安田純平さんイラク現地報告会     (その1)音声が聞けます
 週末のご多忙のなか、また遠くから1000円の参加費をご負担いただきありがとうございました。私は、本日の講演会の進行役をさせていただきます「安田純平さんを高知へ招く会」の有志の1人である西村健一と申します。
「安田純平さんを高知へ招く会」と申しますのは、今年の夏ごろ、50歳代、60歳代の有志6人でこしらえた会です。今年1月に自衛隊がイラクに派遣されました。危機感を持った有志3人が、4月にweblog(簡単に作成できるホームページ)で、イラク問題をとりあげたサイトを作成しました。
 東京や大阪の知り合いにも呼びかけ、weblogにて議論をしていた程度でした。サイトをこしらえた直後に高遠さんや、今井さんがイラクにて拘束される事件が発生しました。
 大阪の知人が大学の講師でしたので、意見を英訳していただき、電子メールでアルジャジーラ(中東カタールの放送局)に投稿しました。
 ただ、口は達者でも行動が伴わない中高年親父の徒党にすぎませんでした。
 その会合に松尾美絵さんが現れたのが7月ごろでした。「私は今の日本の現状に危機感を持っています。なんとかしなければ。知り合いが佐賀大学で安田純平さんの講演会を聞いて大変良かった」と言われました。それから1ヵ月後の8月ごろでしたか松尾美絵さんが「安田純平さんを高知へ招いて講演会をします。日時は11月6日。会場も予約しました」と言われました。松尾さんの知り合い2人を加え6人の中高年有志で会はスタートしました。

 松尾美絵さんがいなければ今日の講演会は実現しませんでした。ご参集の皆さん彼女に感謝してください。松尾美絵さんの熱意と行動力がなければ安田純平さんは高知へ来ることはなかったのですから。

 お互い学生時代に、平和運動を少し経験したぐらいでした。30年以上のブランクがあります。マスメディアにも知り合いもいませんでした。政党や労働組合の関係者でもないため、「段取り」もわからずもたもたしていたのが現状です。

 とにかく知り合いという知り合いに声を掛け、今日皆様がたに集まっていただいたのが現状です。いろんな団体にお声を掛けましたが、皆好意的でした。
 また途中から高知大学人文学部の学生達がスタッフに入っていただきました。彼らは学内で独自にワークショップを開催し、イラクの現状について研究しています。
 あれこれと、とまどいながら準備しているうちに今日が来てしまいました。なにかと不十分であると思います。運営や進行などで、不十分なところがあろうかと思いますが、よろしくお願いします。

(写真撮影などはかまいません。録音もかまいません。ただし、携帯電話の音源はマナーモードにしてください。)

 それでは、「安田純平さんを高知へ招く会」を代表して、松尾美絵から一言挨拶をさせていただきます。

松尾美絵さんの挨拶
 皆さんこんにちは、「安田純平さんを高知へ招く会」を代表いたしまして、私松尾よりご挨拶申し上げます。
 先ほどの進行の方のお話にもありましたが、私たちは組織も、政党も関係のない1市民の集まりでこの会を立ち上げました。この会の呼びかけに今日はたくさんの方々が来てくださり、会場へ足を運んで下さりましたことを心よりお礼申し上げます。
 つい先日人質にとられた香田さんの死は、本当に胸痛み、なんともやりきれない思いです。インターネットで香田さんの最後を見られた方の話しを聞きますと、最後は何も言わず黙って、首をうなだれていたということでした。
 日本のこのような1青年が、イラクへ入ったというだけで、殺されてしまわねばならなかった背景、原因はどこにあるのか考えねばならないと思います。そしてこれからイラクと日本の関係をどのようにとらえていくのかを探り続け、未来へ繋いで行くことが香田さんへの追悼であることを私は思っております。
 既にイラク国民の死者は10万人に達しているという報道もありました。アメリカ軍の攻撃の実態とは一体どのようなものでしょうか。外国の軍隊に銃を突きつけられながら生活しているイラクの人々の思いはどのようなものでありましょう。
 日本の自衛隊派遣はイラクが要請したものではありません。イラクを攻撃する側のアメリカの要求に応じたものです。その意味するものはなんなのか。自衛隊がイラクに駐留することが、私たち日本の国民にとってどういうことになるのかを、様々な方向から、多面的、重層的に考えて行かなければならないと思います。
 日々マスメディアで流されるイラク情勢。これらは事実の一端ではあります。決してそれはすべてではありません。マスメディアの報道から、落ちこぼされた沢山の事実があります。私はそのなかから、「ひとつでも多くの事実の断片」を拾い上げて、「イラクの生きた真実」に近づきたいと思います。

