夢は必ずかなう
 
今週のゲストはアールシステム代表取締役の山本英雄さんです。今日のテーマは「夢は必ずかなう」です。山本さんは税理士の資格も取得されている大変な努力家でもあります。
現在日本経済は不況であり、また15歳から24歳までの若者達が就労できない大変な時代です。
就労できない若者達に対し、メッセージはありますか?学校を途中で退学したりしますとますます就労条件は厳しくなると思われますが。
そうですね。最近フリーターが多くなっています。自分がどういう方向にをしたいのか明確にしていないと就労は厳しいと思います。特に高校生の就職が厳しいです。にもかかわらず学校側のどういう方向に進めたいかということを明確なところが見えてきません。
しかしそうは言われましても、若い人達、中学生や高校生ぐらいでは将来の進路など立てられるものなのでしょうか?自分がどんな仕事に向いているのか適性を調べることは難しいのではないでしょうか?
そこなんですね。ただそういうところを就職や進学を担当される先生方が、経験を生かして、この子供だったらこういう適性があるから、と早く見つけてあげることも大事だと思います。
山本さん自身のことをお尋ねします。税理士をはじめいくつかの資格を取得されています。ご自身がキャリア・アップしようと決意された時期はいつでしたか?
またその努力の継続は大変であったと思われますが?
私の家は仕出し料理店を継ぐことを決めていました。小学生のときは「家の商売を継ぐのだから、勉強なんてしなくてもいい」と考えていました。それが中学から高校へ行きました。商売だから高知商業へ行きました。高校2年の時、このまま卒業してもどうにもならんと真剣に考えるようになりました。それが第一番目の転機でした。
高校2年のときに転機が現れ、大学へ進学されたのでしょうか?
名古屋商科大学へ進学しました。目標として、資格を取得しようと思いました。大学へ行くからには職業会計人を目指そうということで、公認会計士か税理士になるを目標にしました。大学進学はそうして決めました。
卒業後は東京へ行かれたそうですが?
目標を持って大学へ行きました。税理士の試験5科目のうち、3科目在学中に取得しました。卒業後は「家を継いでくれ」ということで、いったん高知へ帰りました。
2年ほど家業をしました。しかしどうしても自分の夢を実現したいとの思いが強くなりました。1974年(昭和49年)に東京へ勉強を兼ねた仕事に行くことになりました。
これが2番目の転機になりました。
東京ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
東京へ行きまして、専門学校の講師をしながら勉強しました。暫くやっていました。東京時代(10年ぐらい)の間に2度ほど大病をしました。病気で退職を余儀なくなりました。
友人たちが心配してくれました。紹介を受けた先は、以前の勤務先より待遇が良くなりました。2度目もそうでした。有人あればこそのお話です。
若い人に特に言いたいのは、中学時代でも、高校時代でも、学生時代に良い友人を見つけて本気で付き合うことが、本当大事ですね。
山本さんに経歴を伺いますと、東京からまた高知へ戻られました。10年間の東京でのキャリアが活かされない立場でしたが・・・
そうですね。東京から戻りまして、高校時代の有人が協力してくれました。お蔭様で友人たちの協力で現在に至っています。
山本さんは昨年念願の税理士の資格を取得されたと聞きましたが?
そうです。昨年11月に取得しました。2000年に香川大学経済学部大学院に入学し、2年間通学しまして取得しました。入学するための勉強もさることながら、通学のために高速道路代金が月に10万円かかることもありました。
 どうしても税理士の資格を取得したかったんですね。大学時代に3科目取得し、30年そのままでしたが、2年間の課程を修了しますと卒業時税理士の2科目の取得出来ました。念願がかなったわけです。
夢は念ずれば必ず通うということですね
そのとうりです
スクールや会社の皆さんに対して、経営者である山本さんが常に言われていること、「教訓」として掲示されていることがございましたら、ご披露下さい。
前にも言いましたが友人を作りなさい。友達関係を疎かにしないことですね。本気で付き合うことですね。そして夢をあきらめないことです。諦めない限り必ず念願はかよいますので。