介護保険制度の問題点とは何か?
 今週のゲストは高知市健康福祉部健康福祉担当参事で、医師の堀川俊一さんです。今日のテーマは「介護保険制度の問題点とは何か?」でお話を伺います。
 2000年4月にスタートしました介護保険制度。今年で4年目を迎えています。順調に制度は市民各位に浸透しつつあるのでしょうか?
まず伺いますが、高知市の介護支援のありかたについてですが、目標設定はされていると思いますが、現在の状況は目標を100とした場合、何点なのでしょうか?
 平成12年(2000年)に介護保険制度が始まるときに、「介護保険事業計画」というものを立てました。そのなかでサービスをどれくらい供給していくかという目標を立てています。
 高知市は施設ですけれども、病院とか、特別養護老人ホームとか、老人保健施設とかありますが、スタート時点で、全国平均の1.4倍の施設がありました。施設はあらたに作る計画は立ててはいません。
 在宅サービスですが、その時点で予測した以上のサービスが、今のところ供給されています。「量的」にはかなり達成できています。
 
 量的には高知市は全国水準を越えているのですね。
介護保険制度というのは、自宅で介護を受ける在宅介護が主体ではないかと理解していました。しかし高知市の場合は現状は介護者も家族も施設入居を望んでいると聞きました。それは本当なのでしょうか?
介護保険が始まる前に65歳以上の市民の方に「寝たきりになった場合、どういうところで生活したいか」ということで調査したことがありました。
 だいたい6割ぐらいの方が家で生活したい。2割が病院へ入りたい。それ以外の方が老人保健施設とか特別養護老人ホームへ入りたい。という回答でした。
 全国的にはどうかといいますと、同様の調査からは、少し自宅の方が少ないです。本人の気持ちとすればなるべく自宅で暮らしたいという方が多いように思います。
 一方で介護される方は施設でという方も多いです。
高知市の介護の実態を観察されていまして、何が問題なのでしょうか?
介護状態を予防するための対策はあるのでしょうか?
 介護保険が始まりましてから、すごい勢いで認定者が増えています。当初は高知市で7000人ぐらいでしたが、1万1千人を超えています。(参考 高知市の人口は約32万人です。)
 必要な方が、サービスを受けられることは望ましいと思います。介護保険の大きな目的として、ただサービスをするのではなく、介護保険を使って「より元気を出す」こと、「自立してもらいたい」ということがありました。自立を目指すという部分では、なかなか目的が達成されていないことが現状だと思います。
秦地区ひとり暮らし高齢者ふれあいの会で
介護負担の費用と、介護に掛かる費用のバランスについて。このまま高齢化が進んでいけば、介護保険料は値上げしなければならなくなるのでしょうか?
介護保険は「使ったものをみんなで払う仕組み」ですから。「(後から)借金してでもその場を収めて、次の3年間の保険料を上げて」、という仕組みです。すごく使いやすいという面では、「国の予算がなくなったから」使えないものではありません。どんどん増えてきましたらその分は、結局半分は税金で、残りの半分は40歳以上の保険料で割ることになります。
 ですから、使えば使うほど、保険料は高くなります。
 国のほうでは現在40歳以上の被保険者を20歳以上にしようということも考えられています。
 市町村合併の影響についてはいかがでしょうか?高知市の場合、土佐山村、鏡村との合併がスタートします。また将来春野町との合併も想定されています。介護サービスや保険料の改定などは変更はあるのでしょうか?
 合併は来年の1月からですが、今年度中の保険料は今のままです。来年の4月からはひとつになります。土佐山村。鏡村のほうが、若干保険料が安いのです。そちらの保険料が高知市なみになり、高知市の保険料が、少しだけ下がることになります。
高知市役所本庁舎。土佐山村、鏡村との合併が本決まり。
 
 介護保険は3年ごとに見直しされますが、去年見直しされましたが、どうなるのでしょうか?次の3年後に見直しされるのでしょうか?
 合併してからですと来年は2年間経った段階になり、最後の1年分を計算しなおして統一する形になります。
 高知市には「痴呆相談窓口」が設置されているようです。相談事例は多いのでしょうか?また家族として自分の親がそうなってしまった場合の心構えはどうすればいいのでしょうか?
 高知市保健所のほうで、痴呆相談窓口をやってきていました。年に100から150件の相談がありました。家族の方ですとか、実際にケアをされている方からの相談が多かったです。
 当事者の方からの相談は殆どありませんでした。今年から名前を変えまして、「物忘れ相談」にしました。本人でも気になることがありましたら相談できるようにしました。昨年より相談件数は増えています。
 心構えは本当に難しいと思います。家族はその人がしっかりしている頃を知っているだけにです。私たち専門職はその状態になってから、そんななものだと思って接しています。家族の人はどうしても昔の元気な時のことを思ってしまいます。でもどこかで切り替ないと「わからない」「忘れてしまっている」ことを、「さっき言ったではない」と言いましても覚えていないから聞いているのですから。
 おむつの便をいじるのも、なんでかわからないけれども気持ちが悪いから、そこへ手を入れるのです。相手の気持ち、そこは難しいのですが、「覚えていない」ことを前提に考えていただくのが大事だと思います。
高知市保健福祉センター
 自分の親がそうなってしまえば、お互いショックですが、いろんな相談窓口を利用することですね。物忘れであれば、一緒になって探すとかしたほうが良いのでしょうか?
 そうですね。訂正しようと思っても無理なので、忘れているのなら一緒に探すとか。ご飯を食べていないというのなら、ちょっとだけでもなにか出してつまんでいてくださいとか。そのうちに忘れるということもあります。
 それから何も覚えていないから痴呆の人は幸せという言い方をする人もいます。しかし「おかしい」ということは多くの方が感じています。だからすごく不安なのですね。
 決してご本人の前で、どうこう言うことは避けてほうがいいと思います。
 感情的にはすごくピュアになっていたり、敏感になっている部分があるのでしょうか?
 最近オーストラリアの人ですが、自分のことがお話できる方が来日されていました。不安といいますか、情報が処理できないそうです。ひとつずつゆっくりしませんと駄目なんですということは言われていました。
 
 
前頁に戻りますトップページにもどります次のページに進みます