僕の仕事〜展示道
 今週のゲストは、高知県立牧野植物園学芸職員展示デザイナーの里見和彦さんです。
今日のテーマは「僕の仕事〜展示道」でお話をお聞きします。
 牧野植物園は五台山と調和して立地しています。先日も県外(北海道在住)の叔母と半日滞在しましたが、飽きることはありませんでした。大変満足したようでした。
里見さんの立場で展示に際して気をつけていることは何でしょうか?
大変わかりやく、見ていて疲れにくい,飽きが来ない展示であると思いました。
そのあたりの苦労があろうと思いますが・・

「テーマを見せるのであって、展示を見せるのではない」ということを心がけています。牧野記念館の展示では牧野さんのやったことをこちらで勝手に解釈してデザイン化したりはしないぞと最初から決めていました。そうしている博物館は結構多いのです。


 見る人が次に何を見たいだろう、ここでどう思うだろう、と考えていってその人の気持ちの流れに沿うものをそこに置く。疲れてきただろう所にイスを置く。眼が疲れてきた頃に少し暗い場所を設けて眼を休めてもらうというリズムを作ってあの空間をこしらえています。

常設展示牧野富太郎の生涯
2月ごろ見ましたのは中国漢方薬の展示でした。「植物園で漢方薬?」と思い入館しました 。植物と薬の関係がひじょうにわかりやすく展示されており、中国との関係も理解することもできました。現地との交渉など大変ではなかったのでしょうか?
 あの企画展のテーマは薬もほとんどは植物なんだよとわかってもらうことにありました。あの時は僕ではなくもうひとりの学芸員が担当しましたが、中国との交渉は園長がやりました。
 アメリカに30年以上いた人なので世界中に人脈がありまして、それを生かした国際的な展示を毎年やっています。3年前のシンガポール植物園展の時は僕が現地に何度か言って交渉しました。貴重な資料をいろいろ借りてきたりしました。中学生程度の英語で何とかなるものですね。ビートルズの歌詞なんかもありましたし、あちらはイギリス人ですので打ち解けましたし。あれでだいぶ自信がつきました。
牧野記念館の展示について伺います。展示の特色は何でしょうか?牧野富太郎さんの部屋を再現したジオラマですか、模型が印象に残っているのですが・・。

 展示の特色は牧野博士の人生の追体験でしょうね。極めてオーソドックスに作っています。バーチャルリアリティーとかの手法なんか使わなくても本物というものは、ただそれだけで何かを伝えるんだよというのがあの展示の特色でしょう。


 牧野という人物が本物だからそれができるんです。あの勉強部屋の再現ジオラマだけでも50人ぐらいの職人さんが関わっています。それこそオタク的人々のコラボレーションで、皆が想像力を働かせてひとりの牧野という人間を浮かび上がらそうとしました。あれはスリリングな体験でした。

(書斎のジオラマです)

 ひとつ気に入っている展示があります。「貧困との戦い」というコーナーですが、すさまじい貧乏生活を実際の資料で展示表現したいと思いました。で、牧野文庫にある牧野博士宛てのはがきを司書に調べてもらったら、住所が30種類もありました。
 家賃が払えずに追い出されて30回以上引っ越してるんです。それを博士の職場であった大学あたりの大正時代の地図の上に落とし込み、そのはがきとともに一枚の額に入れました。東京の借金王マキノの家族大移動の図です。渋谷で4回、大学近くの文京区が殆どで、最後は奥さんがお金を工面して、借地に家を建て、練馬に引っ越しています。
 こういった事実の積み上げによってもうひとつの世界を作って「貧乏」というテーマを伝える。こういう展示が僕の好みの展示デザインなんです。
 里見さんは「日本展示表現研究会」に所属されておられるのでしょうか?どのような団体なのでしょうか?いわゆるディスプレーと言われるものなのでしょうか?
 10年前に結成した研究会でして、僕が会長をやっています。おもに博物館の展示の批評をして、この展示のどこがなぜ面白いかというのを話し合うのが主旨です。展示というものが一つの表現手段として認められるようになればと考えています。
 僕が今まで見てきた展示で印象に残っているのは15年ほど前に東京の新橋の駅構内でやった「イタリアデザイン展」(クレアティヴィタリア)という展示会で、ガエターノ・ベッシェという建築家が設計しました。広いテントの中でイタリアの生活文化をさまざまな家具や道具で見せるのですが、その中にさまざまなデザインのイスの展示がありました。10個ぐらいのイスが丸いステージの上に円形にちょうど時計の表示板のように置かれていました。
 そして背もたれを円の外側に、つまりイスをそれぞれ内側に向けて置いているのです。来場者がそれぞれステージに上り、イスをさわり、座ってみたりします。僕も座ってみました。で、ふと前のほうを見ると、ちょうど前のイスに座っている人と目が合いました。お互いちょっと恥ずかしくて、ふふふと笑いあいました。こんなほのぼのとした一瞬は、イスを外に向けて配置していては生まれません。設計家は思わぬコミュニケーションを生み出す展示デザインを意図してこの置き方を考えたのだと思います。
 これは展示デザインだ。展示が展示になった瞬間だと思いました。
 たったこれだけのことですが、僕にとってはいつまでも忘れられない展示であって、僕の一生を左右するぐらいの意味を持った展示でした。
 僕は展示というものに、平和をもたらすものという意味を見出しています。他者を理解する手助けをするものが展示でありコミュニケーションを促進させるハッピーなものが僕にとっての展示です。そんな展示を求めて歩き回り、あるときは自分でデザインしていくそれが僕の展示道です。
里見和彦さん
 現在愛知万博が開催されています。パビリオンは展示館と言われています。博覧会の展示と、植物園との展示の違いはあるのでしょうか?
 まったく同じだと思います。’1970年の万博は「人類の進歩と調和」というテーマをいかに伝えるかという目標に向かって展示デザインがされました。牧野富太郎記念館では牧野博士の人生を通して植物とともに生きることの喜びを伝えようとしています。あるテーマに向かって展示表現を駆使するという点では変わりはありません。
 牧野植物園の企画展示では年4〜5回植物に関する展示をしています。人と植物のつながりをいろいろな面からとらえてどういうふうに見せようかと一年中考えています。それを考えるのが僕の喜びで、牧野さんには花、僕には展示が生きがいです。
 

 牧野さんはこう唄いました「花あればこそ 吾れも在り」


 僕はこう唄います「展示あればこそ 吾れも在り」です。

* 挿入しています写真は里見和彦さんの承諾を得まして、「牧野富太郎写真集」(編集・発行高知県立牧野植物園)より転載させていただきました。
 展示館の最後には植物の花の模型や、花粉の模型があります。立体のジクソーパズルのようにバラして、組み立ててといい大人が真剣な表情でしています。誰もが手を伸ばす展示です。