人生の目的とは何だろう?

個人的なお話で恐縮です。先週の金曜日に叔父が亡くなった。91歳でした。通夜は当日、葬儀は翌日の土曜日。息子たちは多くは県外へ出ていることもあり、初七日も49日も一緒に葬儀当日に行うハードな日程。


会社勤めを引退したのは30年前。名士でも、会社の役員や議員でもないので、参列した人数は少数だった。葬儀は1時間足らずで終了。火葬場へ親族で向かう。待ち時間の間久しぶりに親族同士での会話が弾む。

叔父は農家に生まれた。当時としては珍しく1人息子だったらしい。父親がブラジル開拓民として移民するも多額の借金を抱えて帰国。叔父は父親の借金を返済しながらの勤労者の生活のスタートだったらしい。

同郷の人が関西で大きな金属機械メーカーにいたこともあり、「引いて」もらい就職。叔母と知り合い結婚。3人の息子をもうける。自身が学歴がなかったこともあり、窮屈な家計の中から学資を出し、叔母もアルバイトをし、息子3人には教育を着けた。

1人は教員、1人は自治体の研究員、1人は自治体職員になった。子供らが成人しても簡素な生活は変わらず、仕事と農作業に明け暮れていた。やがて父親の借金を返済した。
叔父は口癖に「俺は年金がまあまあ良いから長生きしないと損だからな」と言っていた。

そして91歳まで生きた。火葬場で叔父の骨を拾う。骨太だった。係員が「立派な骨です」と言う。叔父は平凡な人生かもしれないが、「立派な人生」だった。

昔の勤勉な日本人そのものだった。朝から晩まで働いていた。愚痴を言わなかった。喧嘩の仲裁もし、お酒は好きだったが、お酒に飲まれることもなかった。家庭も円満だった。叔母も負けないほどの働き者だった。

贅沢をせず、知らず、懸命に働き、誰にも迷惑をかけない人生。ひるがえって私の人生。父のこしらえた借金に恨み事を言っていた。叔父のような懸命さが足りないのだ。昔の日本人を見習い賢明に明日から働こうと思う。

有事関連法案がいつのまにか成立

なにかこちらの私生活もあわただしい間に、「有事関連法案」が成立した。詳しく内容を検討できない状態である。新聞を読んだだけではわからない。総じて新聞は進歩派ぶるから、本質が見えない場合がある。

教科書問題でもそうだが、瞬時に韓国政府や、中国政府がコメントを出せるのだろうか?まるで「内通者」が日本にいるようだ。このことも良くわからない。

わからないうちにイラク戦争も終結。米国主導で中東和平も進展。北朝鮮の旅客船は出航を取りやめたとか。日本政府が本気になれば、事態を改善できる見本だ。あまりにも北朝鮮を甘やかし、追随者が各地に居すぎた。結果国民全体が北朝鮮の脅威を意識した。

きちんと物事を説明できるように、整理しなければならないと思う。


 あなたは

 人目のゲストです

2002年3月1日