(笑い声を挿入するのはやめろ)
民放テレビのバラエティ番組を見ていて腹の立つ事がひとつある。 それは録音された「笑い声」の挿入である。バラエティ・タレント同士の「掛け合い話」は殆ど彼ら芸人仲間うちの出来事と話題。関係ないものを笑わすパワーもなにもない。
おおげさな動作と「挿入された笑い声」で、番組づくりをしている。じつに安易ではないか。
自分らが子供の時代、ドリフターズが全盛期であった。「全員集合」という番組は、PTAから「俗悪番組」と認定されるだけのパワーがあった。あのどたばたコントは、アドリブではなくちゃんとシナリオがあり、事前に練習をしていたという話を最近知った。大変な労力ではないだろうか。
お笑い業界のスーパースターと言えば、たけし、さんま、所ジョージ、タモリだろうか。彼らは話術があるし、司会者としても巧みである。それ以外のお笑い業界は芸などあるのだろうか。
「ウッチャンナンチャン」とか「ナインティナイン」、若手の「ネプチューン」など笑い声の挿入がなければ、人様を笑わす力があるのだろうか。そうは思えない。
(笑いは厳しいサバイバルそのもの)
23年前に大阪で勤務していた時代の頃、当時存在していた「なんば花月」へ友人と言ったことがある。そこは、通称「釜が崎」にも近く、仕事を終えた労務者風の中年の親父が、来場していたこともあった。
空席の目立つ観客席。二列目で足を前席の背もたれに投げ出している労務者風の親父。舞台では漫才を若手芸人がやっていた。全然面白くない話だった。すると足を投げ出している親父が叫んだ。「おめえら、気合入れて漫才やらんか。おもろなかったら入場料返せ」
会場全体に響く声だった。そのあと年配の奇術をやる男性もののしられた。落語も「全然おもろないぜ」と切り捨てられる。なかなかきびしい市井の評論家がいたものだ。
今はスターになっているレッツゴー三匹も、そこの場末のステージに立っていたとか。客にののしられながら這い上がったんやと、吉本喜劇に詳しい友人は当時解説してくれた。
安着にテレビに出るな。笑い声の挿入は芸人を堕落させる。バラエティ番組を見るたびに、友人といった場末の花月を思い出してしまう。
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