土佐佐竹由来紀について

 今週のゲストは、高知市役所環境政策課課長補佐の佐竹敏彦さんです。今日のテーマは「土佐佐竹由来紀について」でお話を伺います。
 佐竹さんは、佐竹家のルーツを探し、研究し、平成15年3月には「土佐佐竹由来紀」という出版物まで発刊されました。
佐竹さんは、家系史を調査されようとした動機はなにでしたでしょうか?
本によりますと、「40年前から構想していた」ということなのですが。
 小学校5年生の時でした。たまたま町史に佐竹と言う武将が書かれていましたので、自分の家系と繋がりがあるのではないか。父親などに聞きました。
 それは自分達の先祖であると説明を聞きました。それ以来、血の繋がりがどのようになっているのだろうか。言うのが大きな動機です。それ以来「苦節40年」というところでしょうか。
 本を見ていますと、佐竹家と言うのは、現在の茨城県(昔は常陸)のあたりに佐竹だれやろという人が戦国大名にいました。関が原の折に西軍方について没落したように覚えていますが。
 その佐竹家が、佐竹さんところのご先祖なのでしょうか?

 同じ一族です。私らのところは鎌倉時代に、源実朝が暗殺された後に、承久の乱がありました。朝廷方と幕府方で争いがありました。その時に、朝廷方に味方をしたのが、佐竹常重という人が、私達のルーツです。


 約高知へ来まして約800年になります。分家して出て行ったようです。本家筋は秋田の大名家です。関が原で西軍に味方したために、常陸から秋田へ国替えした一族です。


 私の先祖も長宗我部家の家臣でした。西軍に味方し、敗れました。それ以来は没落し、帰農しまして百姓をしていました。それ以来が江戸時代以降の歴史です。

 

(佐竹敏彦さん著作の土佐佐竹由来記)です。


 佐竹さんは現在は高知市神田(こうだ)に居住されていますが、確かご出身は中土佐町久礼(くれ)のほうではなかったのでしょうか?

 上ノ加江(かみのかえ)です。
 そちらで佐竹家が江戸時代のあたりから、ずっといらっしゃたのでしょうか?
 そうです。先ほど言いました佐竹常重というものが、高知では義久と名乗ったそうです。その人が、久礼に来まして,約3000石でしたが、領地を管理していました。
 戦国時代の初めに、長宗我部時代の始めですが、久礼と上ノ加江と江戸時代になる直前に窪川のほうに佐竹家は分かれます。その3つが主流です。それ以前に南北朝時代に、香美郡のほうに分家しました。その4つが佐竹家の主流です。

 佐竹という姓は、結構高知県は多いのではないでしょうか?

 そうですね1000軒ほどありますね。全国で3万軒ほどですね。それは800年以来の歴史がありますので。

 そうですね1000軒ほどありますね。全国で3万軒ほどですね。それは800年以来の歴史がありますので。

 気付いたことですが、私たちが学んだ歴史の教科書は、どうも間違いがあるのではないかと先祖の由来を調査するうちに思いました。
 一つは今はだいぶ否定はされていますが、「農民には苗字がなかった」ということですね。私の先祖は江戸時代は農民でしたが、お墓に佐竹という苗字を入れています。

日本各地にある棚田

 それからそんなに貧しい暮らしでもなかったのではないかと思います。江戸時代は百姓は「生かさぬよう。殺さぬよう。」と搾取されてきたように言われていました。そうではない。戦国時代以前は先祖は支配階級でした。

 支配階級としての領主は、五穀豊穣になるように田畑の手入れをしていましたし、水の管理や五穀豊穣を祈るという役割もしていました。
 いちがいに教科書に書いてあるように、領民を一方的に搾取をしていたということはないと思いました。

 
 たしかに領地や田畑は保有していたのでしょうが、修繕したり、管理したりするには持ち出しでされていたのでしょう。当時行政がやるはずがありませんし。
 リーダーシップもいるでしょう。領民に働いてもらうためには、報酬も与えていたと思いますね。
 やはりそれなりの領主としての生活もなまやさしくはなかったと思います。
 領主が領民から一方的に収奪していた一元的な歴史観は間違っているということですね。
 年貢はあったでしょうが、地域の皆さんがどのようにすれば幸せになるかという発想がなければ、必ず暴動になります。場合によっては領主は追い出されることもありましから。それができない領主は、資格はないことで追放されたはずです。
 垂直の搾取関係だけでは見れないような社会があったのです。社会保障が当時もきちんとあったと思います。ただあまり文章で書かれていません。生活者としての社会保障は伴っていませんと、領主としては失格であったと思います。

 

 佐竹さんのご先祖に対する思いは変化がありましたか?また子孫に残すものは何であると思われますか?
 家系図で、私達の先祖が領主であったときは、地域の皆さん方の幸福を祈りなさい。五穀豊穣というのが、先祖の務めであったと。それはわたしたちのDNAに伝承されています。
 だから、受け継ぎなさい。自分達のためばかりではない。地域の皆さんに役立つことをしなさい。言うことで先祖のやってきたこと、そのDNAを受け継いで子孫に伝えていくことです。