安田純平さん講演会 その1
2005年11月26日 高新文化ホール
司会 今から「安田純平さん講演会」を開催したいと思います。それでは今回の講演会の主催者を代表いたしまして、「安田純平さんを高知へ招く会」の代表である松尾美絵より歓迎の挨拶をいたします。
松尾 皆さまこんにちは。「安田純平さんを高知へ招く会」を代表いたしまして、松尾美絵より一言ご挨拶を申し上げます。
 今日は、師走もまじかに迫り、いろいろなイベントもある中出、本当にお忙しい中、講演会においでくださいまして、本当にありがとうございます。
 日本は平成の前の昭和の時代、戦争が15年続きました。その反省から平和な社会を創るため。人類への希望と決意を示す為、憲法第9条を軸にした日本国憲法をつくりました。
 私自身は軍隊を否定し、国の交戦権を認めないと言う理想を掲げた現在の「日本国憲法」の下で、この先もずっと暮らして行きたいと願っているものです。憲法については様々な意見があります。賛成か反対かの2者択一ではなくて、異なった考えや思いを、お互い理解しあうことが一番大切であると思います。
 昨年の11月6日にも安田純平さんに高知へ来ていただきまして、「イラク現地報告会」を行いました。それからちょうど1年が建ちましたが、日本の情勢は急激に変化しています。小泉政権は国民への増税、医療や福祉への生活面への自己負担を、持ち出す一方で、在日アメリカ軍と自衛隊との軍事同盟の強化を図り、アメリカ軍基地の大幅な再編を進めようとしています。日本の自衛隊を駐留続けているイラク現地、周りのイスラム諸国も日本を見る目は一体どのようなものでしょうか?
 マスメディアはイラクも含めまして様々な情報を伝えてはくれますが、一つの真実にはたくさんの事実の断片が流動的に組み合わさっています。情報を発信する側の意図もあります。
 また抜け落ちている情報もたくさんあります。私たちは情報を受け取る側として、あたかもジクソーパズルのごとく、全体を予想しつつ、部分部分でもより的確な判断が必要であると思います。
松尾美絵さん
 このような「メディア・リテラシー」についてもジャーナリストである安田純平さんご自身がいろいろ思うことなど、お聞きしたいと思っています。
 そして平和とはどういうことなのか。戦争とはどのようなものなのか。またイラクに日本の軍隊が駐留することは日本の国民にとってどういうことなのか。などなど私は、自らに問い続けて行きたいと思っています。
 その一つの機会としまして、昨年に引き続き安田純平さんを再び高知へお招きいたしました。お手元もアンケートですが、おかまいない範囲で協力いただきましたら嬉しく思っています。
 そしてこれからの日本の未来をどのように描き、イメージしていくのか。皆さんとともに考えながら、手を繋ぎあって、この先の明日への行動を探って行く事が出来ましたら、幸いです。
 それでは安田純平さんよろしくお願いします。
司会 お待たせいたしました。それでは安田純平さんの講演会を始めたいと思います。安田純平さんよろしくお願いします。

 安田純平さん講演会

 こんにちは。安田と申します。よろしくお願いします。
 ちょうど1年前にこちらへ伺いしまして、講演をさせていただきました。前回は、昨年イラクにて地元の連中に拘束され、3泊4日ほどしまして返されました。その当時の話を中心にさせていただきました。
 今回は今月の19日(2005年12月19日)まで、イラクのクルド自治区方面へ行っておりました。イラクの北部へ20日間入っておりました。その地域を中心に今現在のイラクの状況をお話させていただきます。
安田純平さん
 今日の会場が高知新聞ということで、以前私は6年間ほど長野県の信濃毎日新聞の記者をしておりました。こちらで(高知で)臓器移植が始まったことで、肝臓が長野県の松本市にある信州大学へ来ました。当時私は松本にいまして、ずっと病院で張り付きまして、徹夜で仕事をしておりました。そういう記憶があります。
 今日は高知新聞のほうにイラクの連載をされている記事を拝読しました。ひじょうに勉強になりました。ちょうどわたしの居た時期の少し前に行かれていたようで、イラクの北部のスレマニアという町で、爆破があったという記事もありました。このときちょうどわたしがイラクに入った頃でした。爆破があったということも聞いていました。
 本当に全く同じような場所に行かれていたと思い勉強になりました。ぜひ読んでいただくといいなと思いました。
 前回は拘束中の様子を中心にお話させていただきました。本当に拘束中は写真は撮れませんでしたので、わたしが見てきた様子と、連中(拘束した者達)が喋った様子をわたしが表現する事で、想像していただくという講演会でした。
 今日はなるべく写真を出せるようにしたいと思います。
 昨年拘束されて以降、今年の8月にイラクの横のシリアとかヨルダンに行ってきまして、拘束される前にお世話になって皆さんに再会するとかしまして廻っていました。
 ヨルダンで以前の新聞をもらってきました。わたしが拘束され解放された翌日に、そこで記者会見をした様子が日本でも流れました。そのときの新聞がありましたのでもらって来ました。
 イラクなどで誰かに会いますと、「俺はこういうものだ」と名刺代わりに見せました。そうすると皆さんよく覚えておられまして、「そうか」という話でなごむというがあり、ID代わりに使わせていただきました。
 同じようにID代わりに使われていますのはこの布です。前回講演の際も実演させていただきましたけれども、拘束中に目隠しで使われたもので、現地人が被っているものです。
 それで覆面のしかたを{武装勢力」と言われる連中に教わり身に着けました。現地で寒い時とか、バスの中などでは寒いので覆面などをしますと喜ばれました。そういうところでも場が和むと言いますか、せっかくなので、しつこくもう一度やります。
 安田純平さんスカーフ状の布を取り出し,「武装勢力」スカーフを披露されました。

