サーフィンの歴史について
 今週は島田誠一様にゲストできて頂いています。今日のテーマは「サーフィン歴史について」です。話を伺いますと意外にも歴史は古いようです。また現在の形態になったのは何時ごろからなのかをうかがいたいと思います。

 サーフィンの原点となるのはいつごろからなのでしょうか?ヨットは帆船航海時代に遡りますが?

 

○ 古代サーフィン(NSAHP抜粋)


 このスポーツを発明したのはハワイやタヒチに住んでいた古代ポリネシアの人々ですが、古代サーフィンつまりサーフィンの起源はあまりに古くていまのところいつ始まったのかははっきり解っていませんが少なくとも西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものがすでに存在していたようです。ですから大変古い歴史を持ったスポーツだということは理解してください。  

 そしてこのサーフィンというスポーツがどのように誕生したのでしょうか、それは古代ポリネシア民族のライフスタイルと密接な関係があります。海の民といわれる古代ポリネシアの人々は大航海時代といわれたコロンブスやマゼランの時代よりもはるか以前から大洋を航海する高度な技術を持っていました。そのような彼らの発明の一つにアウトリガーカヌーがあります。カヌーの片側を支持する浮の着いたこのカヌーは転覆に強く、彼らはこのカヌーで珊瑚礁の外へ漁に出かけました。珊瑚礁には毎日のように波が押し寄せていますから、カヌーが漁から帰るときに必然としてその押し寄せてくる波に乗ってしまうわけです。きっと波に乗るのが上手な漁師はみんなに尊敬されたことでしょう。漁業の技術の一つであったその"波乗り"が、いつのまにかあまりの楽しさのためにが娯楽として一人歩きを初めて、そしてカヌーは次第に小さくなり、オロとかアライアと呼ばれるサーフボードの原形が誕生したのだと思われます。

 サーフィンはたいへん盛んに行われていたようでチャンツといわれる古代から口伝されている詩にはたくさんこのサーフィン:he enaluが登場してきます。たとえばサーフィンで決闘した勇者たちとか山の部族に嫁いだためにサーフィンができなくなって悲しんだ女性の話しとかいろいろあります。このユニークなサーフィンというスポーツは古代ポリネシア民族の儀式にまで登場しこの文化の中心的存在にまで上り詰めていきました。  

 ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのはイギリス人の探検家ジェームス・クック船長です。彼はタヒチとハワイでサーフィンを目撃してそのことを航海日誌に書き残しています。しかし残念なことに彼の発見によってポリネシアの島々にヨーロッパの文化や宗教が押し寄せました。宣教師たちは布教の妨げになるためサーフィンを禁止してサーフボードを取り上げて燃やさせてしまったのです。ここに古代サーフィンはここに終焉を向かえたのです。

 

サーフィンは海とともにあったのですね。やはりポリネシア、ハワイなどの海洋民族の連絡用のボートが元祖。

当時は海洋カヌーと同様の耐水性のある木製のボードではなかったのでしょうか。

やはりハワイがサーフィンの発展に寄与したのでしょうか?

○ 近代サーフィンとデューク・カハモナク


 20世紀初頭になって再びサーフィンをする動きがハワイで起こりました。再び教会の人々はこれを阻止しようとしましたが、ワイキキの海岸だけは黙認しました。理由は解りませんが、ヨーロッパやアメリカから移り住んでいる人たちを海難から守るという意味があったのかもしれません。

 これがきっかけとなりハワイアンだけでなく移住してきた人達もサーフィンを楽しむようになります。そのなかにジョージ・フリースという青年がいました。彼はカリフォルニアに始めてサーフィンを伝えた人でハンティントンビーチで初めてサーフィンのエキジビションをしました。また彼はカリフォルニアの最初のライフガードになり1907年には日本人の漁師を七名救助したという記録も残っています。ハワイも急速な観光地化に伴ってライフガード組織が必要になりました。

