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西田政雄さん
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1955年池川町(現在:仁淀川町)に特定郵便局長と学校教員の共稼ぎ家庭に生まれ地元小中を卒業
1974年佐川高校卒業
同年4月 私立岡山商科大学に入学するも、自校の授業はほとんど受けず、大半を岡大や理大のキャンパスに居ました。
岡山での大学生活(2年9ヶ月で中退)は、イベント企画会社の下請けを経て1975年にはイベントサークルを立ち上げイベンター(コンサート)生活を送る。
1976年冬にイベントスポンサー企業のジーンズメーカーから入社の誘い、即日大阪転勤、以後 岡山ショールーム・本社・東京などで勤務(主に新規開拓と商品開発)
1979年夏、原宿マンションメーカー(大東紡傘下)の誘いでレディースカジュアルに転向
1981年アパレル会社を設立〜1985年(2件の大口得意先倒産で、あえなく連鎖倒産)
1986年〜1990年の間は、ガードマン・土木作業員・解体工・ダンプ運転手・重機オペ・産廃業者
1991年在日朝鮮人の友人がきっかけでパチンコ攻略プロ生活(自作で体感機製作なども行っていた)
1993年パチプロ集団「梁山泊」に合流
1994年2月被災後の神戸に入り在日韓国人の友人宅に同居し復興状況を目の当たりにする。
1996年Uターンで帰高、当初は住宅器機の営業会社に入社(省エネ住宅器機)
1997年友人と住宅器機の営業会社を起業
1997年シックハウス症候群の存在を知り、以降 この問題を独学で学び積極的に患者救済活動を始めた。
2000年起業した友人と訣別、フリーで住宅問題に携わる。
2001年NPO活動に参加(主にシックハウス問題)
2003年市民がつくる防災フォーラムの実行委員会に参加、以後継続
2004年森林間伐ボランティアに参加(間伐のきっかけは防災の観点から山を軽くする為)
2005年映画「掘るまいか」上映をきっかけに山古志村を2度訪問 |
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西田政雄さんとは、昨年3月に高知シティFM側より「市民がつくる防災フォーラム」の実行委員長ということで紹介されました。局側からの紹介と言うこともあり、あらためて面談させていただきました。
こわもての印象とは異なるソフトな話し方。並外れた行動力。神戸に山古志にと「飛んで行きます」し。昨年末のフォーラムでは橋本大二郎高知県知事と、岡崎誠也高知市長もパネラーに招聘しました。ネット中継で長島衆議院議員(元山古志村長)をも集めるパワーは凄いの一言ですね。当日は高知には珍しい積雪にもかかわらず大勢の市民が駆けつけましたし。
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4月から高知シティFMにて「ハッシーと西やんのラジオでつなぐ防災フォーラム」(毎週金曜日6時〜)の予定で始まります。西田さんの持っている防災関連情報をどんどん公開していただきたいと考えます。
始められたブログもアクセス数が並大抵ではない様子です。ラジオ放送とブログと将来はWEBラジオという複合メディアで、行政も巻き込みながら防災情報を市民に伝達される役割を果たさせることであると思います。
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スタジオに持ってこられた防災用品も現場を踏まえているものばかり。実践に裏付けられた備品の数々でした。
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「100円ショップでも防災用品はありますね。例えばこのペンライト。子どものおもちゃ売り場に。危険でなく、かさばらず、非常時にポキン通れば明るいです。数時間は持ちますからこれは必需品。」
そのほか通販で取り寄せたものや、独自に探したものも。
「バールなどは市販品は大きすぎるので、パンクの時使用する携帯用のジャッキなどの大きさに。女性や高齢者でも取り扱える大きさに考案中とか。
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西田さんはまた「防災フォーラム」のマンネリ化にも危機感をいだいています。「いつも来るのは意識の高い地域の人たちばかり」「働き盛りの人たちの参加は難しい」「みながいつも日常的に意識しないといざというときに助かるものも助からない。」 |
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防災フォーラムと防災展示会。防災運動会や、防災アニメなどやりたいことはいくらでもあるそうです。「稲村の火」ではないですが、防災への確かな指針をこしらえる人物であると思いました。 |
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「オオカミ少年と呼ばれてもいい。来るぞ来るぞ。といい続けます」とも。4月からの防災番組に期待したいと思います。 |
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西田政雄さんの番組での 発言は こちら |
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西田政雄さんの 関連 ホームページは こちら から |
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西やんのNPO奮闘記
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http://npowagaya.blog.ocn.ne.jp/nisiyann/ |
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人と!暮らしと!住宅と! |
http://blog.livedoor.jp/wagaya02/ |
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