安田純平さん講演会 その3
 
 それから今回キルクークという町にもいきました、これはこちらの高知新聞の記事にもありますが、治安が悪くなっています。
 キルクークから帰ってくるときにタクシーの運転手が、「クルド地域に来るのはいいけれどキリクークへ来るなよ」と言いました。
 わたしの運転手は警察官で、そのひとの親戚は役員の人だったので、運転手兼ボディガードでした。この渋滞などに巻き込まれますと、どこそこは危ないからだめとか、ひじょうに自然に行けました。

 ここでこれという写真が出せなくて申し訳ないです。その中で、治安が安定していたので、ハナブジャへ行きました。
 このへんですね。クルド地域でイラン国境に近いところです。
 有名な町ですね。1980年に化学兵器が使われたということで、5000人がそのとき死亡したと言われています。
 思い出しますとわたしが中学生時代のときでしょうか化学兵器で殺された人達の死体が写る映像でした。
 でフセイン政権が崩壊して、裁判が始まりました。裁判の中で、ハナブジャの問題も扱われるでしょう。一般的にはサダム・フセインが使用したと言われていますので、そのとき裁かれるのではないでしょうか。
 せっかくなので行ける様なら行ってみようと行ってみました。看板がありました。記念館がありました。広島の記念館を意識しているのかなと思いました。被害者の人形とか、赤ちゃん抱いた女の人が倒れている人形とか、並んでいます。

師走前で、しかもPRも十分とは言えませんでしたが、大勢の市民の皆さんが参加いただきました。

受付左側では「覆面」にもなる「武装勢力スカーフ」も置いてあります。

 写真が、一杯ありまして、被害者の名前が書いてあります。ちょうど行った時はリニュアル中でした。閉鎖中でしたが入れてもらいました。
 マスタードガスなどで、皮膚をやられた人とか、写真に載っているわけです。そういう場所なんですが、お墓もきれいに整備されています。広島とか長崎のような感じでした。
 このなかで今でも被害にあった人、いまでも肩が上がらないとか、肺をやられた人とか。こちらに人は3年前から完全に失明したとか。ご家族が、奥さんと息子さん、娘さんが先に亡くなりました。お父さんも目をやられて少しずつ視力が落ちて、3年前から目が見えない。
 そういう状況らしい。最初に死亡した5000人ほどの被害者は、100ドルのお金が政府から出ているということです。被害家族に毎月出ているということですが、88年に使われていたときに死亡していないと支給されないのです。
 アメリカの医療関係の資料を見ていますと、88年以降に1万千人ぐらい化学兵器の影響で死亡したという人がいるということです。
 それに対しては何の支援もないのです。後遺症を引きずる人たちにも支援もまったくありません。そんな状況です。
 記念館をこしらえていますが、この人たちへの支援はあまり厚くないのかなと思ました。5000人死亡したところを強調しているので、その5000人の被害者の家族には支援が入っています。
 それ以外には支援は行きません。外部にアピールしたかったことは本人(生存している被害者)言っています。
 顔中が青くなっている女性ですが,肺がやられて苦しいということです。せきが止まらない。嘔吐は今でも続いています。アメリカで移植を受けたといわれています。
大変な手術で日本でもやっていないような手術です。岡山大学で日本ではありましたけれども。
 よほどのことで生体肝移植というか、自分の肺の一部をとって、移植することをやていましたが、イラク人がアメリカまで行って、肺の移植をしてくれる人などいるわけないわけでして、脳死移植ですね。間違いなく。
 こちらの家族も大変なのですが支援は一切ないとの事です。
 10月の憲法承認、国民投票と来月正式な政府に向けた選挙があります。イラクの人に聞きますと「行かない」と「どうせなにも変らないから」と。
 1月の国政選挙のときはクルドの政党の皆さんが来まして、被害者の皆さんの支援を始めますと公約をしたらしいです。その後何の変化もないようです。
 医者からもらった診断書は「化学兵器の影響あり」と書かれてあり、クルドの保健所へ持参しましたが、全く相手にされませんでした。
 ということで選挙になって民主化するとかいってはいるが、どうせ何も変らないとの事です。という具合で来月は馬鹿馬鹿しいから行かないよ、とのことですね。
 クルドは微妙なところがありまして、来月の選挙はイラク全体の選挙です。「イラクはどう変ろうとも、クルドは変らない。」。そこが微妙なところですね。住んでいる人には何も変らないと思っています。
色々複雑なものがありまして、これによって皆ハッピーかといますと必ずしもそうではない。かなと。

 サダム・フセインの裁判の中で化学兵器を使用したのは誰なのかということがはっきりしてきますと、面白いのかなと。現地の人に言わせますと、あの時上空を飛んでいたのはイラク軍のへりであった。だから間違いなくイラク軍が使った。

