焼畑の意義は何ですか?

 今週のゲストは、スローフード高知会長・焼畑による山起しの会会長の上田孝道さんです。今日のテーマは「焼畑の意義は何ですか?」でお話をお聞きします。
 上田さんは現在池川町のほうで焼畑をされるべくグループで活動されています。
最近は国や自治体が、ダイオキシンの問題でしょうが、「野焼き」をしてはいけないような通達を出し、ほぼ野焼きは禁止になりました。焼畑は大丈夫なのでしょうか?
 安易な野焼きであるとか、焚き火などとは「焼畑」は厳然と違います。焼畑と言いますのは、人間の食文化のなかでは最も古い歴史を持った食料生産活動です。それを再現することによって、人類の食料生産手段を考え直そうとということですね。
 それから山というものは、最近は人が諦めるほど価値がなくなりました。しかし都会の人が焼畑に参加するということで、山の価値を皆で考えていこう。山の利用方法が生まれてきます。
高知県旧池川町椿山(つぼやま)地区の焼畑の様子です。火をつけるのも技術です。
 テレビなので熱帯雨林が焼畑農業で森林が伐採され、耕作地になり、またすぐ放棄され、また焼畑の繰り返しで、森林が消滅し、砂漠化していると見たことがありました。
 上田さんたちの焼畑と、どこが異なっているのでしょうか?
 熱帯雨林地帯で繰り返されています森林の伐採、焼畑、開墾ですね。そういうのは大きな資本が経済追求のために、輸出用の穀物とか、商品のコーヒーとか、そういうものを生産するのです。焼畑の歴史のなかった地域に、焼畑をし、化学肥料を大量に投与し、土壌を駄目にして、農作物が取れなくなれば土地を放棄します。そうしますとその土地は二度と元には戻りません
 そういう気候のところで、そういうやりかたですので。森林が砂漠化しているのです。
 日本の焼畑は異なります。日本と言う国は、山をどんなに焼いてもすぐに樹木がはえてきます。砂漠にならない条件が整っています。それは日本のひとつの資源です。
 焼畑の後には種子を撒きます。3〜5年とか蕎麦とかヒエとかそういう植物を栽培します。3〜5年栽培していますと土地がだんだん痩せてきます。耕作をやめます。耕作をやめますとすぐ自然の山に還ります。そうしますと15年〜20年ぐらいは山に還します。焼畑はそれを20年間隔ぐらいで繰り返して行きます。
 自然にはひじょうに優しい食料生産手段です。食料の自給率の低い日本では、みんなで考える価値のある行為であると思いますね。
焼畑の後は、蕎麦やヒエなどの雑穀類の種子を蒔きます。
昔の日本では焼畑は自然にされていたことをお話から理解できました。火を取り扱うため厳しいルールがあったのでしょうか?また今焼畑をする場合は、消防署に届けるとか必要はあるのでしょうか?
 焼畑は火事が最大の課題ですね。焼畑は火を消すという仕事かもしれません。今回の場合も市町村長に焼畑の計画書を提出します。市町村長が消防関係に打診をし、不備があれば指摘、指導を受けることになります。
 それから、焼畑と環境の問題ですが。実は九州の阿蘇山の高原。あそこの景観を維持するために、焼畑が行なわれ、復活しています。それは環境省が支援をしています。阿蘇の草原の文化を重視した活動です。草原のカヤを肥料として農作物をつくるとか、その観光地として守るという大きな意味合いがあります。
 山があれば「野焼き」というのは、日本の山を人間が利用していくためには不可欠な行為なのですね。むしろ上手に活用していくほうが狭い日本の国土では十分な価値があります。
 焼畑は日本各地でなされていたことはわかりました。阿蘇山の話は良く理解することができました。いま復活の動きなどはあるのでしょうか?
 そうですね。食料生産の意義を知ること。都市に近いところで観光的に村起こしとして行われています。

 焼畑の日本の歴史を詳しく伺いました。世界的には焼畑はどうなのでしょうか?
 焼畑の歴史は起源がわかっていません。それほど古いということです。狩猟採集生活から、食料獲得手段として行ったのが焼畑です。ですから人間が何千世代か世代交代をしていますが、焼畑から生産される雑穀によって遺伝子が構成されているように思っています。
 現在でも焼畑は日本でも少なくなりましたが、世界的にはたくさん実施されています。
 日本のなかの焼畑で一番最後まで残りましたのは旧池川町の焼畑です。これは池川町の椿山(つぼやま)ですが、組織的に最後まで行なわれました。私達が椿山で、焼畑をしていますのもそうした焼畑文化の繋がりを求めているからなのですね。
焼畑作業に参加されたメンバー。焼畑による山起こしの会の面々です。(写真は上田孝道さんに提供いただきました
*本文挿入の写真は上田孝道さんに提供いただきました。