新たな創業のきっかけについて
今週のゲストはインターネットでコロッケを全国に販売されている(有)デリンベイク専務取締役の細川泰伸さんです。今日のテーマは「新たな創業のきっかけについて」です。
世の中不況で暗いのですが、細川さんのデリンベイクは全国に顧客をこしらえ順調に売り上げは拡大しています。新たな創業に成功されました。細川さんの実家は精肉店だったそうですが。「食文化」についての関心は高かったのでしょうか?学生時代から将来は経営者になるという発想はあったのでしょうか?
親の背中を見て育ったといいましょうか「食べ物」を売るというのは当たり前のように感じておりました。それに食べる事がすごく好きでした。経営者といっても、そんなに大げさなイメージではなく店を継ぐ!こんな程度でした。
コロッケは肉屋さんの素材のひとつでした。昔は牛肉は高価なイメージしたが、ひき肉とジャガイモとパン粉でこしらえられたコロッケは庶民の食べ物でした。歌謡曲で「今日も明日もコロッケ」という曲があったぐらいですから。
コロッケはもともと、フランスから「クロケット」としてもともとはクリームベースが主でポテトがつなぎだったそうです。それが、日本では当時の時代背景もあってか安価なポテトベースで各地に広まっていったといわれてます。私もポテトベースのコロッケで育った一人です。これからの時代はそればかりでなく、「新しいコロッケの切り口」があるのではないかと思います。コロッケは中を割って、ぱっと開いたときの魅力あると思います。ナイフとフォークで食べるコロッケがあっても良いと思うんですね。
伊藤ハムの代理店として大丸と西武に出店された時代もあったそうですが、惣菜部門として展開され始めたのはいつ頃からですか?
昭和52年(1977年)伊藤ハム株式会社代理店として、高知西武百貨店、高知大丸に出店
昭和54年(1979年) 惣菜部門営業開始です。ちょうど景気のいい時です。
魚の棚にある「手作りコロッケの店ひろっちゃん」はいつ開店されたのですか?
現在ネット販売されているデリンベイクとの関係はどうなっているのでしょうか?
お弁当なども販売しています
手作りコロッケも店頭販売されています。
ネット販売も店舗販売も両方ともお客様の声が直接聞けるのが魅力です。もともと精肉店をしていまして、その後暫く閉めていました。平成11年(1999年) 高知市はりまや町1丁目9-3に販売店として手作りコロッケの店ひろっちゃん開店 。デリンベイク(工場)で作った商品とお店で作った商品の両方を販売してます。アンテナショップとしてお店をだしておりいろんな事の実験室と考えております。将来は、2号店3号店を考えております。
ネット販売のほうは「ぱっとこしらえて売り切れおしまい」です。ひろっちゃんのほうはお弁当を中心に日頃のお惣菜をメインに販売しています。
社歴を拝見しますと、精肉店ー大手ハムメーカー代理店ー惣菜店舗ー通信販売と展開
されています。食文化をベースにしながら「業態変更」していかれた理由はどういうころにあったのでしょうか?
時代の流れに沿っていったということなのでしょうか。女性の社会進出も大きな流れです。
特に高知は、共働きの多いところです。仕事が終わってから買い物をしてもお店が閉まっているということになりますと、通信販売で少しずつ食品が売れて行くようになってきました。。惣菜に人気がシフトしていった背景とオリジナルの商品を作りたいという願いがその理由です。
量販店でも惣菜分野は伸びています。量販店対策はどうされていますか?
量販店様からもご提案頂いたり、ご提案したりと前向きに取り組んでおります。
また大手メーカー大量販売の冷凍惣菜に対しての対抗手段はどうされていますか?
大手メーカーとは戦う土俵が違う事を認識しております。F1カーはサーキットでは早いのですが仁淀川の川原では全くダメです。逆に軽四の4輪駆動車は、その逆だと思います。
大手メーカーの、一度にオートメーションの機械で何十万食を作る工場、安価な海外生産を持つ工場ではものすごく安い値段で商品ができるメリットはありますが手作りの味を出す事はできません、どうしても機械の味になってしまいますまた、大量に作るので商品開発にはアンケート等が必要になり多大な時間と労力を要します。
当社の場合、少ないロットでほとんど機械を使わずに作りますので例えば、カニの剥き身をすしネタのように乗せたコロッケ等コスト高ですが手作りの味、手作りじゃないと出来ないものが出来ますし身近な直接のお客様の声を聞く事によってサッと作りますのでスピードがあり、もし当たらなくてロスはありません。
多品種少量生産ですね。お客さんの要望を直接聞きながら、商品を開発し、すぐ販売する。マエストロというイタリアの職人さんのようですね。
お客様も、「ユニクロ」さんで買うか「ヴィトン」で買うか使い分けているように食べるものも使い分けていると思いますので同じ土俵で勝負するつもりはありません。
あくまで手作りにこだわって行きたいと考え実行していきます。