流れなんですね。それに対して今回の場合は市内のど真ん中で、こういう事件が起きてしまうぐらいに情勢が悪化している。当時バクダッド市内では、みんな普通に出歩いていました。4月ごろはです。 イラクの中の状況が悪いんだ。当時よりも全く悪い状況だということを掴んでいただきたい。 |
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捕まりましてけれど、相手の様子を見ていますと何とかなるなと思いました。しかし日本人なので、スパイ容疑の審査もある。そして移動しました。見つからないように田舎のほうに移動します。普通の農家のようでした。 親父がいまして、3歳の息子がいる。3歳の息子の前で、血を見るような真似はしないだろうと一応安心するのですね。かれらはは見張り役で目の前にいるわけです。 |
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「お前らは何しに来たんだ」と聞くので、「米軍が地域を包囲してイラクの市民をいっぱい殺している。で見に来たんだ。」と言うと「わかった」とクッションを一杯持って来て「寝ろ」とか言うわけですね。 | |
連中は見張り役なので、あんまり英語が話せない。こちらはアラビア語が出来ない。 通訳はすぐ帰されましたので、言葉の会話が通じないですね。普段なら英語の通じない地域は世界中あるので、会話が通じなくても親しくなれば困りません。 |
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しかし今回の場合は相手は、敵意というか、まあ不信感をもっていますので、なかなか冗談を言って笑わすのは続きません。沈黙するとまずいわけですよ。 沈黙というのは、気まずいわけですよ。で、まあ日本でも仲良い人と飲みに行って、盛り上がる。お題もつきて沈黙すると、お開きにします。 |
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今回の場合は、お開きになっても帰してくれませんので、めんどくさいな。つまらないな。なんとかしてくれこいつ。と思うわけですね。飽きられてはいけないのですね。なんとかしてコミュニケーションを続けなくてはいけない。会話のためには道具を使うしかないですね。 | |