 自分達を治療してくれたのはイランだと。みんなテヘランに運ばれて、治療してもらったんだと。あれは間違いなくサダム・フセインがやったんだと。

安田純平さん
 と言っているのです。あの当時使用されたのは、マスターズガス、VSガス、サリンガスが使われたとのことです。その当時サダムフセインはマスタードしか持っていなかったといわれています。
 現地人によるとこの地域を実効支配していたのはイランであったと。イランが実効支配していた地域にイラクのへりが簡単に飛んでこれる筈もない。色々考えると本当かなと思いますね。イラン実行説までありますし。自分で実行し患者まで引き取れば、すべてのデータも取れますし。そのあたりははっきりしません。そもそもその化学兵器がどこから来たのかということもです。
、少しでも見えてくればいろんな国の思惑が見えてきて面白いかなと思います。
でもう17年も前の話なんです。これから色々見えて面白いのかな。という気はします。
 できればわたしを捕まえた連中に会えたら楽しいなと思ってやっているのですが、なかなか準備が出来なくて、その周辺部分、クルド地域などですけれども、バクダッドなどを狙っている者としては、そこへ通じる部分なので、もう少しなんとかしたいと思っています。
 もう一箇所の違うところですね。イラクの横のシリアも8月頃から何度も行きました。イラクの国境のあたりまで行っておりました。せめてイラクまで見たいなと言うことで、そこまで行ったんですが、又面倒なことになりまして、シリアの国境警察に捕まりまして、「こんなとこ来るな」と追い返されました。
 アンバールと言いますが、アンバール州という所は、反米勢力がもっとも盛んなところです。アマディ、ファルージャというのもここにあります。最激戦地ですね。
 というなかでアルカイムという町がここにあります。米軍による掃討作戦が行われています。4月には「闘牛士作戦」という名前で激しい空爆なんかしまして、200人近くの市民が亡くなったと伝えられています。
 10月には国境にフサイバという町があります。本当に国境線の町なんですけれども、今度は「鉄のカーテン作戦」というのをやっていまして、激しい戦闘をしているらしいと言う場所です。
 で、シリア側にアルカワルという町があります。この辺に、国境まで6〜7キロ。すぐそこだ。言うことで8月に行ってきました。住民に聞きますと米軍のへりが上空を飛んでいるのが見えた。空爆しているのも聞こえたとのこと。7キロも離れておれば聞こえないかもとは思いますが・・。
 国境の近くに住んでいる人にすれば音はしたのかなということで、国境の方へ行ってみようと動いていました。国境のイラク側を空爆するところで、シリアも空爆したらしいです。今年の4月に「闘牛士作戦」の中で、シリア川の民家10数軒が爆撃を受けてしまいました。
 小学校も1軒空爆されたようです。米軍はシリア側に対しては「シリア側から反米勢力がイラクへ入って来ている。それをシリアが支援している。」と非難をし続けています。イラクが混乱して喜ぶのはシリアだろうと言うのが米軍の見解です。
 国境にもシリア側を見張っているようで、スナイパー(狙撃手)がいっぱい見ています。そのなかで昨年4月にシリア川の国境付近に、ヒリというむらがあります。
 そこで家の屋上で遊んでいたという16歳の少年が頭を打たれて死亡したという事件がありました。昨年の5月に礼拝所に行こうとして街を歩いていた40歳の男性が
背中を撃たれて死亡しました。
 と言うことで、米軍の狙撃だということで、遺族が裁判を起こしています。今年の1月頃からやっていまして、弁護士がアブカマルの町にいるので、弁護士と一緒に遺族に会ったりとか、米軍に破壊された家とか、ついでにシリアからイラク駐留米軍の写真を撮ろうと思い行きましたら、シリア警察に邪魔されました。
 「国境は行ったらいかん。国境付近は立ち入り禁止だ」と邪魔されました。
 シリアは遺跡の多いところです。首都ダマスカスも世界遺産になっていますし。ひじょうに古い遺跡がたくさんあるところです。
 アブカマルのすぐ近くにマリという町がありまして、たまに観光客が来るそうですが、何もないのでたいてい1泊で帰るらしいです。4泊もいるのは変な奴だと見られていました。ホテルは一つしかないので、はいった瞬間から、通報が入っていました。
 ホテルが警察官の休憩所になっています。ロビーでお茶飲んでる連中はみんな警察官です。大変なホテルでした。町を歩きますと日本人などは殆ど来ないので、ちびっ子たちが寄って来て大騒ぎです。最初はジャッキーティンが歩いているという調子で「パンダ」状態でした。
 