 そのような意味におきましても、フリージャーナリストの方々は、イラク現地と私たち一般市民と直接結ぶことが出来る大切な存在です。まさに自らの体を「盾」にして意義ある仕事をされている勇気ある方々だと日頃から尊敬をしているところです。

 安田純平さんは、全国を飛び回って大変お忙しいのでありますのに、高知へおいで下さることに本当に快く引き受けて下さいました。今日は安田さんがイラクで取材されたこと、今年4月に武装勢力に拘束された時の様子なども、お聞きしたいと思います。

 フリージァーナリストとしての姿勢。そしてまた人間として安田さんご自身が感じられたことその思いを受け止めながら、日本のなかの1市民として私たち1人1人が、今イラクの人々と、どう向き合っていくのか。皆様がたと一緒に考えて行きたいと思います。

 最後に皆様がたとの出会いを大切にこれからも、ともに考え手を繋ぎ、何らかの行動が出来ましたら、私としましてもとても嬉しいことです。おかまいない方はお手元のアンケートにもご協力をお願いします。

 それでは安田さんにご講演をお願いしまして、ご挨拶を終わります。

(司会)

 松尾美絵さんからの挨拶がありました。安田純平さんの講演会をただ今より開催いたします。

 安田純平さんの簡単なプロフィールを紹介させていただきます。1974年生まれ。現在埼玉県入間市在住。一橋大学卒業。信濃毎日新聞入社。

 2002年3月休暇をとられ、アフガニスタン取材。同年12月休暇を取りイラク取材。
 2003年1月退社し、フリージャーナリストとして独立。

 同年2月イラクへ「人間の盾」の人達とともにバクダッドでの空爆を取材されています。
 同年10月「戦後」を取材するためにイラクへ行かれています。
 2004年3月イラクへ。4月14日ファルージャ近郊で武装勢力に拘束される。
 4月17日解放されました。

 現在日本全国各地を講演されています。今日高知へ来ていただきました。それでは安田純平さんよろしくお願いします。

 安田純平氏講演会 音声が聞けます
 こんにちは。安田と申します。よろしくお願いします。えーと今日は大勢来ていただきましてありがとうございます。
 私は拘束されましたは4月でした、私の中では既に昔の話なんです。こんなに大勢来ていただきまして本当に感謝しています。

 先日24歳の青年がイラクで亡くなられました。非常にびっくりしました。何とかなるのかという気はしていました。1日伸びましたよね。1回遺体が発見されたように報道が流れて違ったという訂正がありました。長引くかなという気もしていまして・・・。

 私たちの最後の寄りどころは、日本政府とも米軍とも関係がないところである。ということで、何とかなるかなという部分です。今回はそこも通じなかったという非常に厳しい情勢になっているなという印象を受けています。
今回は、前回の3人なんかと比べまして、「冷ややかな」扱いが印象にありまして、雰囲気がありました。本当に「旅行者である」と判った瞬間に、「急に引きました」よね。
 前回というのは、ボランティアとか、ジャーナリストということで「良いことしているから良いじゃないか」というような雰囲気があったようですね。
 良い事しているかどうかで、「助けるべきかどうか」の気分が変ってしまう。実はそれは拙いですよね。良いのかどうかを、勝手に決めてしまうわけで・・。
 前回も私らの身内のなかでは、報道の仕事をしていたので、大義名分がある。だけども、バックパッカー、旅行者だった場合は、どうなったんだろうという話しもしていました。
身内のなかでは。
 それが、今回まさにそういう事件でして、予想どうり冷ややかな反応が凄く多くて残念だなと思っています。いい事をしているとか。役に立つのかという部分は、人の価値を判断するというのが、まず大前提として、非常に問題ですので、そのことで、しっかり考えなくてはいけないですね。
 前回は良いことをしているので、擁護しようという雰囲気になってしまった部分があるので、本当に良いことをしているのか。批判をする側が、「あんなボランティア」「あんなジャーナリスト」というバッシングですから、表裏だったんですよ。

