安田純平さん講演会 その2
 
 そのハナキンの町からイラン側に抜けていく国境をしめす表札がある場所ですね。この間入って行きますと、国境審査の役人の90人ぐらいはクルド人です。案内してくれます。すぐそばはイランであると。
 ホメイニ師の顔があります。近くまで行きますとイラン側から文句を言われるから、遠くからこっそり撮れと言われました。それが写真でそういう場所です。
 今現在イラクの政府、今年の1月(2005年)に選挙がありまして、正式の政府が来年度以降発足するまでの移行政府というのがあります。暫定的なものですが。
 1月に選挙があってイスラム教シーア派のアラブ人とクルド人が中心になって政府をこしらえています。この間にいろんな人が出てきましてわかりづらいと思います。基本的にイラクの暫定政府はシーア派のアラブ人とクルド人が中心になっています。
 そのなかで、イスラムシーア派のアラブ人と、クルド人のなかで、同じ政府のなかでもいろいろと内部での争いが起きているらしいです。という話を聞きました。
 いろいろ聞いていますと国境審査のトップがクルド人です。職員もほとんどクルド人。首相を務めているイスラム教シーア派のアラブのジャハリ首相は、その首相はそのトップを取り替えようと。自分の子飼いのシーア派アラブの人に取り変えようと。送り込みますが、クルド側でその都度拒否すると。繰り返しています。

 講演会の様子です。当日は師走直前。イベントが行使しない多く、集客が心配されていました。しかし200人を超える市民が参集いただきました。

 誰も最後まで帰ることなく、参加されていました。

 そのなかでなんでクルド人が制圧しなければならないかと。ジャハリ首相は10数年間イランに居た人なんですね。フセイン政権下のなかでは打倒フセインということで、イランのなかで潜伏していました。そういう人ワケでした、彼が国境の管理までしだしますとイランとの関係が深くなり、ひじょうにに良くないと。
 そうクルド人側は見ています。クルド人は警察官の言い分なんですが、国境線を越えてイラン人がシリア人を2人連れて入ってきた。銃で武装していて3万ドルの現金を所持していたという話をしていました。

 事件はイラク中で起きていまして、イラク警察というのは、イランの諜報員、簡単に言えばスパイを相当数拘束しています。ジャハリ首相というのはイランの諜報筋とも関係が深いと言っています。このことをクルド側ではひじょうに不満に思っています。
 その裏づけがなかなか取れませんので、捜査記録などがあれば、入手していろいろ動けるのですが。ひとつ言えることは、政権のなかでの確執が、起こると。ことは言えるのかなと。
 政府が発足して政治日程が消化され、イラクが落ち着いているように見えますが、実は裏でいろいろとやっているようです。クルドの役人に言わせると、イランの情報筋が、関与した爆破事件が相当あるんではないかと言っています。
 要するに悪の枢軸(アメリカの言う)イランが、核開発問題も含めてアメリカを中心に非難されています。そのなかで、よくイラク人が,「イラクが混乱して米軍が泥沼状態になると、イランに対して武力攻撃なんて出来なくなる。」と。イラクが混乱して一番喜んでいるのは、シリアとイランであると。米軍がイラクに貼り付け状態で
泥沼状態になれば、周りの国は戦争ができないと。

 ですので、去年の爆破はクルド人に言わせるとイランが関与した現われだと。
クルド人が国境審査を統括していますけれど、その所属はイラクの中央にあるイラク内務省。そういうわけなんでも(この地域に)1割弱しかいないアラブ人に身分証明書が発行されましたが、クルド人には未だに発行されていません。
 トップがシーア派のアラブ人になってしまえば、アラブ人の役人が一杯入って来ます。そうなりますと「以前のアラブ化政策の状態になるのではないか」と心配しているです。クルド人のなかにも、アラブ人に対する不信感が根強いかなと思います。
 この「文脈」があるところも爆破だったのですね。クルド人が多数住んでいるところの地域で起こりました。ということなので、スンニ派とシーア派との争いを起こそうとしてよくある話の流れとは考えにくい話でしょう。
 

