高知市民の「市民力」はどれくらい?
今日のテーマは「高知市民の”市民力”はどれくらい?」です。 IMIDASU2003に掲載されていた言葉です。それによりますとアメリカの社会学者アーンスタイン住民参加の段階を8段階に分けています。下から「1)あやつり、2)セラピー3)お知らせ、4)意見徴収、5)懐柔、6)パートナーシップ、7)住民への権限委譲、8)住民自治の段階があります。6〜8段階が真の意味での市民参加です。
高知市も「まちづくり一緒にやろう条例」案が提出されようとしています。市民の意見を集約し。3月の市議会に条例案を提出するということです。高知市の「市民力」はどの段階に来ているのでしょうか?
1)文面自身はもっともらしい体裁を保っています。この条例案は、私も市民運動やNPOの活動もあいていますが、昨年末の「あかるいまち12月」に掲載されるまで、全く知りませんでした。
2)それだけ広がりのない運動だと思います。第一それを3月市議会に条例で出すのは、性急過ぎるようにも思えます。市民力段階では「3)お知らせ、4)意見徴収」の段階に過ぎません。
3)資料によると一昨年から市民11人と市側6人の委員が審議し、議論した成果をまとめたようです。字面は良いですが、「本当に市民参加が保障されるのか」は不明です。
*不思議なことに、私は青年会議所の時代から、高知市のそうした委員になったことがありません。国とか県の委員会、最近は本籍のある伊野町の委員もしています。高知市の事情はわかりかねます。
*高知市の「市民力」を客観的に図る必要があります。内容を読んだ限りでは「まちづくり一緒にやろう条例」は市民参加を保障する内容ではないと思われます。作らないよりは、作るほうがましだ程度です。
*その証拠に「かるぽーと」のような無駄な公共物をこしらえた市民力があります。箱物づくりばかりして、また上町に龍馬生誕記念館をこしらえようとしています。箱物行政と決別なしに「市民参加」があろうはずがありません。
*1992年に私は高知青年会議所時代に「都市再開発セミナー」を主催しました。その折 「都市開発を考える」(岩波新書・大野輝之著)の大野氏に東京で会い話を聞きました。市民には権利主張ばかりでなく、義務もあるのだと言われていました。
* 「市民力」は自主管理し、市民が都市を経営する力量を言います。行政は社会サービスシステムのひとつですが、市民自身にその能力が問われます。市役所に文句ばかり言って、何も管理的な仕事をしないならば、それは市民の資格はありません。
*「市民力」判定すれば、高知市民の「市民力」は「表明的意見聴取」と「懐柔策」(形式的参加機会段階)でしょう。一応目標がパートナーシップだそうですが、全然その段階にはありません。行政側の情報公開と一体になっていなければ、ワークショップも空しいものです。
高知市民も自由民権の経験を語るなら、市役所と一体となるべきです。
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