 それが今回は、「良くはない」と言う人がすごく多かったんで、反応も冷たかったなと言う気もしています。前回の「自己責任論」、自己責任論って良くわからなかったのですけれど、端的に言えば、「迷惑論」だったわけですね。

 迷惑だ。それに対して良い事をしているから迷惑じゃない。ということになったんですけれど、今回は良い事だと反論をする人があまりいなかった。それ(迷惑論)に対する反応も弱かったんだと思います。

 だから良い事をしているかどうかの判断論自体が、「自己責任論」そのものなのですね。
という事の総括を前回していなかったのが問題かなと思います。ということで、旅行者であろうが、なんであろうと、勿論本人の準備やなにやらはありますが、準備不足を批判するのはそれはそれとして、死んでしまったからしようがないというのは別問題。その部分は整理をしなくてはいけない。
 そもそも今イラクにはジャーナリストは殆どいないんですよね。メディアは殆どいません。自衛隊のいるサマワの周辺には1人もいません。今回の事件の関係で自衛隊の映像が流れましたが、画面のどこかに「陸上自衛隊提供」と書いていましたよね。
 一昔前なら「大本営発表」と言ったんですよ。そういうのは。普通に流れているのでいるわけですので、旅行者であろうが、なんだろうと「現場を見る眼」があるということは凄く意味があることと私は思っています。
 旅行者か、ジャーナリストの違いはと言いますと、ようするに発表するかどうかの違いです。現場へ行きまして、ジァーナリストが発表出来ずに帰る場合もありますので、何が違うのかと私は思うんです。
 逆に最近は、3週間前に発表された雑誌、大学生が発表しました。バクダッドの写真を撮って流していました。大学生でも良い訳ですよ。良い写真を撮って来れば。それは大変な情報な訳で、それは大事な意味があるわけですから、目的について、問うのは殆ど意味がないんじゃないかと。
 課題の部分は準備の部分ですね。本人の課題を検証するとすれば。原始的な部分ですよね。技術。すごく準備をして入った旅行者だったら、別にいいわけではないですか全然。準備していなジャーナリストだったら、事件に巻き込まれますので、目的には関係ないわけですよ。
 そういうところをちゃんと整理しなければいけないところで、旅行者かどうかで判断することは、馬鹿馬鹿しいというか。ジァーナリストが行かない場所に、旅行者がほいほいと入っていきますので。大変な経験をして帰ってきますので、少しでも帰ってから、何人かでも話しをすれば、良いと思うんですよ。
別にマスメディアで発表しなくても、何人かに現地の様子を伝えればそれで十分じゃないですか。それでも大きな意味があるわけで、「現地を見たいのだ」と、全然報道なんか流れてこない中で、政府も参加している戦争で、ものすごく人が死んでいる現場を自分で見たいんだと。言う気持ちは非常に共感する部分です。
 そういうものすら否定をしてしまいますと。何が起きているか、わからなくなってしまいます。目的のところを問うのは良くないと。しつこいですけど。
 
 やはり問題は、日本人だけでなく、外国人だけでなくても、イラク人も生活厳しいんですよ。それは市内でも戦闘が起きていますし、イラク人も誘拐なんかもされるわけですよ。金銭目的とかで。
 非常に治安が悪くなっていて、現地の皆さんもなるべく外出をしないとか。いう状態になっているわけです。ですんで、危険な場所に行ったと言われていますが、危険なのはまずイラク人にとっても危険なのですね。
 10万人という数字が、さっき出ましたけれど、まず大変なのはイラク人ですよ。それをやっているのはアメリカ、イギリス中心ですが、ずっと支持しているのが日本です。

 世界の主要国の中でも、ずっと支持しているのは日本です。非常に大きな意味があるわけです。アメリカ、イギリスは孤立はしていないんだと。世界の中でも地位がある日本もいるんだ。ということは、非常に意味がありわけで、完全に(日本は)参加しているわけですね。日本というのは。

 戦争が始まる前から、戦争を支持しています。「戦後復興を担当する」というのを戦前から言っていますから。戦後復興というのは、占領した国がしなくてはいけないのが戦争のルールですので、戦後復興を担当すると言った瞬間に、戦争の後ろを担当すると言っただけですんで、普通に考えれば、参戦ですよね。

