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海にまつわるネットワークについて
   

 今日は「海にまつわるネットワークについて」お話をします。
 今では年中休日には大勢の人で賑わうヤ・シーパーク。1985年頃には、道路から海岸までは50メートル足らずで、何も無い海岸でした。ただ、波が立てばサーフィンを行ない、風が吹けばヨットができる珍しい海岸ではありました。1987年のマリンタウン計画の発表から動きは起こり、米国視察も有志で行ない、セミナーなども開催しました。
 前向きの良い意味での「海にまつわるネットワーク」がうまく機能した例だと思います

* ヨットも昨年国体競技では大成功。問題は国体後の施設の活用です。
  ヤ・シーパークもまだまだ活用される可能性もありますし。海を夏の間だけでなく、
  フルシーズン活用できる空間にしたいと思います

 
1)当初マリンタウン計画では、主体が大手の浜でのマリーナでした。北西の風が吹きつける11月から 3月までの着岸は難しく、外洋の大波を防波堤でしのぐのは不可能との見解を出しました。平成七年に採算面からマリーナ計画は凍結されました。
2)むしろ夜須海岸主体の計画を出しました。海水浴場と共存するためにヨット用のスロープも提案しました。
3)海のイベントを盛んにするため1988年にヨットレースである「スプリング・カップ」を開催しました。1989年には「中学生のためのヨット教室」を開催しました。
 1990年には「マリンフェスティバルやす」を企画運営しました。むろんわたし1人がしたのではなく、関係者各位の「ネットワーク」が良い方向に機能したからです。
 
* ヤ・シーパークですが、設計は大阪府立大学造園工学の稲田氏です。あの椰子は高知駅前から移植したものです。シンガポールのガーディンシティを設計した本物の造園設計士がしたものです。
* その設計のなかに長さ500mのボードウォークは、一緒に米国西海岸を見学した
  夜須町の丸岡克典氏の発案です。完成後は評判がよく、皆に活用されています。
 
* 西海岸のラグナビーチでしょうか、芝生と椰子の木、ボードウォークと従来の日本の
  海水浴場にはない雰囲気のビーチ風景をこしらえたのです。
 
 
 
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