「公共にめざめる時」とは
 
 今週のゲストは、高知県全域でまちおこし事業を展開されている野村裕さんです。野村裕さんは現在はパッケージ高知で、包装資材の販売、またゆたか産商という会社で、特産品の販売もされています。今日のテーマは「公共にめざめる時」とはです。
 まちおこし事業を一部ビジネスにされています。しかし同時に「公共性」が要求されるのも、まちおこし事業です。ある意味で大変難しい。
  野村さんが「公共にめざめた時」はいつでしたか?
また学生時代に公共的な活動をされていましたか?たとえば生徒会活動とか、ボーイスカウトなどをされていたのでしょうか?
赤岡中学時代に生徒会長をしていました。高校は高知高校へ進学しました。そこではJRC(国際青少年赤十字活動)をしていました。高知市内の高校にも組織があり、その連合会の会長などもしていました。学校へ近所のかたがたから地域や、公共の理屈を知らず知らずのうちに教えらた部分です。学校も公共の一部と考えました。
 リーダーになりますと全体のことも考えなければなりません。そのあたりから公共性というものを意識したと思います。
野村さんは中学では生徒会活動。高校ではJRC(国際青少年赤十字)活動をされたとか。人生観はかわりましたか?
 中学生は当初いじめられっこでした。これではいけないと思い2年の時、生徒会長に立候補しました。自己修練にはなりました。同時にリーダーになりましたので、全体のことを考えなければならなくなりました。それが公共にめざめたことになります。
野村さんは自衛隊に入隊され、航空管制官になられました。その後は地域で活動されましたか?
ご商売の経済活動をしながら、公益活動はされましたか?地元の商工会での活動などはされましたか?
赤岡町の絵金祭り。商店街に活気が出ました。
赤岡町どろめ祭り
 自衛隊を辞めて地元の赤岡に戻り、食料品店の経営に関わりました。当時高知県のパンの品質が劣っていました。山崎パンを高知に誘致したのも私です。
 同時に赤岡の絵金祭りを展開しました。神社から商店街に展示して人集めのイベントに育てました。夏枯れ対策でしたね。どろめも同じです。
小規模店舗12で、共同配送会社をこしらえたり、赤岡で共同店舗の計画も立てていました。ボランタリーチェーンでしたので、それぞれの自発性と公共性が要求されます。共同店舗は残念ながら実現はしませんでしたが。