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黄英信(ファン・ヨン・シン)さん
黄英信さん 1944年2月  日本国宮崎県延岡市生まれの 在日2世
高知県佐川町立佐川中学校卒 松山市私立金亀学園(技術専門学校)
 故郷 慶尚南道 威安郡 郡北面 慕老里

1962年10月 朝鮮総聯近畿学院修講(1ヶ月)
 このときまでは、自分がただ単に「朝鮮人」と言うことを知っているだけで、民族の言葉も歴史も知らず、民族運動にも何ら関心を持たず過ごしていた時期。あるきっかけで、この1ヶ月の講習に参加し初めて、ハングルと基礎的な民族の歴史に接する。同時に、同じ民族の青年だけの集団生活を体験。何か精神的安心感を感じる。
 その後「在日本朝鮮青年同盟県本部」に出入りしながら、ハングルの勉強や組織の運動へ初歩的な知識、理解を持つ

1963年9月 朝鮮総聯 中央学院修講(3ヶ月)
 この年3月から「在日本朝鮮青年同盟県本部」で青年同盟の活動に従事。民族の歴史、文化や活動上求められる資質の取得に努める。 終了後、青年同盟本部役員として活動。

1968年11月 朝鮮総聯 中央学院修講(7ヶ月)
 在日本朝鮮青年同盟県本部委員長(1967・6)に就任、職務能力の為修講。

1973年10月 朝鮮総聯 中央学院修講(3ヶ月)
 青年同盟の役を引き、1971年3月から在日本朝鮮人総聯合会県本部役員として、県内での同胞の生活と権利の擁護、祖国統一に貢献する運動、日本各階層の人達との相互理解と友好親善を深める運動等に携わる。

1992年6月 在日本朝鮮人総聯合会高知県本部委員長に就任。現在に至る

 
 朝鮮総聯高知県本部は、高知シティFMのすぐ近くにあります。今までは全くつながりはありませんでした。「日本人拉致問題や」「核問題」で朝鮮半島問題がある面脚光を浴びていましたが、今ひとつ理解できませんでした。

 面識もコネクションもありませんので、「番組出演のお願い」の手紙を書き、会館前のポストに投函していました。1週間後に黄英信さんから電話がありました。「一度会いましょう」ということになり、番組趣旨を書いたものと、質問趣旨を書いたものを持参し、朝鮮会館を訪れました。

 
黄英信さんとは直接面談は初めてでした。お互い「相互理解が必要」ということで理解いただき、ご多忙ななか出演いただきました。

 「拉致問題」や「核問題ばかりの取り上げ方をマスメディアはします。その背景にある問題や歴史を決して取り上げようとしません」と温和に語られました。

 
「朝・日両国の友好親善を願い同胞の生活と権利を守るため当然の運動をしているにもかかわらず、破壊活動防止法適用容疑団体と指定され、未だに日本の公安、警察当局に監視の下での活動を余儀されています」と言われました。

 日本と朝鮮民主主義人民共和国の「架け橋」の存在であると対談を終えて思いました。

 
 
黄英信(フォン・ヨン・シン)さんの番組での 発言はこちらから
 
関連ホームページは こちらから http://www.chongryon.com/index-j.htm
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