 安田純平さんはパソコンを持参。プロジェクターに繋ぎまして、命がけで撮影した現地の写真を見せていただきまがら、解説していただきました。

 今回はイラク北部のクルド自治区の様子。その社会。隣国のシリアやヨルダンの様子を話していただきました。

 ずっと尾行されていまして、黄色いシャツに白い帽子のおじさんは顔を覚えておいていただきたいのですが、このおじさんは秘密警察の人です。ついてきていまして、こちらもわかっていまして、なんどもUターンをしてくるおじさんがいるわけです。
 気まずくなって「じつは俺は警察なんだ。このまちは危ないから実はお前をまもってやっているんだ。」同考えてもかまかけているんですね。
 この日本人に何かおこった場合、アメリカになんか言われるかもしれない。ということで、ということが一部ありつつ見張っている。完全に監視状態です。その弁護士と一緒に行こうかとしますと、当局側にあっさりばれてしまいました。
 いつも尾行していたおじさんは交代して、別のおじさんが見張っている。時間があるのでインターネットカフェでも行こうかなと行きますと、入った瞬間に回線を切られてしまいます。
 しょうがないなと帰って来まして。またホテルを出ますと今度はちびっ子が追っ掛けてきます。代わりに来た警察官の息子ですね。岡引かなんかでついてきます。おっさんがつきまとうのは目立つので。こちらもわかっていますから、関係ない店をぐるぐる廻って、Uターンするとか。ばっと走って撮影した写真がこれで、あしまったという顔で写っています。
 この子は悪くはないのでしょうが、子のこのお父さんは警察官なので、皆さん気をつけてください。その調子なんですね。このランドクルーザーもシリアの警察の車です。ずっとついてきます。
 そこまではわかっているんですね。ただわたしはジャッキー・チェンなわけですこの町では。パンダ状態をこの少年がずっと追ってきているわけです。それを見た少年達はなんだなんだと更に子どもたちがついて来ます。
 さすがに尾行する少年もそれは拙いと思い「お前ら帰れ」と追い払おうとしますが、そうしますとお前は「生意気だ」とびんたをします。というのを横目で見ながら、にやにやしながら通り過ぎました。
 でも少年は「お父さんに言われて怪しい奴を見張っているんだ」とか言ってしまうわけですよ。町の雰囲気が一変します。それでまたインターネットカフェへはいりましても回線を又切られるわけです。
 その店のおじさんこっそり、「警察から電話で、お前が店に入ったら回線を切れと言われている」と言いました。 そこまでするのかなと。
 ネットカフェの窓からちびっ子たちが見ています、、いつもなら写真を撮ってくれとせがんできますが、明らかにこちらを馬鹿にした様子なんですね。
 それが面白いなとカメラを向けるとわーと逃げます、いつもは喜んで写る連中が逃げる。これはがらっと雰囲気が変わったなと思いました。
 犯罪者かスパイだと町中が思っているので、これは拙いなと思いました。もっともこの町へ来た時も大人たちは「アメリカのスパイか」と言っていましたし、日本人と言うと「アメリカのスパイだろう」と言いますね。
 でそうではないといいます。「お前はヒロシマ、ナガサキを忘れたのか」と言われます。「そうではない」といいながら。さきほどのID新聞(安田さんかイラクで拘束後の記者会見時の現地の新聞)を店ながら話をしていきました。
アメリカとの露骨な「同盟」関係の誇示は、中東諸国やイラクではプラスになるかどうか不明です。
 それが警察がこういう風に動き出しますとまずいので、夕方の6時から荷物をまとめてその町から撤退したのが8月でした。
 しゃくだったので今回弁護士を呼びまして、裁判の内容が知りたかったのですね。
色々事情があるんですが。こういうところの警察が警戒している裁判所に、行ったらどうなるか。英語を喋れる通訳を連れて行ったら通訳はどうなるのか。といろいろ考えたら、弁護士と直接話した方がいいだろうとと思いました。
 8月の段階でその弁護士は「一切喋るな」と当局から言われていたらしいです。国境へ行かなくてはならないから資料をくださいと言いましたら、一切やるなと言われているとのこと。今回はあきらめて帰りました。
 その弁護士と連絡をとっていました。最初の電話は通じて、予約していついつ会うとか連絡をしました。その後に連絡しようとしましても一切連絡がつかないのですね。盗聴されています。間違いなく。相手もとちらもシリアで購入した携帯電話です。
 どう考えてもおかしいので盗聴ですね。いろんなルートでその後の状況の確認をしています。前回国境付近ではやられましたが、ダマスカスなどの首都へ来ても問題はなかったです。その後の出入国もいつもどうり問題はありませんでした。
 国境の警察の独自の判断で追い払われてと思っていました。やはり国境警察はその弁護士をかなりマークしているのかなと。電話したところ、携帯の電話番号が当局のばれて、現地で携帯電話を購入するときもパスポートとの照合があったりして、あのときのアメリカのスパイかと。なっている可能性があります。
 かけるとき、インターネット電話などで番号が通知されない探知不可能な電話を使うとか。しないといけないでしょうね。安否確認をしないといけないのですが、そのときも拘束もありうるわけです。
 日本人の拘束とかなんとかも、こちらはたいした事はないと思います。好きでその場所へ行っているわけですから。そういうなかで問題なのは現地の通訳なり、運転手を使うわけですね。取材するわけですね。現地の警察などは、たまにくる外国人よりは、通訳している現地人のほうが問題なわけですね。シリアに関してはわたしは泳がされているのだと思います。
 いろいろまた手を考えないといけないと思います。