安田純平さんの説明では「あちらはイラン国境だ」と市民が説明されている写真です。

 講演会風景より。

 だから国境上の重要な町で、クルド人が住民統治を含めて管理をしている。そういうところで大きな爆破が起こった。これはクルド人の自治がしっかり出来ていないのではないか。と再びアラブのシーア派アラブの軍勢を送り込んでくるという流れはひじょうにわかりやすいのではないでしょういか。
 そういう文脈で、考えていきますと、裏に誰がいるんだろうなと。いろいろと想像出来てしまいます。なかなか裏が取れないので、まだはっきりとは言えません。
 現地情勢は歴史を含めた流れから、事件を見ていないといわゆる「ステレオタイプ」な「毎回同じような、宗派同士の争いですからこうですよ」という言葉に流されかねないので、どんな現地の情勢の流れとか、わからない部分がありましても、わからないでおくのはひじょうに大事なのかなと。
 わからないものはわからないのでして、「スンニとシーア派の争い」{アルカイダの仕業」と判った気になるのが一番危険なのではないでしょうか?
 一歩引くことが大事なのかなと思います。
 そういう場所なんですが、アラブとクルドの行政区域があります。フセイン政権が崩壊しまして、クルド側が押し込みましてので、少しずれています。
 このハナキンの近くでどこかといいましと、こちらにリフォーというのがありまして、この交差点にダラウラーという町がありまして、検問所があります。通過できますけれども役人が見張っています。
 シーアのアラブの首相のジャハリ首相が兵隊をどこから追い払ったのかはっきりはしませんが、ひとまずアラブのクルドの境目へ行ってみようと、運転手と通訳と合意しまして、行きました。車のなかからこっそり写真を撮りました。検問所が境目になります。
 通過しまして、100メートルか200メートル行って確認して、いざ引き返そうとしまうと、右側通行なのに、車が寄って来まして、「止まれ」と言われました。
 私服のおじさんが3人降りてきまして、運転手に何か言っていました。クルドの情報機関でした。イラク政府というのがあるのですが、それとは別にクルドの自治政府があります。情報機関、スパイがいるわけです。クルド側に返されました。怖くないから来なさいとか。
 禿たおじさんとか、普通のあまり綺麗でない服を着ています。普通のひとがしています。この引き返して国境を越えたところで、イラク警察が来まして、でかいピックアップトラックと4WDの車とパトカーが3台来ました。10人ぐらいで来まして回りを包囲されました。
 クルドの警備官とやりやいをしているようです。ああだこうだと。最終的にクルド側になりました。彼らによりますとイラク警察が「よこせ」と言う話なんですね。
 イラク警察はスパイかもしれないから捕まえて、こちらのジアラという州のバクバに送るんだ。それからバクダッドに送るんだと。という話なんですね。

 バクバというのは激戦地のひとつでして、しょっちゅう爆破のニュースが出来てきます。バクダッドもしゅちゅうですね。そういう話を聞きますとそうやってバクダットまで送ってくれたらと思い、なんで帰ってしまったんだと思いますが、イラク政府というのは、自衛隊にいて欲しいと毎回言っています。
 アメリカとか日本とか大国の後ろ盾がないとやっていけない政府です。それが日本人をみた瞬間に「スパイかもしれない」と言うのはどういう発想なのかと思いますね。
 クルドの情報機関に言わせますと「奴らはテロリストなんだ。」と。その警察署や米軍基地の爆破がたくさん起きている。どう考えても全く内部の情報なしでやれるとは思えない。内通者がかなりいるだろうということは言われています。
 イラク警察は。仕事のない人が入っている人が多くいます。現金目当てで、外国人を捕まえてそのまま売り渡すことも事件も相当あるらしいです。そういうわけで、スパイ容疑でバクダットに送るとは言いながら、彼らがテロリストにお前らを売ろうとしていることで、俺たちはお前達を保護してやったんだ。というのがクルド側の説明でした。
 実際、荷物の検査もされましたが、デジタルカメラの画像のチェックなどは一切なかったです。あまり厳しくなかったです。情報機関のなかに知り合いがいる。それから通訳もあちこち役人に知り合いがいるので説明はつきました。それほど厳しい詮索はされませんでした。
 イラク警察の中にもクルド人もいます。そのなかにクルド人の勢力も入っているわけです。普通このクルド人も入っている政府の警察と、クルドの情報機関との揉め事がある。相手がテロリストと繋がっていると言ってしまう様な事で、やはりイラク政府と言いましてもその関係はかなり裏で争いをしているんだなという実感でした。
 1時間ぐらいですけれどもイラクでまた拘束されたわけです。まあ捕まっている間も日本人かという感じでスタッフがぞろそろ集まってきます。一つの部屋に15人ぐらい来ました。そんなに雰囲気が悪くなかったのと、さっきの「ID新聞」(安田純平さんが2004年に拘束後記者会見の記事が掲載されていた現地の新聞)を出しまして、{前にもこんな目にも会いましたが、新聞に書いてあるようにちゃんとした記者ですよ」と見せますと、皆すごく喜んで「お茶でも飲めよ」と言う話になりました。

