明治維新は新堀川から
|
|
今週のゲストは、新堀川の歴史と生態系に高い関心を持たれておられる下司孝之さんと西岡謙一さんです。 シオマネキやアカメの発見で注目されている新堀川ですが、幕末から明治維新にかけて新堀川が大きな役割を果たしたということだそうです。そのあたりのお話をお聞きします。 江戸時代から、明治維新にかけて新堀川には、歴史的に重要な人物が居住していたそうですが、どのような人達なのでしょうか? |
|
|
|
幕末の儒学者岡本寧浦(ねいほ)は特に重要な人物であると聞きましたが? どのような影響力があったのでしょうか? |
|
下司 この人は今は殆ど知られてはいません。坂本龍馬が活躍出来るためには、藩に財政力があり、通信が発達しており、素地を生む学問の体系がある。そういうことが合わさって坂本龍馬が生まれてくるのです。
|
|
幕末に活躍した河田小龍や武市半平太なども新堀川のご近所であったらしいのですが、どのあたりであったのでしょうか? |
|
西岡 河田小龍さんは、土佐橋、とでん西武跡の東、得月楼の東側付近ですね。 | |
坂本龍馬などに大きな影響を与えたという河田小龍(かわだしょうりょう)。土佐橋付近に碑があります。
|
|
新堀川には中江兆民のゆかりの地の碑も立っているようなのですが・・ 兆民も住んでいたのでしょうか? |
|
下司 そうですね。中江兆民は江ノ口川にかかるはね橋の近所に住んでいましたね。この方は「東洋のルソー」と呼ばれた人ですから。このような人が下町に生まれ、育っていた。そこらあたりは大変なことなのですね。その川岸が新堀川です。 | |
新堀川工事現場近くにある兆民どうりの碑
|
中江兆民生誕地の石碑です。
|
岡本寧浦(ねいほ)という人ですが、西岡さんのお店(西岡燃料店)から僅か3軒隣に岡本寧浦(ねいほ)塾舎跡という碑が建っているのですけれども。そのことは西岡さんは以前からご存知であったのでしょうか? |
|
西岡 岡本なんとかの碑があることは知っていました。それをこの間の谷是(ただし)さんの「下町の歴史」を聞きまして始めてこの人は凄い人であることを知りました。そこからいろんな人物の繋がりもわかってきました。 | |
岡本寧浦(ねいほ)の塾跡の石碑です。
|
下町歴史懇話会の様子です。 郷土史家の谷是(ただし)さん
|
郷土史家の谷是(ただし)さんが「新堀川周辺の下町文化」について講演をされたように聞きました。お話で特に印象に残った事柄はありましたか? | |
下司 谷先生が言われていますのは「山内家の再評価をしなければいけない。」ということです。それは自分達は長宗我部系が多いのですので、山内家といいますとそしるわけですね。 この占領軍としてのとらえかただけではなく、高知の城下を具体的に切り開いたのは山内家でした。その掛川衆なのですね。そのことを高知の人間は再評価すべきでしょう。 来年の春はNHK大河ドラマ「功名が辻」が始まります。そこに脚光が浴びます、すると新堀川なんだということになります。 |
|
谷是(ただし)さんの話ですが、それを具体化させるような話はいかがでしょうか?はりまや橋サロンなどで聞いてみたいという話も聞きましたけれども。西岡さんそのあたりはどうなのでしょうか? | |
西岡 自分もいろいろ思い描いていました有名な人や郷土の偉人ですが、谷さんのお陰で繋がったように思いました。この話は新堀川周辺だけで聞いてももったいないので、いわゆる中心商店街であるはりまや橋商店街や大橋通りなどもそれぞれ歴史があります。 それを谷是(ただし)さんに協力いただきまして、足元を皆が見直し、歴史をフル変える事ができましたら、観光にも繋がってくるでしょう。 |
|
一度新堀川周辺をフィールドワークをし、地域の「あるもの探し」をしたらいかがでしょうか?いろんな史実や史跡が豊富にあるのではないでしょうか? さきほど下司さんが、「山内家を見直そう」ということを言われました。岡本寧浦(ねいほ)は儒学者で塾生が数多くいたそうですね。山内家の時代に門下生が1000人いたそうですね。そのあたりを再評価することが歴史を見直すことになるのではないでしょうか? |
|
下司 そうですね。高知の人はそういう歴史的な遺産をおろそかにしていると思います。筆山の下に有ります山内家のお墓にしましても誰も行きません。 山口県ではそうではないです。そういうことがたくさんあります。新堀川の周辺に関してもここはきちんと整備して、その周辺で観光が出来る。そう思います。来年のNHKの大河ドラマ「功名が辻」にも新堀川周辺を活用いただきたいと思います。 |
|
得月楼もすぐ近くです
|
武市半平太邸あともあります。
|
ということは、博物館(箱物)のなかにいろんな史跡を閉じ込めてしまうのではなく、街全体が博物館のようなものになっているということですね。 | |
下司 そうですね。私は長年浦戸湾を守る会という自然保護団体で活動してきました。新堀川は自然を大事にするミュージアムであるという事実があります。なんにもお金はいりません。何もしなくていいんです。 そういう点ではこれから、ひじょうに助かる発想であると思いますね。 |
|
さきほど西岡さんが、皆で話を共有化していこうということを言われていました。それは具体的に動き出したのでしょうか? |
|
西岡 昔の地図なども、大橋通り商店街の人に渡しましたら「これで一晩お酒が飲める。」と言っていました。昔の町の名前とか、地図でも今の40歳代、50歳代の人でもまだ懐かしい感じを持っていますね。お婆さん、ひ婆さんの感覚ですね。物凄く手ごたえを感じました。 はりまや橋商店街のほうでも、活用方法などの提案はいろいろしています。 |
|