富太郎のうた
|
|
今週のゲストは、高知県立牧野植物園学芸職員展示デザイナーの里見和彦さんです。 今日のテーマは「富太郎のうた」でお話を伺います。 牧野富太郎さんは、植物研究だけでなく、多彩な才能に溢れた人のようです。またその人間的な魅力についてもお話を伺います。 絵の才能もあったのではないでしょうか。植物画がありましたが、正確に綺麗に描かれています。写実能力は非凡なものがあったのではないでしょうか?絵の才能もあるのではないでしょうか? |
|
恐るべき絵の才能だと思います。でもおっしゃる通りそれは写実能力です。つまり物を抽象化して表現する絵画能力ではないということです。 植物分類学ではある植物と他の植物との細かな違いを見出して分類します。そこで植物の図を描くことが必要であり、有効な手段だったのです。 牧野博士の植物画のすごいところは、事実の積み重ねによって描かれた図(写実)が、美に昇華しているところです。
牧野博士の唄(うた)にこんなのがあります。 「精密に 見れば見るほど 新事実」 (ヒメノボタンの図) |
|
学歴はなくてもあれだけの業績を生前残せたということは、牧野さんの努力や才能もさることながら、支援者がいたからです。それも牧野富太郎さんの人間的な魅力もあるのではないでしょうか? | |
牧野さんは1人で研究が出来たわけではありません。多くの支援者によって牧野博士の研究は成り立っていました。三菱の岩崎家や神戸の池長家はパトロンの代表です。牧野博士の研究へのひたむきさや無欲な生き方がいろいろな人の心を動かしたのだと思います。 また聞くところによると、博士は人からお金を借りる時もまったく卑屈にならず、堂々と借りるので、貸すほうも気持ちが良かったということです。 |
|
記念館の展示には、牧野富太郎さんの借金の証書や証文が展示されています。いったいどのくらいの借金をしていたのでしょうか?(現在のお金の価値で言いますと) また家族はそのせいでまともな生活をしていたのでしょうか? |
|
ざっと、うん億円というところです。植物分類の研究には本が必要です。それも日本には何冊しかないという貴重な本とか。牧野植物園の牧野文庫には4万5千冊の蔵書が保管されています。 全て貴重な本でして、牧野さんひとりで買い集めました。採集旅行には旅費が要ります。本の出版費も大変だったでしょう。
牧野博士のうたにこんなのがあります。
|
|
(自宅の標本室で。残した標本は50万点。現在は東京都立大学牧野標本館に収蔵されています。) | |
作曲などもされていたようですね。音楽方面の才能もあったのでしょうか?展示館に行きましたら楽譜などもありましたけれども。牧野富太郎さんがこしらえた曲はありますか? | |
作曲はしていないのではないでしょうか。植物画などを見ていましても写実には長けています。創作敢えてやらないような気がします。 でも手書きの楽譜が膨大に残っています。それも印刷のようなきれいな線で書かれいます。作詞は時々していたようです。植物採集行進曲という面白い歌があります。植物園で時々イベントの時歌っています。植物を好きになったら人を愛するようになり、世界は平和で万万歳といった。ビートルズの「愛こそはすべて」のような歌です。 |
|
植物採集は徹底的にされまた分類し研究する。そのことと大きな借金と家庭生活。1人の個人で矛盾せずどこでバランスを保っていたのでしょうか?普通の人では考えられません。 | |
奥さんの存在が大きいと思います。壽衛(すえ)さんが牧野博士をプロデュースしていたのでしょう。表へは出ないのですが。 家のことは妻が、仕事は夫が、夫婦仲良く子供13人ということでしょう。時に悲しいことがありますと壽衛さんところへ行って甘えていたように思いますね。
牧野博士の亡き妻へのうた 「家守りし 妻の恵みや 我が学び、 世の中の あらむ限りや すゑこ笹」 |
|
|
壮年期の富太郎夫妻
|
牧野富太郎さんは借金もつれの生活でも健康だったようですね。同じ借金王の作家石川啄木などは病気ばかりして、早死にしましたけれども。健康の秘訣、ストレスに強かった理由はなんだったのでしょうか? | |
自分が成し遂げなければならないものが明確に見えていたから、すべてがそれに集約されていき、うまいバランスでやり遂げられたのだと思います。
「憂鬱は 花を忘れし 病気なり」牧野富太郎 花が好きならストレスなしということでしょう。
|
|
晩年の牧野富太郎
|
|
* 挿入しています写真は里見和彦さんの承諾を得まして、「牧野富太郎写真集」(編集・発行高知県立牧野植物園)より転載させていただきました。 |
|