証言集会の報告
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朴玉仙(パク・オクソン)さんl「証言集会」の率直な感想を述べたいと思います。「証言」は紛れも無く真実であり、よくぞ日本の高知まで来ていただいた。という思いですね。 それは若者グループであるwind of peaceとSARADの熱意が朴さんに通じたからでしょう。「けんちゃんのどこでもコミュニティ」の番組に彼らは出演いただきました。「活動家」タイプの若者では全然ありません。普通の大学生であり、若き勤労者です。 |
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集会は有料入場者数が271人いました。スタッフその他で350人になるでしょう。会場の県民文化ホールは8割がた埋まっていました。参加者はどうかと心配していましたが、大成功と言えるのではないでしょうか。 |
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漫画家小林よしのり氏に影響を受けているとおぼしき、うちの息子まで来ていましたから。それだけでもこの証言集会は大成功です。ですので、来年も、再来年も継続して行う必要があります。それが日本人としての誠意の表現であり、重たい歴史と向き合うことになります。 |
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証言者の朴玉仙さん大変お元気で力強いスピーチでした。声も通り、とても82歳の高齢者とは思えません。それだけに会場が高知の田舎で8割がた埋まったということは日本人も土佐人もまだまだ捨てたものではありません。 | |
朴さんの記憶は鮮明でした。当時水道などインフラのない村に住んでいて、川へ水を汲みに行った帰りに日本軍兵士二人に拉致され、ホロつきの軍用トラックの荷台に放り込まれたそうです。17歳の時だそうです。 トラックには同じ境遇の韓国の少女達が20人ぐらいいまして、みんな泣いていたそうです。2日間トラックで運ばれ、列車にも乗せられたそうです。行った先は、満州国とソ連の国境付近の戦地であったそうです。 その地の病院で検査を受けた後に、2畳ほどの広さの部屋に行かされたそうです。兵士から、「お前達はここで兵隊さんの相手をするように。決して泣いたりしてはいけない。」と言われたそうです。しかし何の意味かわかりませんでしたとのこと。 |
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会場ロビーには旧日本軍「慰安婦」被害女性たちが描いた絵画が」展示されていました。連れ去られる衝撃の絵もありました。 | |
翌日外で男達の歓声がしたそうです。やがて足音がし、兵士が自分の部屋にも入って来たそうです。そして陵辱されたそうです。毎日夜中の12時まで相手をさせられたそうです。夕方午後8時以降は、少尉や中尉などの将校が来るそうです。将校は家族とともに近くに住んでいるようでした。 翌日外で男達の歓声がしたそうです。やがて足音がし、兵士が自分の部屋にも入って来たそうです。そして陵辱されたそうです。毎日夜中の12時まで相手をさせられたそうです。夕方午後8時以降は、少尉や中尉などの将校が来るそうです。将校は家族とともに近くに住んでいるようでした。 やがて1945年の8月にソ連軍が侵攻し、街は戦場になり逃げることになりました。逃げるのに足手まといというので将校の子供たちが母親の手で殺されるのも見たそうです。 その朝鮮の人たちは戦争が終われば朝鮮に一緒に帰ろうとのことでしたが、事情があって朴善仙さんは60年も韓国へ帰国できなかったそうです。それで戻りナムヌの家で他のハルモ二たちと共同生活をしています。
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講演会終了後の様子です。在日コリアの人たちも沢山来られていました。北も南もない交流風景でした。
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平和記念館草の家での交流会
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講演会終了後、平和記念館草の家のホールで、朴玉玉仙さんを交えた交流会が開催されました。韓国から高知大学へ留学している女子学生たちも「事実は知っていたが、直接話を聞いたのは初めで胸がつまりました。」とのことでした。
朴さんは会場でもかくしゃくたる声で歌を唄い、踊も披露していましたが、(草の家でもカラオケを披露)最後に沖縄のカチャーシャも皆で一緒に踊りました。身が清められた思いです。 |
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交流会参加者で記念撮影をしました。 みんな打ち解けてう良い雰囲気でした。 |
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朴玉仙ハルモ二を見送りました
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多くの高知県民に感銘を与えた韓国のから来られた朴玉仙(パク・オクセン)ハルモ二(おばあさん)が午後6時高知駅発の松山行きバスで帰国の途に着きました。 実行委員会のSARADとwinnd of peaceの若者達と松尾美絵さんとともに見送りに行きました。 今日は桂浜や五台山などの高知観光され、お土産を買われたそうです。わたしも見送りのおりご挨拶をさせていただきました。日本語で「ありがとう」と言われました。 今回は松山経由で、高知での証言集会のためだけに来日いただきました。でも多くの日本人に感銘と衝撃を与えました。「日本人も捨てたものではない。」と思っていただけましたら幸いです。いつまでもお元気でいてください。カムサハム二ダ。 |
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証言集会の翌日は、桂浜、五台山と観光地を廻られ、お土産も買われたそうです。 午後6時に松山行きのバスでお帰りになりました。 多くの若者達が見送りに着ていました。 |
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