 大きな布です。こうやってかぶります。正式なものですとこれを前にしまして・・。
こうしますとあっという間に武装勢力になってしまいます。(笑い)
 本当に暖かいので冬にいかがかなと思います。風がきても大丈夫なので自転車に乗るといいのではないかなと。(笑い)気がします。
 こんな調子で被るのと、上をこうして挟むと、このまま普通に帽子の様になります。後まち部分を操作しますとお洒落になるとか、やる人によって工夫をすれば良いと思いますよ。

 暑い日でも寒い日でも帽子代わりになりますので、いいかなと。たとえばこちらから日が照っていれば一方から日が照っていれば一方から垂らせば日陰になりますね。
 寒くなれば、このように覆面にします。(会場驚きの声)。覆面になりますので大掃除の日などには良いのではないかと。これを後ろの会場受付にて販売中ですので。

 (安田さんが現地から購入されましたスカーフですが完売のようでした。)

 と言う風に現地の人たちと仲良くやってきたという具合です。
 そのイラクの国ですが、真ん中にバクダッドがありまして、前回拘束されたところは、この辺です。今現在イラクに入るのはひじょうにめんどいのです。
 そのイラク政府が一応ありますので。ビザがないと入国できません。正式にはビザがないと入れません。というなかで大きく分けまして、アラブ人と、クルド人という民族が住んでいます。
 クルド人が住んでいるイラク北部は、クルド自治政府というのが、10数年続いています。国境審査も独自にしています。そういうわけでビザがなくても入国できるというところがイラク北部にあります。
 そういうわけで、イラクに向けて国境を越えられるということは、もっと先までいけるのではないか。そういう説もありまして、一応私は、もともとバクダットとか、戦争当時から入っておりまして、やはり首都の状況というのが、見たいなというのがわたしの目的でした。
 今回はどこまで行けるんだろうかというのが是非と言うか、調査みたいな具合で入って行きましたところです。日本へ帰国したのが12月19日なのですが、モスクワを経由して帰って来ました。モスクワで14時間も空港で雑魚寝をして帰って来ました。
 その間にイラクでまた爆破事件が起こっておりました。北東部のハナキンというところの町で爆破という記事が載っています。イラン国境に近いハナキンのイスラム教のモスクで爆破。約77人が死亡と言うひじょうに大きな爆破事件でした。
 
