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   けんちゃんの吠えるウォッチング
      メールマガジン版 27号 
        2003・11・08
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          無党派とノンセクトとの違いは?

 9日の総選挙の動向を決まるのは、「無党派層」と言われている。高知県地方は、30日に高知県知事選挙と、高知市長選挙があり、「選挙。選挙。選挙」の11月である。
 こちらも「無党派層」の動向次第だと言われている。そうなのだろうか?
メディアがおだてていても結局「無党派層」は選挙に行かないと思う。あるベテラン議員は「国民は選挙疲れで投票に行かないのではないのだろうか?投票率が50%台だと,小選挙区では自民党が圧勝だろうから。先日の埼玉補欠選挙の投票率は20%台。都市部に無党派層は多いが、多くは選挙に行きませんからね。」とのこと。

 一方「ノンセクト」という言葉は30年以上前に使用されていた。「党派ではない」という運動体をさしていたようだ。1970年前後に全国各地の大学や高校で学生運動が盛り上がった。大学自治会を基盤とする全学連とは違う組織体で、全学共闘会議を名乗っていた。ノンセクトの学生が主体であったようだ。
 そのあたりは、「1968年全共闘であった時代」のサイトに詳しく記述されている。

 http://www1.quolia.com/kt_yamamoto/index.html

 運動に前向きにかかわり、現実的な対応をしたのが当時のノンセクトの活動ではなかったのだろうか。「ノンセクトラジカル」という言葉も記憶している。
 党派は各学園の運動に介入し、組織の拡大を図るため、闘争を闇雲に拡大し、時に無意味な破壊活動も行った。過激さを装うことで、「革命性」を偽装していたのだろう。1969年の全国全共闘集会は、さながら新左翼党派の動員集会であり、その時点で全共闘運動の良さは消え去り、党派に敗北したのではないか。民青や革マル派を追放し、その他の党派はOKという根拠事態がおかしいからである。
 
 それから34年。「無党派」と言う言葉は意味を変え、膨大な「支持政党なし」層を一括して総称されるようになった。政治に関心のある無党派層は少数だ。多くは選挙には無関心であり、棄権するのが殆どである。2003年の総選挙も11月9日が投票日。投票率がすべてを説明するだろう。
 多分この選挙では「政権交代」はないだろう。決着は来年7月の参議院選挙になる。それまではいろんな政治的混乱が、国民不在で引き起こされるのではないだろうか。

              高知県政と高知市政

 9日に衆議院選挙が終わると、13日は高知県知事選挙の公示。各陣営の候補者の顔写真入りのチラシ、後援会勧誘のパンフなどが配布できるのは、10日、11日、12日の3日間のみ。県知事選挙、高知市長選挙にエントリーしている4人も、いずれも無所属であるから、公示後は、顔写真入りのポスターなども全く街頭に貼れない。
 主たる情報源が、地元新聞に偏る。これは大変危険。なぜなら、中立性を装うだけに実に危険なメディアではある。事実9年前の高知市長選挙では、露骨に特定候補者を支持の記事を掲載していた。
 今回も同様の候補者と側近しか知らない「インサイダー情報」を垂れ流している。高知県、高知市の大変な問題、政策の選択の可否を詳細な報道をせず、「噂話」の域を出ないことをことさら書き立てている。最近の大衆は「あぞとい」内幕暴露記事には乗らないと思う。でも影響力が大きいから、かなりの県民は影響されるだろう。
 今回「政策論争が」戦わさないで、「好き嫌い」選択になる可能性がある。それが一番危険である。まあ高知県地方は9日の衆議院選挙が終了するやいなや、舞台装置は県知事選挙一色になる。高知市長選挙がそのなかに埋没するのではないか。4年後も同じ年の選挙になるので、そのあたりも心配である。

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2002年3月1日