牧野富太郎ってどんな人?
 今週のゲストは、高知県立牧野植物園学芸職員展示デザイナーの里見和彦さんです。
今日のテーマは「牧野富太郎ってどんな人?」でお話を伺います。
 日本植物界の巨人で高知の佐川出身の牧野富太郎。高知県民は遠足などで必ず牧野植物園へは行っています。しかし大河ドラマなどになってはいないため、今ひとつその実像がはっきりしていません。
牧野富太郎さんはどのような人だったのでしょうか?
佐川町の出身で学校へも殆ど行かず植物採集に明け暮れていたようなのですが・・。
子ども時代から植物に取り付かれた人なのでしょうか。

 体が弱くてやせてて、いつもひとりで草花を見て遊んでいるような子供だったようです。ものごごころつく前に両親をなくして、おじいさんまでなくされました。おばあさんに大切に育てられたそうです。幼い富太郎には淋しい毎日だったろうと思います。

 富太郎には花が両親であり友達だったのではないでしょうか。でも聞くところによりますと次第に腕白小僧になって親分肌になったと聞いています。

里見和彦さん
 牧野富太郎さんの経歴などを植物園の展示館などで見ますと、独学で植物採集をされることは、大変であったと思います。労力もさることながら、資金的にも大変ではなかったのでしょうか?また学校へ行っていない牧野富太郎さんは学閥社会から差別、迫害を受けたのではないでしょうか?

 牧野先生は自分から小学校を中退(2年生で)します。でもそれまでに高度な教育を佐川の名教館で受けています。学問というのは人に教えられるのものではなく、自ら学び切り開いていくものだということを早くから確信していたのでしょう。


 自叙伝によると、確かに勤めていた大学では迫害のようなことがあったそうです。でもそれは牧野さん側だけの意見なので、実際のところはわかりません。もしあったとしても、そんなことを吹き飛ばすくらいの実力と自信があったので、我関せずといった感じで受け流す「土佐の男」という人物だったと思います。

(20歳の頃の牧野富太郎。なかなかハンサムであったようです。おしゃれだったようですし。)

 植物採集の「オタク」かと思えば結婚もし、子どももこしらえ家庭生活もしています。
 どのような家庭人であったのでしょうか?奥様や子ども達の苦労は大変であったのではないのでしょうか?

 確かに植物オタクをきわめた人です。そして奥さんの壽衛(すえ)さんとの間に子供が13人生まれ、借金は膨らみつづけ、集めた植物標本は45万点、精緻を極めた植物画は植物園にあるだけでも1700点、沖縄県以外は全国を歩き回るなど、なにごとも徹底的にやらないと気がすまない人で、どこをとっても盛りだくさんなツーマッチな一生です。


 奥さんと子供の苦労は大変なものだったでしょう。すべてが牧野さんの研究に集約された家庭といった感じだと思います。親戚の人に聞くと、お子さんたちには厳しくかつ愛嬌のある憎めない父親だったそうです。だから牧野博士は明るいオタク、エネルギッシュなオタクということになります。

子ども達と牧野博士
 牧野富太郎さんは「土佐の偉人の12人」に入っています。里見さんから見られて、どのようなところが「偉人」なのでしょうか?土佐の偉人といえば、坂本龍馬とか山内一豊、長宗我部元親などの人達のなかに牧野富太郎は入っていますけれども・・。

 江戸〜明治という変革期に早々と自らの目標(日本の全植物を調べ上げ世界に発表する)を打ち立て、「俺がやらずに誰がやる」とばかりにそれを自分のアイデンティティーと信じて95歳までまっしぐらにやり遂げた点。

 つらいことも悲しいこともあるのだけど、「そんなのへっちゃらさ」と常に笑顔を絶やさず、都々逸をうたいながら名誉を求めずに生きた点。非常にアナ―キーで無欲な偉人です。生き方がカッコイイと思います。

大笑いされる牧野富太郎博士)

 牧野富太郎さんの業績は限りなくあるのでしょうが、簡単に言えば「何をされた人」なのでしょうか?
 日本の植物を調べ上げ、学名を付け、分類して植物の戸籍台帳を作った人。日本にどのような植物がどこに生えているのかを解き明かした人です。日本の植物の三分の一以上は牧野博士が学名や和名をつけています。植物の名付け親です。
標本をつくる牧野富太郎。
 南方熊楠(みなかたくまぐす)と言う人は粘菌の研究者でしたが、熊野の自然を守るために立ち上がりました。今で言う環境保護運動をされました。牧野富太郎さんもそのような行動はされたのでしょうか?
 南方熊楠と牧野博士も交流がありました。お互いライバル意識をもっていたと思います。牧野博士は熊楠のような自然保護運動はしませんでしたが、明治30年頃から研究発表の時、採取地を細かく記述しないということで、乱獲を防ごうとしました。
 また牧野博士の大きな功績の一つに、全国を回って大衆を指導し、植物趣味を普及したということがあるのですが、講演会や採集会や多くの著作を通して子供から大人までに自然の素晴らしさを説きました。これは人の心に伝える静かな自然保護運動だったと思います。

「牧野富太郎植物記」(中村浩 著)にこんな牧野博士の言葉があります。
 
 人の一生で、自然に親しむということほど有益なことはありません。人間はもともと自然の一員なのですから、自然にとけこんでこそ、はじめて生きている喜びを感ずることができるのだと思います。

  牧野富太郎

砂上にて植物漫談をしています。
* 挿入しています写真は里見和彦さんの承諾を得まして、「牧野富太郎写真集」(編集・発行高知県立牧野植物園)より転載させていただきました。
*牧野博士の紹介(牧野植物園ホームページ)

http://www.makino.or.jp/dr_makino/frame/f_makino.html