アジア人としての意識を持とう
 今週のゲストは高知大学人文学部助教授の蕭紅燕(ショウコウエン)さんです。今日のテーマは「アジア人としての意識を持とう。」です。
 明治時代日本では福沢諭吉が「脱亜入欧」を唱え、アジア的なものを廃し、西欧列強国の仲間入りすることを国家目標にしてつっ走りました。その悲劇的な結末が周辺アジア諸国への軍事侵略と敗戦でありました。
 戦後日本は平和国家として再スタートし、経済大国になりました。しかし国民の目線はアメリカと欧州を見ています。
戦後も日本人は意識の中でアジアの国々の人たちを一段下に見ています。それはどうしてなのでしょうか?そのあたりをどう思われますか?

 日本に来たての頃は東大駒場で勉強させていただきました。当時の同期生は、福沢諭吉の「脱亜入欧」を研究していました。彼女は現在日本のある大学に就職しています。
 確かに「脱亜入欧」という時代が日本にありました。近代化をめざしてね。また最近よく「脱欧入亜」などと言われる人もいます。私は「脱欧入亜」という言い方は間違いと想います。


 「脱欧帰亜」のほうが、より的確な表現ではないでしょうか。日本はアジアの一員で、いくら経済大国になったとしても地理的にはアジアなんですね。ところが日本人の視線が常にアメリカとヨーロッパに向いています。これはとても理解しやすいと思います。

蕭紅燕(ショウコウエン)さん

 やはり日本にとっは、古代もそうでしたが、経済力がものをいいます。それで物事を判断するようです。古代中国や朝鮮は経済力も強く、高度な文明を築き上げてきました。
 日本は中国や朝鮮に学ぶ姿勢を通してきました。
 ところが近代になって、中国や朝鮮半島は、西洋列強にやられっぱなしです。だから老大国とか、東亜の病人と中国は言われました。日本人は言い方は悪いかもしれませんが、「長いものに巻かれろ」「力のある側につく」「寄らば大樹の陰」などの諺どおり,アジアの中でも常に力関係の序列に気を使い、「縦社会」の関係が今でも「効いている」ようですね。

 明治以来、日本がアジア諸国にやってきたことは、中国の四字熟語でいえば、まさに「為虎作chang」といえます。
 それはは古代中国の伝説によると、虎に食われた人間が死後鬼となってまた虎の手助けをして人を食わせる。
悪人の手先となって悪事を働くことの譬えであります。

 「受人滴水之恩、当似湧泉相報」(喉が渇いたとき、人さまに、たとえ一滴の水をもらったならば、のちになって湧き水でもってこれに報いるべし)というような仁義のかけらも感じられません。


 私などは単純に考えるほうです。
中国と韓国と日本が力を合わせると大変な力になると思います。しかし何故そういう具合にならないのでしょうか?EU(欧州連合)のようにです。孫文などは大きな考え方を持っていた人だとは思うのですが・・。お互い3国でいがみ合っているようなのですが。

 それはなかなか一筋縄ではいかないでしょう。この3国は東アジアで力をあわせれば大きな力になるよくといわれてはいますけど。
 建国の父といわれ孫文という人物がいます。孫文は清朝政府を倒すために日本に協力を依頼しました。ところが、日本側の援助はあまり得る事はできず、結果的に利用されたところがかなりあると歴史家たちが分析しています。

 今日の中日関係もこれまでの歴史の積み重ねですからね。「氷凍三尺、非一日之寒」(三尺ほど凍った氷は1日にしてならず)ですよ。わだかまりの数を少しずつ解かしてゆjく努力が必要です。
 国と国との関係となると、 2000年前は中国と日本は「兄弟」でした。白川静という漢字の大家がいますね。
http://www.mojiken.com/syoukai/sirakawa.htm


 白川先生の研究によるとかつての東夷と呼ばれている人々は日本にやってきたようです。日本全国に「徐福伝説」が言い伝えられており、秦の始皇帝に命じられて3千人の童男童女をつれて蓬莱の国へ不老長寿の薬を求めて出かけたという話です。朝鮮半島との関係はもっと緊密で、渡来人によって高度な先進的な文化や技術をもたらされたわけです。

 有田焼や九谷焼などの陶磁器も朝鮮半島の影響を大きく受けています。
 高知の地域社会とアジアの国々との共通性はありますか?それは葬儀なのでしょうか?よくわかりませんけれども。
 高知のいろんな風習を見ていると、やはりアジアの国々との共通点が多く、冠婚葬祭や、いろんな場面においてです。
 

収録の様子です。蕭紅燕(ショウコウエン)さんは、昔の日本の様子なども詳しく研究されています。高知の地域文化にも詳しい。

 その博識ぶりには驚きました。穏やかな口調ですが、自己主張ははっきりする姿勢にも共感を感じました。

高知の習慣などで、研究されたチベットなどとの類似点などはありますか?
 類似点というよりもですね。西蔵(チベット)のことを知らない高知の人が中山間部の地域を示す場合に、辺鄙な山村ということで「四国のチベット」などと蔑んだ言い方をされます。標高の高いところは、経済的にも貧しいのではないかという憶測からのイメージです。
 それから「仏教国」「鳥葬の国」「一妻多夫」「最後の浄土」といった漠然とした印象を持たれているようですね。
 私はここ何年間毎年西蔵へ行っております。ラサなどは大都会です。洗練された街になっていて訪れる人々をびっくりさせます。
本川村(現いの町)氷室まつり
ロギールさんの工房を訪ねた。
 それは近代的な都市になっているということなのでしょうか?
 そうです。ラサは人口が30数万、高知市とさほど変わりません。やはり例外なく近代化の波が押し寄せてきています。
 「アジア的なもの」として否定的にされてきたもののなかに、行き詰った現代社会を超克するようなものがあるのでしょうか?
 それは沢山あります。さきほど話題に出た人間関係ですが、現代社会は田舎でもかなり人間関係が薄れています。最近は「古きよきもの」が見直されていますよね。家族のあり方などかつては村人達が共同体のなかでどのように暮らしたのかを知ることはとても大切です。
 最近高知新聞でも「土佐派の家」が取り上げられています。家のつくりと家族関係どういう関わりがあるのか。興味深いものです。
 テレビ番組「平成若者仕事図鑑」もさることながら、若者たちは職人の世界、「伝統のわざ」に魅せられているようです。60代とか70代の人達が伝えて来なかったことを若い人は求めています。現代社会の病いを克服する「処方箋」をそこから見出せるのではないのでしょうか?若者たちはそういう伝統の力に飢えているようです。
漁師の町中土佐町。「海宴隊」の方々と鰹の藁焼をこしらえているところです。