教育とボランティア
 
今週は土佐女子短期大学講師の伊藤一統様に来ていただいています。今日のテーマは「教育とボランティア」です。伊藤さんのご専門は社会学です。最近、政府が阪神大震災等のあとで、教育の現場で「奉仕」の時間をつくろうなどといっています。奉仕とボランティアという言葉はちがうのではないかと思いますが?
 
奉仕活動の義務化ということが少し前に議論になりましたが、これには少し事情があり自発的なものではないものをボランティアとは呼べないという批判をかわすために「ボランティア」を「奉仕」に言い換えている節がありますね。
同じような文脈で、教員の資質向上ということで教員養成のプログラムにも「介護実習」が入れられていますが、その効果についてはさだかではありませんし、いろいろとプログラム自体に負担を強いるものともなっています。
 介護は奉仕ではできないと思います。私も昨年介護実習をしてホームヘルパーの資格を取得しました。介護は仕事としてやるべきで奉仕うんぬんというのは主旨が異なると思いますね。
そのとおりだと思います。それに介護とか奉仕とかいうものが人間形成にとって万能のものであるということは保証されていないということが置き忘れられているように思います。
大学生などはボランティアなどに積極的に取り組んでいる傾向があるのでしょうか?
 はい。受験から開放されて「やること探し」という面もあるでしょうが、喜んでもらえる「ボランティア」にはやりがいや生きがいを見出しやすい、ですから参加する者も多いということになっているのでしょう。
ボランティアという言葉は日本人の間では何かいいこと、というイメージが強いですし。

2002年高知で開催された「第2回障害者スポーツ大会 よさこいピック高知」のボランティア活動に参加した学生達。
政府の一部には「徴兵制」の変わりに「奉仕」を義務化するというような考え方があるように思いますが?
先年の教育国民会議の答申から一定の年齢になった青少年に一定期間、奉仕活動に従事させることによって人間形成に役立てようとする考え方でてきていました。個人的には、これはいまひとつボランティア万能論の幻想から抜け出ていないのではと思います。
教育の立場からは、やはりボランティアというものは自発的でなければならないのでしょうか?
教育というものはある面強制的であってしかるべきものですが…。ボランティアというもの自身の性格は、お互いに助け合うということ、そういう考え方でNPOなどというセクターも出てきてます。その中に位置付けられる相互扶助の気持ちこそが大切で、それを強制的に画一に行わせることは疑問です。
社会教育の中でのボランティアやNPOのあり方は?自発性に期待すべきですか?
自発性に期待したいところですが、若年層の投票率が低いなんていうこともありますので。その逆に内申点に影響するからというのでボランティアをするという話もよく聞きますのでこのあたり、難しいところですね。
一方で、ボランティア=自己犠牲の考え方が強すぎて、無償性ばかり求められますが、そうではないと思います。そうした対価の問題ではなく、助けあいの意識の問題だと思います。
先ほどの話ではありませんが、若者の投票率の低さは絶望的ともいえる状況ですし…。
市民社会という言葉もありますけど、それを構成するメンバーとしての意識をもってもらいたいところです。