2004年出直し高知県知事選挙の総括
 
 高知市の1市民に過ぎないけんちゃんが、2004年11月28日に投票され、現職の橋本大二郎さんが、松尾徹人氏を破り、5選されました。
 地元新聞政治部記者の「インサイダー情報」や「ためにする」論調ではなく、生活の現場にいる市民としての感想を述べたいと思います。

 2004年高知県知事選挙の立候補者のポスター。選挙戦後半になりますと、松尾徹人陣営は、このポスターを黄色をベースにしたものに張り替えました。

 それだけ「組織」の力を誇示する戦略でした。

 
2003年の高知県知事選挙との相違点とは
 
 橋本大二郎さんの「ブランド力」は健在であり、2003年高知県知事選挙を論評した「2003年高知県知事選挙を総括しました」と構造的には大きな変化は見られません。
 ただいくつかの点では異なっていました。
 
1)自民党中軸で勢力を誇っていた実兄の橋本龍太郎氏が、歯科医師会からの「1億円政治資金疑惑」で窮地に陥り、政界からの引退を余儀なくされたことです。橋本大二郎さんの自民党本部への影響力は、とりあえずなくなった形になりました。

 それゆえ選挙戦後半武部幹事長が、2日間も高知に張り付き、従来型の「組織締め付け選挙」を展開しました。自民党の衆参議員、閣僚が70人も応援に来られたことも異例です。

11月27日の松尾徹人さんの最後の街頭演説(マイク収め)の様子。組織に動員されたような人達が目立っていました。
 
2)公明党が対立候補に、投票日直前に肩入れしました

 これも中央での連立効果と、「橋本派の影響力喪失」の効果でしょうが、実質「自主投票」であったはずの創価学会が、投票日前日に指令が出まして、松尾徹人さん指示に回りました。公明投票はこれにより、7対3ぐらいで,松尾徹人さんに厚めに出ました。
 橋本大二郎さんは、昨年より得票数を約1万票減らしています。そっくり公明票が「移転した」と考えれば、理解は簡単です。

 
3)原点に戻り、橋本大二郎さんも必死でした

 いわゆる父親と、兄の「橋本ブランド」に陰りが出て、自民党と公明党という政権政党を相手に、選挙戦になりました。これは13年前の第1回の選挙より過酷でした。
 しかし昨年同様に、自民党、民主党、連合などの組織は2分され、効果は「相対化」しています。党中央が明確に相手候補支持を決定したため、資金は投与されますので、当事者としてはきつい戦いであったと思います。

11月27日最終日の橋本大二郎さん。支持者はてんでんばらばらの草の根」市民が主体でした。
 
 でも県民相手に辻立ちし、演説する橋本大二郎さんは迫力と説得力がありました。演説後支持者と精力的に握手をして回る橋本大二郎さんは、元気そのもので、本当にこの人は「選挙好き」「政治が好きなのだ」と思いました。

 街頭演説、辻立ちで大衆を立ち止まらせる政治家は数は少ないです。ライブで聞くに耐える演奏家が少ないと同様に。橋本大二郎氏は数少ない、ライブが出来る政治家です。

 本気で「住民力」を活用し、高知県政を運営していただきたい

 選挙中に何度も言われていた「住民力」。今のところ実態がないため、メディアにも「?」と言われていました。従来の支持者である「草の根」が、多くは「橋本ブランド信仰者」であったことは否めないでしょう。

 
  
公共財としてフル活用いたしましょう

 しかしそのブランドが「地に落ちた今」、本当の意味の「草の根」で、高知県政を橋本大二郎さんは再建することが出来るのか。それがこれからの課題です。
 また高知県民も、足を引っ張るのではなく、この橋本大二郎さんの「ネットワーク力」や「広範な人脈」を「公共財」として、「高知県民のために」フル活用すべきです。

 橋本大二郎さんを誹謗中傷していた政党や労組幹部は、政治的なけじめをつけ、さっさと政治の世界から退場すべきです。

(参考) 2003年の高知県知事選挙を総括してみました。 (構造はほぼ同じですので)