 その主要な役割を担ったカハナモク家の長男が「近代サーフィンの父」と呼ばれるデューク・カハナモクです。サーファーとしてそしてスイマーとして卓越した技術を持っていたデュークは1912年にストックホルムオリンピックのアメリカ代表として出場し100mm自由形で世界新記録を容易に達成します。しかもそれから17年間世界一の座を維持し続けました。一躍世界的なスターとなったデュークは世界の水泳競技大会に招待されるようになります。デュークは招かれた国々でチャンスがあればサーフィンをしてこの素晴しいスポーツの普及に努めました。特に1915年の1月15日にオーストラリアのシドニーで行ったエキジビションは有名で、それによりオーストラリアではサーフィンは国民的なスポーツとして大きな発展を遂げています。デュークの偉大な功績により近代サーフィンの礎が築かれたといっても過言ではないでしょう。彼の偉業を称えるためにハワイのワイキキ海岸とオーストラリアのフレッシュウォーター海岸には彼のブロンズが建てられています。  

 こうして産声をあげた近代サーフィンは世界の各地で急速に発展します。とくにハワイ、カリフォルニアそしてオーストラリアではサーフィンクラブがいくつも組織されて独自の個性を持ったサーフィンスタイルが確立されていくようになります。サーフボードも、熱心で独創的なアイデアを持ったサーファーたちの試行錯誤によって発達していき、第二次世界大戦の後には現在も主流をなすグラスファイバーとウレタンフォーム製のサーフボードが誕生します。そのサーフボードの発達に伴ってサーフィンのライディングテクニックも高度になり現在もさらに進化しています。

 そしてサーフィンのスタイルも多様化していきました。サーフボードにセールを取り付けたボードセイリング(ウィンドサーフィン)や足ヒレを着けて腹ばいになって滑るボディボードなども現在では別個のスポーツとして世界的に普及しているのはいうまでもありません。またサーフボードにストラップを着けてジェットスキーの補助を受けながら、ライディング不可能とされていたビッグウェーブを征服するトゥーインサーフィンという新しいサーフィンも生まれています。将来は普通のサーフィンにもストラップを着けるのが常識になるのではという予測もあります。また過去のものとされていたロングボードという1960年代に一般的であったサーフボートが復活してサーフィンの未来に新しい方向性を示しています。  

写真は写真家まいたとおる氏撮影
 日本のサーフィンの歴史はどうなのでしょうか?私は若いころ仕事で湘南地方を巡回していました。山中にサーフボードの加工所がたくさんありました。また湘南の海ではたくさんのサーファーが今でも盛んですね。
 
 日本のサーフィンが産声を上げたのは1960年の頃、アメリカ人が湘南や千葉の海でサーフィンを楽しんでいるのを地元の少年たちが模倣して自作の「フロート」と呼ばれたボードで初めたのが最初だといわれています。そし1965年にはその青年たちによって日本サーフィン連盟が発足し翌年の7月には第1回の全日本選主権が99名の選手のなかで競われました。そして34回を数える1999年大会には過去最大の1100名の選手が出場しました。日本サーフィン連盟は多くの優秀なサーファーを数多く輩出し日本のサーフィンの歴史に大きく貢献してきたといえます。まさに日本のサーフィンの歴史は日本サーフィン連盟と共に歩んできたといえるでしょう。
 
 次にサーフィンには種類があるように思います。ヨットにもディーンギーとクルーザー、サーフィンとのあいのこであるボードセーリングなどがあります。種類を教えていただけますでしょうか?
 
(サーフィンの種類)

#ボディボード

   長さの制限は5フィート(152.4p)以下で、材質は表面の大部分がソフトな物で、柔軟性のある物

・#ショートボード

   現在のサーフボードの主流で最も進化したタイプ、長さは 170cm前後でトライフィンのものが多い。

・#ロングボード

   ノーズ(ボードの先端部分)が丸い形をしたサーフボードを呼ぶが、試合のレギュレ ー ションなどの関係  feet:2m74cm以上のものをロング、 それ以下の長さをセミロングと呼ぶのが一般的です。

 
 発泡ウレタンにガラス繊維をまき付けFRPで覆います。ゲルコートを吹きつけ仕上げます。サーフボートの値段はいくらぐらいするのでしょうか?
 
 それこそ「ピンからキリ」でしょう。10万円台から数十万するものまで、幅が広いです。