 和ませつつ「ここは危ないから来ちゃダメよ。」と言われて返されました。このバクダットの近くまで80キロまでは近づけましたが、それより先は厳しいのかなと思いました。
 隠密で行くか。もしくは飛行機でバクダッドへ入るか。しかないかと思います。バクダッドに飛行機で入るとなりますとビザが必要になります。ビザはなかなか出してくれません。
 宗教とかいろいろ聞かれます。イラクで誰に連絡を取るのか。そんなこと言える訳ないではないですか。という言いたくない項目が一杯ありまして、少しも反応がない状況です。
 恐らく役人によると、860人捕まっているから、ビザが出るという噂もありまして、まそうそいようかなと思うのですが、今の政府が出したビザを持っているということは、今の政府が認めているのですから、今の政府と対立している人には通用しません。国境を抜けるときは良いのでしょうが、その先はない方がいいかもしれない。
 どういう人に連絡して、身柄をどう隠してもらうかとか。そういう筋が出来ていませんとバクダットとかには入りにくいのかなと思います。
 もしくは護衛をつけてということでしょうか。2つの方法になります。空港からホテルに入る前は、護衛をつけて重武装して入って行きます。

 説明調になってしまいましたが、イラクの中がそういった争いあっているんだとというところを気をつけていただくといいのではないのかなと。
 まそういう流れになってきます。イラクの政府はシーア派の政府。イランにずっと住んでいて間違いなく繋がっている(イラン政府と)んだろうという人がイラクの首相になっているんです。


 もともとこの戦争を引き起こしたアメリカは、イランのイスラム革命のときに。アメリカ大使館占領事件がありまして、国交を断交しています。イランは「悪の枢軸」なんですよ。その「悪の枢軸」とひじょうに仲の良い人達がイラク政府をつくろうとしています。