 戦争というのは、どんぱちだけが戦争ではありません。戦後復興も含めて考えるべきであって、日本というのは参加しているわけですね。ま、そういう状態のなかで、つくられたのが、今のイラクの状況です。

 10万人という数字もありますし、イラク人がまず生活が厳しいという状況があります。前回3人が捕まりましたけれど、やはり現地で、米軍がものすごく空爆なんかする中で、地元の住民は生活を守る一貫のなかで、入り込んで来た部外者を捕まえた。
 私らのケースも一緒ですね。

 そのなかで、3人の行動について議論をしたのが、「自己責任論」ですね。でもその話と現地でイラク人が一杯死んでいるということは別問題なのです。わかりますかね。
 本人が行くのが良いとか。本人の話しではなくそのことと、人が一杯死んでいるんだという事は別問題です。ちゃんと議論をしなくちゃいけなかったですよね。

 

 当時3人の解放の仲介をしたイラク・イスラム法学者委員会の幹部の方が、当時「今回の解放は日本政府に対してではなくて、日本の市民への贈り物である。」と言い方をしました。


 それに対してどんな風に受け取ったのか。その後イラクでは厳しい状況が続いていて、どんどん人が死んでいっています。現地では彼らは、米軍とも日本政府とも関係ない、普通の民間人であるということで解放したんですよね。

 それに対して日本に市民としてどうしたのか。ということで。その後もイラクでは民間人が死んでいますからね。前回の事件があった後、イラクでこれだけ民間人が死んでいるよいう状況を言うところをしっかりと議論をしなければいけなかった筈なんですよね。

 それがまあ半年以上の間、なんとなくで来ているうちに、更に現地の情勢が悪くなった。まあ今回のような事件に至るということです。前回の事件をしっかりと総括しなかったつけが、今回出てしまったのかな。という気がしていまして、ひじょうに残念だなと思っています。

 その例によって、小泉政権の皆さんは、「非常に残酷な事件であって、やはりテロとの戦争を続けなければいけない。」と言っています。イラク戦争はいつから「テロ」との戦争になったのか。

 最初はアルカイダとの関係を言い出されて、全く関係ないことがわかりました。大量破壊兵器と言ったわけですよね。だから始まる前からテロとの戦争ではなくなっていましたですよ。その後の報告でも、(イラクのフセイン政権は)、ビンラディンとの関係は全然なくて、大量破壊兵器も見つからないという状況になっています。

いつから「テロとの戦争」になったかよくわからないですよね。今回のような事件が起こると、やはりテロだというので、テロとの戦争にすり替わっていく。その辺がこれまでの流れも含めて、ちゃんと「筋を通す」風に、考えておかないと。

 「確かにテロはいけない」と思い始めると、やはりテロとの戦争はすべきだ。と単純な発想になってしまいます。そこは気をつけないといけないのかなと思います。

 
 今回のような事件、民間人を殺害するような事件、わたしは犯罪行為だと思っています。ですので、取り締まるべきなのですが、戦争にしています。例えば街中の何人か容疑者がいる時に、通常であれば、本来警察力が入って、そこから容疑者を捕らえ、裁判なりするのが本来の筋ですね。
 それを「雑踏にミサイルを撃ち込んでいる」のが今の状況です。一杯死んでいるわけですよ。それで関係ない皆さんが、今度来たら自分達を守らなくてはいけない。ということで、関係ない皆さんも抵抗(米軍に)し始めるわけですね。
 どうしようもないじゃないですか。それにまたミサイルを撃ち込む。悪循環ですよね。警察力を動かすためには、地域住民の協力が必要なのですよ。地域住民が徹底的に殺されている中で、抵抗しないと自分らの生活ができない。と状況になってしまっていますから、地域住民の信頼というのが、完全に崩れ去っています。
 そういうなかで泥沼になっていますね。テロとの戦争ということを言い続ける限り、ミサイルをどんどん撃ち込んで、どんどん抵抗する人間をつくる。泥沼になる。
 テロとの戦争をやろうといっている限りは、絶対に解決しない。そこのところをしっかり考えなくてはいけない。
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