歴史と文化を大切にするまちづくりを
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今週のゲストは夜須町長の清藤真司さんです。今日のテーマは「歴史と文化を大切にするまちづくりを」です。夜須町が町政施行されたのは昭和18年(1943年)でした。60年前のことです。 350年前に土佐藩の家老である野中兼山により、手結港が掘割式で建設されました。一揆になるという理由で禁止されていた盆踊りも、手結地区だけは認可されていました。 古い歴史と文化があります。 伝統の手結盆踊り。踊り手は町内有志の努力で伝統は保持されています。以前番組へ出演していただきました商工会副会長の丸岡克典さんによれば、「唄い」 の人を早急に養成しなければならないと伺いましたが・・・。 |
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唄い」の方の後継者づくりは必要です。来年には手を打たねばなりません。私は現在38歳ですが、小さい時から盆踊りには親しんできました。町民皆が親しんでいるお祭りです。 現状は町の補助がつぎ込まれています。町村合併になってしまえば、従来どうりに行きませんので何らかの「受け皿」が必要です。「おらが町の祭り」として自立し、単独でも祭りができるしくみづくりが来年あたりにこしらえる必要性があります。 |
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よさこい踊りが今年50年だと言っていますが、手結の盆踊りは350年の伝統ですからね。大変な伝統ですね。阿波踊りに匹敵する文化と伝統だと思います。そうであるから、 高知国体の折も、天皇皇后両陛下の前で奉納された伝統の踊りです。伝統を大切に継承するしくみはしっかり機能はされなければいけないと、私も県民として思います。 |
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先日町民運動会がありました。わたしも1選手として出ていました。そのなかで手結の盆踊りを踊るという種目がありました。それこそ老若男女がみん踊っていました。踊れる人は多いですね。参加の機会が多くなれば、伝統の盆踊りも継承されていくと思います。 |
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卑近な話ですが、学生時代東京の世田谷に住んでいました。町民祭がありまして、踊りもありましたが、そこで踊られているのは炭坑節なんかでした。実に空しいものでした。350年の伝統を大切にすべきであると思いますね。県下各地でもその地域の祭りが衰え、よさこい祭りになっています。あれはいかがなものかと思いますね。 私も実家が伊野町ですので、大国様の手伝いを3年前にしたことがありました。世話役が地区に50年一回か回ってくるらしいしきたりでした。そういうのは良いと思いますよ。 町村合併になるかどうかわかりませんが、夜須の人が、一番自己主張できる「道具」であると思いますね。国際的にも通用します。手結盆踊りは、4部構成になっていまして、見ごたえがありましから。大事にしていただきたいですね。 |
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手結盆踊りの様子。8月15日に開催。最近はヤ・シーパークで開催されています。
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マイナスに最近働いていますのは、ヤ・シーパークで開催されるようになりまして、大勢の人達が来るようになりました。そうしますとかえって町内の人は「ケーブルテレビで見る」とか言って出てこない人が多いのが心配ですね。 |
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新しい文化事業として数年前から「コンコード・ジャズフェスティバル」がマリンホールで開催されています。町民総出で歓迎する雰囲気になっていただきたいです。 |
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そのとうりだ思います。来年このマリンホールが出来て20周年になります。その目玉としてこのコンコードジャズフェスティバルをという思いがあります。そこでせっかく世界に誇るコンサートが見れるわけですから、夜須町の学生たちに「総見」としてみんなに見ていただくことも計画しています。 公民館の事業だからと教育委員会だけが、関わりを持つのではなく、町全体の取り組みにしたいと思っています。PTAとか公民館活動を活用したいです。もちろん大人にも見ていただきたいと思っています。 |
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スケールが夜須町と違うので比較は難しいところがあります。モデルは、神奈川県の鎌倉市、逗子市、葉山町ではないでしょうか。 風光明媚で、海があり、山があり、ヨットも浮かんでいます。夜須にロケーションが似ている部分があります。また文化人が多数居住しています。鎌倉市などでは、「道路建設などしなくていい」と市民が言っています。「よそ者が多く車で来るために文化財や、自然を壊してまで作る必要はない」と言っています。でも年間2000万人が出ています。研究されるべきでしょう。 |
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夜須町北部にある禅寺の長谷寺。 芝藤敏彦さんも休日にはヨットの後、瞑想をされるとか。 |
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高知工科大学の学長を始め数名大学関係者が夜須町に居住されています。夜須町に手結山という地区があります。国道から少し北へ入った丘陵ですが、ここからは海が見渡すことが出来まして抜群の景観です。そうしたところに学識経験者がお住まいになっています。 また夜須町は漫画家の故横山隆一さんが名誉町民です。横山さんのお住まいされた自宅が鎌倉にあります。その建物をそのまま夜須町へもってくることの話があります。漫画家の皆様にも来て頂きます。そうなりますと有形無形の財産になると思います。文化人にも多く居住していただくことが、町の有形無形の財産にもなります。一朝一夕には難しいですが、そういう方面の「営業」もしていきたいと思います。 |
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