保健福祉のまちづくりについて
今週のゲストは、高知大学人文学部社会経済学科教授の田中きよむさんです。今日のテーマは「保健福祉のまちづくりについて」です。福祉は「施す」ものではないと思います。
 人間は誰でも高齢者の道を辿り、身体機能が衰える時期が誰にも訪れます。従来の都市施設は「若者向き」「勤労者向き」の「段差・障害」だらけの都市づくりをしてきました。
「ノーマラーゼーション」を大きくした概念でユニバーサルデザインでの都市づくり  が最近提唱されています。建築や都市工学の観点は理解できますが、福祉の観点から
  見た都市づくりのありかたはどうなのでしょうか?
障害を持たれている人自身が当事者になって検証していくことが大事です。住宅の改造などでも障害を持つ人自身が、アドバイスすることが必要です。高知でもそういったNPOが誕生しようとしています。当事者がサービスを受けるだけではなく、「アドバイス役」にもまわることになります。
卑近な例で言いますと、介護が必要になり手すりや、斜路をこしらえる住宅改造をします。介護保険では20万円程度の工事しか出来ません。介護の責任者であるケアマネージャーは建築の知識が殆どありません。実際に住宅改造する工務店側は福祉の知識はありません。接点がないようですね。都市全体でもそうなっているのではないのでしょうか?
低床式の路線バスも必要です
自宅のバリヤフリー化も大事です。
おっしゃるとうりです。住宅改造業者とケアマネージャー(福祉関係者)の意思疎通が出来ていない場合があります。これも住宅改造業者にも南何軒もお話を伺ったことがあります。業者と言うと福祉関係者は「民間企業だ」という発想になります。福祉関係者と住宅改造行業者との間で意思疎通を図るべきでしょう。アンバランスな問題
がでてきます。
福祉関係者と住宅改造業者の意識のバリヤー(障害)を取り除いて、バリヤフリーにしなければなりませんね。福祉は「施すもの」という時代が長く続きました。その関係者は民間業者というと「儲け話だろう」という偏見があるのでしょうね。行政が採算無視で施していた福祉を民間企業がやると「金儲けだけだろう」という誤解があるうちは難しいですね。意志の疎通は。
田中さんが考える福祉先進国はありますか?日本はどの程度の位置にありますか?
スウェ−デンを100とした場合,どの程度の位置にいるのでしょうか?
ひとつの尺度としまして以前にも申し上げました。国民所得に対して社会保障給付費で言いますと、スウェーデンは50%ですが、日本は20%です。福祉先進国を北欧のスウェーデンとすれば、日本は「中福祉・中負担」ではないでしょうか?
ただ財政的に福祉に回して見ると「高福祉・高負担」とか「中福祉・中負担」というところに目が行きがちです。でも必ずしも財政的なものばかりではないですね。例えばボランティアとかNPOとか予算制約にとらわれないような「住民の福祉力」にも目を向けるべきではないかと思います。
日本は「少子化」が進展すれば、、日本は労働人口が減少しています。外国人の移民を受け入れるべきなのしょうか?その場合外国人の福祉はどうすればいいのでしょうか?
台湾や中国も訪問しています。例えば台湾ではホームヘルパーに外国人を受け入れています。その場合は労働条件が低いと言うことですね。それから介護を要する人との言葉のコミュニケーションが語学の問題もあり取りづらいので、利用者の評判は必ずしもよくありません。コミュニケーションがとれる研修が必要でしょう。サービスの質も確保することが必要です。日本でもヘルパーなどの労働条件が低いという問題があります。改善するという視点を持って外国人労働者を受け入れる必要がありますね。一定の条件づくりを考えながらです。
高齢者や障害者も共存できる社会のありかたは、どうあるべきだと考えますか?
なにをどうすれば、そのような社会に改造できるのでしょうか? 
これまではまちづくりは行政中心でした。福祉もそうでした。ところが行政だけで考えた福祉プランは住民のニーズに一致する保障はありません。理想とするまちづくりや福祉を実現しようというのであれば、住民自身が考えることがまちづくりには必要です。できることは自分達で行動する。あるいは自分達でどういうまちづくりにしたいのかということを出来れば、より多くの住民が考え行動することが必要だと思います。

ひとつの手法としてのワークショップ。決して万能ではありません。意見を形成する過程に参加することに意義があります。

短時間で結論を出すことが、目的ではありません。