内部告発者の人権は守られるでしょうか?
 今週のゲストは弁護士の小松英雄さんです。今日のテーマは「内部告発者の人権は守られるのでしょうか?」ということでお話を伺います。
 過日東京電力の原子力発電所の点検に不正があり、報告記録も改ざんされていました。その事実を告発したのは、下請けのアメリカの企業に勤務されている人でした。雪印食品の不正を告発した倉庫会社の会社は、逆に当時行政側から処罰されました。
 大企業や行政など社会的に大きな組織の不正行為は社会に対する影響が大きいのですが、勇気ある告発者の人権を守ることはどう考えたら良いのでしょうか?

 企業とか団体の経営や運営を透明化する。そうしませんと生き残れない時代になっています。つぶれてしまう事が起こっています。内部で働く人達が不祥事があった場合、外に向かってきちんと不正を是正するように告発する。そのために団体や企業が内部告発について「受け皿」をこしらえようとしています。
 外部に会社をこしらえたり、研修をしたり、弁護士を入れたりしています。進んでいますが、法律のほうも「内部者通報制度」をこしらえようとしています。日弁連などでも議論をしています。


「内部通報制度」を国が検討しているようです。但し、通報の相手マスコミでは駄目で、国などの行政機関に限られています。それですと、今まで行政に言っても逆にその人の立場が悪くなる事例、行政から企業のトップに言われて、告発者がペナルティを受けたような事例がありました。
 日弁連などは、マスコミに言っても、どこで言っても公開しても、内部告発は保護されるべきだとの議論が展開されているところです。

 行政とかいいますと、例えば公正取引委員会のようなところがありますよね。行政自体も不祥事があったりします。高知県庁でも「やみ融資事件」「別件やみ融資事件」などがありました。県民の税金が20億円ぐらい蒸発した事件もありました。行政がクリーンかと言えばそうではない。その場合どうするのかとおいう問題もあります。
高知県庁。「高知商銀巨額焦げ付け融資事件」「やみ融資事件」「別件やみ融資事件」など県剣舞職員による金融不祥事が相次いだ。いずれも刑事事件になっていて、県幹部が逮捕されている。
やみのお金が税金が使用されている例がありますね。
 行政のなかにおられても、民間企業のなかにおられても不正行為を告発する人が、守られて、告発のため組織がより透明になっていく法整備などはこれからの課題なのでしょうか?
そうですね。知られてはいませんが、われわれも議論をし関心を高めることは必要です。
 
 なんでもかんでも市民の側が告発し、裁判に訴えるということは、大変労力のかかる作業だと思います。行政もすべてクリーンではありません。確かスエーデンでしたでしょうか、民間でもない行政でもない、行政オンブズマン制度があるように文献で見たことがあります。その制度なんかはいかがでしょうか?法律家の立場から見られてどうなのでしょうか?
 行政も、民間もお互いいろんな問題を抱えています。行政だけに頼るばかりではいけないと思います。日本のオンブズマンのように民間だけでも限界があると思います。
 そこで行政と民間の間に、「公」(パブリック)という考え方があります。その「受け皿」として官製のオンブズマンではないけれども、権限とプライドをもった機関、裁判とは違う「裁判外紛争解決機関」が必要であると思います。
 すでにありますが、イギリスなどでは、クレジットの問題や、証券の問題などは、裁判による解決だけではなく、国民も教会も入った、紛争解決の機関があります。
 どうしても裁判は「オールオア、ナッシング」になりがちです。そういった機関を考えていく必要もありました。さきほど言われていました「内部通報制度」や「裁判外紛争解決機関」の設置は検討の予知がありますね。
民間の市民オンブズマン高知は高知県庁の県民室で資料を閲覧し、事実を確認する作業をしています。 市民オンブズマン高知が高知県庁を相手に行政訴訟を起している例です。20件以上あります。
日本ではいかがですか?
 裁判所でも「調停」というのがありますね。建築紛争の調停とか、仲裁とかがいろいろとないわけではありません。
制度に問題がないわけではありかせんが、企業寄りになっていたり、業界寄りになっていたりします。「内部告発者」が保護されるかどうか問題はあります。裁判でとことんぶつかってしまう。そういう間に合うような受け皿が必要です。
社会がこれほど複雑になりますと、必要なしくみではありますね。
 そいうですね。裁判所が解決するのはベストではありまsねん。人間社会がある以上は、必ず紛争はあるはずですから、問題を持って行く場合は、そうした「受け皿」はそうしても必要であると思います。
 受け皿があれば、公的な機関だけに解決方法が裁判だけでなく、さまざまな方法があるということですね。