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猪野伸一さん
猪野伸一さん 昭和24年6月高知市生まれ

昭和48年3月 中央大学商学部卒業

昭和48年4月 高知市役所入庁

平成2年3月  高知市役所退職

草悦流副家元

フラワーショップ花樹開店


平成9年   草悦流家元継承 現在に至る。

 
 猪野伸一さんとの出会いは、1986年でした。当時高知青年会議所に入会して2年目の私。翌年は理事委員長が決まっていました。「高知市を考える委員会」委員長になり、当時高知市役所企画課におられた猪野さんをお訪ねしました。

「高知市はなにかと難しい。その前に小さな自治体で成功事例をこしらえたら」との助言をいただきました。それで委員会名称を「高知の海とまちを愛する委員会」に変更し、夜須町で展開されるマリンタウン計画に関わるように方針変更しました。翌年夜須町での合宿研修会には猪野さんも参加いただきました。

 1987年のこの委員会は安岡正博さんにも講師をしていただき、また夜須町の丸岡克典さんや、当時商工会の竹内隆志さんらとアメリカ研修旅行も企画しました。
 1990年に猪野さんに取り次いでいただき、高知市長「当時は横山龍雄市長)と高知青年会議所との定期懇談会を実施するようにもなりました。その年に管理職を目の前にして退職され家元を継がれました。

「お花の家元の収入で大学まで行かせていただいたのだから、家元を継ぐことには何の抵抗もありませんでした。」との事でした。企画課の前途ある中堅職員の退職でしたので、周囲は驚いていました。
最近の高知市役所の不祥事にも心を痛められています。

「原点に返って、包み隠さす市長いかがすべてを市民の前にさらけだすことが大事。市職員は市民に対する奉仕者であることを忘れてはいけないと思います」とも。

 「元旦以外はそれ以後休んだことはない」猪野さん。私も一度だけホテルでの結婚式の花の搬入をお手伝いしたことがありますが、鉢が沢山あり、それを会場に搬入しました。それから会場内でテーブルごとや、新郎新婦のテーブルに活ける仕事。なかなかの重労働ではありました。むろん式が式が終われば、撤収作業も迅速にしなければなりません。

 かれこれ20年のお付き合いになります。あらためて生け花の歴史や文化的背景を聞きますと、日本の壮大な歴史そのものであることを感じました。

猪野伸一さんの番組での発言はこちらから
 
 
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