安田純平さん
*悪の枢軸発言(あくのすうじくはつげん)とは、2002年1月29日の一般教書演説でアメリカ合衆国のブッシュ大統領が、反テロ対策の標的として北朝鮮、イラン、イラク(フセイン政権)の3ヶ国を名指しし「悪の枢軸 (axis of evil)」と総称して批判したもの。
これら3ヶ国は大量破壊兵器を保有し、世界に脅威を与えるテロ支援国家とされた。
 そういうことをアメリカがなんで放置しているのか。というところがひじょうになぞのところです。スンニ派を中心とした反米武装勢力と争っているシーア派まで敵に回すわけにはいかない。という理屈になるんでしょうけれども、イランと関係が深い政府を見過ごすということはどうなのかなと思います。わからないところがありますね。
 シーア派の政府をつくれば良いのかと言えば大間違いで、アメリカがそのまま見過ごすとは思えません。このままでは次の違う混乱が起こるかもしれないので、そのあたりは注視していかないといけないところです。
 考えられるのは、イラクの新しい憲法が出来ました。民族の争い、宗派の争いがあると。連邦制も考えられていまして、今のアメリカのようにそれぞれ統治をしていただいてひとつにまとめると。そのなかでクルドの連邦、になるわけですが。
 中部と首都に近い地域は米軍がいないと治まらない。南部は南部でイランと関係の深い人々が、独自の地域をつくろうとしています。そうなりますとアメリカが石油をコントロールしようとしているイラク戦争の目的は、どうなってしまったのかなと。
 本当に石油を確保するつもりであれば、イランと関係の深い政権が出来ることはどうなんかと思いますし、そういうぐあいに考えますと、それぞれの勢力が牽制しあいながら、それぞれに自治をやっていくという国になった場合に、どちらも分裂に近い形になります。
 中東の中に石油もあってひじょうに力も強かったイラクという国が弱体化するわけです。そのあとアメリカと関係の深いイスラエルにとってはひじょうに好都合の状況が出来ます。石油なんてあと何10年もなく、ほとんど近じかに涸渇します。
 でもそれでも抑えられれば良いのですから。混乱状態であれば良いぐらいの余剰があるのではないかという気がします。
 ひとまず混乱状態が終わればいいという。そうなった場合アメリカにくっついていこうという世界各国にアメリカは工作し、日本はアメリカに当初からくっついてきました。
 と言うことですよね。アメリカにくっつけば石油の確保も含め、良いだろうと思いきや、アメリカはそこまで考えていなかった場合、あてが外れて日本はどこまで行くのかということになりますね。
 アメリカについていけば良いという中東外交になってしまったのはひじょうに拙いのではないかと。
 このイラク人と話していますと、本能的に日本が好きとか言っています。30代までの人たちには。1970年代、80年代は日本とイラクの関係は良かった。アメリカとイラクの関係も良かったです。
ヒロシマが米軍の原爆で罹災したことは中東の人たちは良く知っているようです。
 イランとの関係とのなかで、敵の敵を味方すると言うことで、アメリカとイラクの関係は良かった。1980年からイランーイラク戦争が始まり戦争状態になると。欧米企業殆ど帰ってしまいました。危ないと言うことで。
 その中で日本企業だけは根性で残りまして、高速道路をつくるとか、ずっと事業をイラクの中で続けてわけです。
 そこで爆撃があるは、戦闘機が飛んで来るなかで、工事を続けてきたお陰もあったのかなと気がします。現地のイラク人にしましても日本人は信用できる。ひじょうに技術も優秀ですし、1980年代はひじょうに日本は信頼された歴史があります。

 イスラエルとパレスティナ問題もありまして、イスラエルと関係の深いアメリカにはひじょうにきつい感情的なものもあります。そのアメリカは日本に原爆を落としたということで、アラブの皆さんとしては、アメリカに原爆を落とされた日本と、イスラエルに押さえつけられている自分達を重ね合わせてみていまして、日本人にたいする親しみを持っていました。
 
 そういったアメリカにやられた国の人々が、ひじょうに優秀な車であったりして、お金があれば日本車を買いたいんだと言います。タクシーに乗りますと、本当にこれ86年モデルだとか言う日本車がちゃんと走っています。
 このエアコンまでつくんだと言いまして、これだけ走ってエアコンが動くのは日本車ぐらいだという現地の人の信頼まであります。
日本の工業技術は世界水準。敗戦国でありながら、世界水準の工業国である日本は中東の人々が親しみを持っていただいておりました。
 それぐらい親しまれていました。日本を含めた多くの外国人が人質になりました。日本への情報提供はトップクラスでした。それだけ能力が日本にはありました。
 それがだんだんと崩れてきまして、ひじょに親しみをイラクに人たちは持っていましたが、アメリカについてくる国という国になってしまいました。くっついてきたアメリカはどういうのかと言いますと、秩序保とうきがあるのかと言う状態ですので、くっついた日本はどうなるのかと思います。
 やはり中東の中でひじょうにおおきな問題は、パレスティナ問題です。ユダヤ人に住まして国を作らせたという問題です。ヨーロッパとかアメリカはユダヤ人問題に関与ししています。中東問題は傍観者でいられない立場です。
 日本はその点何の関わりもない立場でした。特殊な立場あって、ひじょうに中東ですかれている。イスラエルとも関係も良かった。ひじょうに良い位置にあったのです。
 その日本が外交とか技術の確かさで地域の信頼を日本は得ていましたが、アメリカ側についてしまった国ということで、それが台無しになりつつあり、もったいない気がします。
 ま、そんな具合です。