 安田純平さんのblogの記事に詳しく書かれています。

http://jumpeiblog.air-nifty.com/atama/2005/11/post_d99d.html

安田純平さんのblog

http://jumpeiblog.air-nifty.com/atama/

 ここにバクダットがありまして、イラン国境があるのはここです。
 ハナキンという町でここで爆破があったというニュースです。それで18日の金曜日です。1週間前にわたしこの町にいました。ひじょうにびっくりしました。
 新聞記者というか、ジャーナリスト的感覚で言うと、もう1週間現地にいればとか、1週間早く爆破が起きていればとか。不謹慎な発想になります。
 本当にわたしが行っている時期は、現地の人に聞いても、警察に聞いてもこの町はまあまあ安定している時期でした。それが一瞬で変ってしまうというのが、現実です。
 ニュースを見ていますと、イスラム教シーア派のモスクとあります。イスラム教は大きく分けて、スンニ派とシーア派になります。世界的に見ますとスンニ派が中心です。シーア派はイランがシーア派。イラクの南部がシーア派です。イラクの全人口の6割ぐらいはシーア派になります。
 イラクではスンニ派とシーア派で争いが起きている。と報道されています。今回の記事についても、爆破についても、スンニ派とシーア派との争いを起こそうとの狙いだろうとの記事が目立ちました。
 おそらくこれはアルカイダの仕業と見られる。モスクを狙った爆破というのは。そして声明を出していると。それから9月にイスラム教シーア派を狙った攻撃をするという声明を出したので、アルカイダの仕業とみられるというひじょうに乱暴な記事を書いています。
 だから、前にも同じ爆破事件を起こしたことがある。それから、シーア派を狙った爆破だ。だからこれはアルカイダだろう。なんていうか推測も良いところの記事も書いていまして、イラクの記事は推測が目立ちます。結果として、犯行声明が出るかもしれませんが、結果として合ってればいい。という記事は困るわけです。アルカイダと見られるのであれば、それなりの事実関係を出してきてもらわなければ困るわけです。
 イラク報道は、特にこのような憶測で、ひじょうに「ステレオタイプな」記事が多いなと感じるところです。それから別の新聞では、シーア派とクルド人が住んでいる町だと。それでびっくりしたんですけれども、さっき申し上げましたが、イスラム教の宗派で、スンニ派とシーア派で大きく分けていると。
 クルド人は、民族ですよね。だからアラブ人なのかクルド人なのか。実際この地域に住んでいる人たちは、シーア派のクルド人です。殆どが。シーア派とクルド人がよく住んでいる意味がわからない。という文章になっています。
 イラクは北部にクルド人、南部に主にアラブ人が住んでいる。クルド地域とすれば独立したい。イラクの中に300万人ぐらいクルド人はいます。2500万人のなかで300万人ほどの民族がいると。
 イラク政府とすればクルド民族に独立の方向に行ってもらうとひじょうに困るわけです。弱体化してしまいます。そういうことでなんとか抑えようということで、弾圧してきたということです。
講演会の様子です。  

クルド人というのは世界最大の少数民族と言われています。2000万人ほどいます。イラン、イラク、トルコ、シリアと国境線で別れてしまいました。それでみな少数民族になってしまいました。そういう民族です。


 イラクのフセイン政権も弾圧をしました。この中で湾岸戦争以降、クルド自治区をフセイン政権が攻撃したと言うので、その上をイラクの飛行機が飛んではいけないという飛行禁止地区をつくりました。クルドの自治政府とイラク政府は別々の行政単位をつくりました。議会と軍をもちまして、きました。

 さきほどハナキンという町は、クルド地域に入っていないのです。でも住んでいる人は殆どクルド人という町です。自治政府をつくる段階で、この地域のクルド人を入れなかったのですね。
 もうひとつキルクークという町がここにあります。こちらももともとクルド人がひじょうに多かった町です。そこもクルド自治政府に入っていませんでした。どうしてかと言うと、キルクークというところは、イラクでも最大級の油田があるからです。
 それからこの州はバクダッドに近くて、ひじょうに大きなイランとの国境にあります。重要な場所であります。もともと石油の精製所があり、クルド人のたくさん住んでいて油田地域ですので、どちらもクルド地域には入れさせないと言う政策を従来からフセイン政権は取ってきていました。
 
 アラブ人をたくさん住ませまして、クルド人を追い払いまして、アラブ化政策を推し進めました。それが2003年の7月にフセイン政権が崩壊しますと、クルド勢力が奪回に走るわけですね。その後ハナキンにつきましては、フセイン政権が崩壊した7月9日にKGK(クルド英国同盟というクルドの政党が町を制圧しました。
 そういうことで、フセイン政権崩壊まではアラブ人がフセイン政権が統治していた町ですが。今現在はクルド側が統治しています。市長などもクルド人です。
 国境審査もクルド人がしています。という町です。そういう場所で起きた爆破でした。シーア派のモスクが爆破されたので、あたかもスンニ派とシーア派の争いをつくる爆破のように見えますが、シーア派のクルド人を狙うということは、イスラム系シーア派が狙われたと感じるよりは、クルド人が狙われたと感じるようです。クルド人というアイデンティティや歴史意識をもっている人が多いようです。
 そういう場所をわざわざ狙うのはなんのためなのだろうか。本当にスンニ派とシーア派の争いを作りたいと思っているのであれば、こんなややこしい場所を爆破してもしようがないわけです。
 警備の体制を見る中で、あまりにも背景が複雑すぎて、スンニ派、シーア派の争いとイラクのニュースはそればかりですが、それよりは複雑な場所かなと思います。
 現地の人々がどう受け止めるかを含めて、まだ調査中なんです。