高知シティFMでの最後の収録と総括
 
最終収録 2008年11月19日(水)高知シティFM Aスタジオ
 
 
出演者  みちるさん いずみさん しおりさん けんちゃん
 
 最終番組の収録は、高知シティFMの朝の番組を担当している笹岡和泉さん、富山秋桜里(しおり)さん、西村健一と高知シティFMディレクター戸田健史さんとで行われました。放送予定は11月24日から27日までの4回分です。
 
11月24日(月)放送分
 
富山 おはようございます。週の始めの月曜日。しおりのどこでもトラットリアです。高知シティFMから元気に放送いたします。高知を元気にしようと活躍しているゲストの方と楽しくおしゃべりする。高知初心者の高知初心者のための、高知初心者による初心者のためのラジオ。もちろんベテランさんでも楽しめます。

 MCは高知大学2回生、高知県民2年生の富山秋桜里(しおり)です。では第11回のゲストをご紹介しましょう。今週はゲストが3人います。1人ずつ紹介したいと思います。
 ます西村健一さん。

西村 おはようございます。

富山 そして笹岡和泉さん。

笹岡 おはようございます。

富山 そして最後は大西みちるさんです。

大西 おはようございます。よろしくお願いします。

富山 なぜ今日は豪華なゲストがスタジオにいるのかと言いますと、

大西 豪華と言われると恥ずかしいです。

西村 本当に恥ずかしいです。

富山 きらきらと豪華なゲストがいるのかと言いますと、高知シティFMの開局当時の朝の番組で続いて来ました「どこでもシリーズ」が今週でなんと最終回ということになってしまいました。
 そこで今までの番組の歴史とか、これからのこととか。総集編ということで皆様に集まっていただきました。今週はそんな感じでいきたいと思います。

 どこでもシリーズのリーダーともいえる高知シティFMの「語り部」である西村健一さんのほうから、「けんちゃん」と言うことで呼ばせていただきます。
 開局当時から番組をやられてこられました。開局はいつだったのでしょうか?

 
西村 2000年4月2日であったと思います。

富山 ということは8年前ですね。

西村 8年前です。8年8ヶ月前になりますね。

富山 私がちょうど中学校へ入学した頃ですね。

笹岡 ショッキングですね。

西村 大昔ですね。

富山 ちなみに私、今月二十歳になりました。

大西 おめでとうございます。

富山 ありがとうございます。そんな時に最終回ということですね。
   けんちゃんにお聞きしますがラジオ番組をやるようになったきっかけはなんだったのでしょうか?ラジオが好きだったりとか?

西村 全くそんなことはありませんでした。それまではラジオ局とは全く無縁な人間でした。高知シティFMのスタッフでもなく、株主でもありません。たまたま開局当時(2000年)にシティFMの経営者にお知り合いがいました。
 私時折高知新聞の「声・ひろば」欄に辛らつな内容を投稿していました。その辛らつな文章そのままにラジオでやってみないかと言う話がありました。

 最初は週に1回の30分番組をやってほしいというお話でした。ところが朝のドライバー・ゾーン(通勤時間帯)、車で通勤しながらラジオを聴かれている人たちへのローカル枠の番組をやってみたらということになりました。

 月曜から金曜日までの朝の15分番組をやってほしいということになりました。いつのまにか話が変っていました。ちょうどその時間帯はNHKテレビの連続テレビ小説の時間帯ですね。その時間帯にぶつけるという無謀なことになりました。

 
富山 それが「けんちゃんの吠えるウォッチング」という番組ですね。
   高知シティFMのホエール・ステーションのロゴマークの「鯨」を意識されたのでしょうか?

西村 たまたまです。「吠える」というのが、鯨の「ホエール」といろいろ「吠える」と言うのとが重なったのです。高知市の1市民であるけんちゃんが吠えている。喋っている。
 お相手のシティFMのパーソナリティが富山さんの長崎出身の先輩になられる細井春菜さんでした。

 細井春菜さんは2000年3月に高知女子大を卒業されたばかりの方でした。その方とコンビでけんちゃんと春菜さんのコンビで「けんちゃんの吠えるウォッチング」を始めました。

 8時15分から30分までの枠で、毎日月曜日から金曜日までやっておりました。

富山 8年間ですか?

西村 それは「けんちゃんの吠えるウォッチング」は3年間でした。期間は開局時の2000年4月から2003年の3月末まででした。お相手の細井春菜さんが夕方の番組へ移られたので、「吠える」お相手がいなくなったからです。1人で吠えていても面白くありません。
 それで2003年の4月から「けんちゃんのどこでもコミュニティ」という名前にしまして、今の富山さんや、笹岡和泉さん、大西みちるさんがやってこられた番組の形態ですね。ゲストをスタジオにお招きしていろいろお話を聞く「トーク番組」になりました。

 つまり「吠えて」いたけんちゃんが「聞き手」になって、いろんな分野で活躍されている人たちのお話を聞きだしました。これが「どこでもシリーズ」の始まりでありました。

 参考 けんちゃんのどこでもコミュニティゲスト一覧 

富山 そこから「けんちゃんのどこでもコミュニティ」、「けんちゃんのどこでもブログ」そして今の「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」になっていったんですね。
 それそれ番組タイトルにこめられた意味はどんなものでしょうか?

西村 「けんちゃんのどこでもコミュニティ」の場合は、高知県内外でいろんな分野で活躍されている人たちをゲストに来ていただきました。そのなかには政治家の方、学生、アーティスト、福祉関係の人。その他いろんな分野の人がたくさんいます。
 その番組ゲストに来ていただいた人のなかに大西みちるさんや笹岡和泉さんがいました。

 
 「どこでもコミュニティ」は我ながら「無謀な番組づくり」をしていました。
 とにかく毎週ゲストを呼びまして収録をする。その段取りをします。わたしは2000年の開局当時は全くパソコンが出来ませんでした。毎日毎日これだけ話しているから、それを番組だけで終わりというのはなんとも「もったいない」と思いました。

 ゲストの人たちも多忙な中時間を裂いて、貴重な話をしていただいている。なんとか記録に残せないか。ホームページに出来ないだろうか。と。そして自力(竹内隆志さんらに指導を受けて)で無謀にも自分のホームページを作成しました。

 「どこでもコミュニティ」時代に毎週、毎週のゲストとのトークをそのままでは、放送されるだけではもったいないと言うことで、休みのたびにホームページを作成していました。

 番組収録をテープで録音し(テープは自分で購入し)、休日に聞き取り、テープおこしをし、要約筆記としてテキストファイルに打ち出していました。

富山  毎週それを繰り返していたのですか?

西村 番組は月曜から金曜まで5回分ありますね。1回分(1日分)がテープおこしと要約筆記に1時間かかります。5回分ですから約5時間かかります。サイトを作りこむのに(写真や画像の作成・サイトの編成とアップロード作業)に約3時間かかります。

 休日は朝の3時から起床してその作業をしていました。5時間ぐらいでテキストファイルに打ち出し、それから夜須へ行ってヨットをしていました。午後3時頃に戻ってきて4時ごろから夕食前までサイトの作りこみ作業してアップロードしていました。まあそれを「どこでもコミュニティ」時代は3年間していました。

富山 それでは休みの日が全部つぶれてしまうのではないですか。

西村 そうですね。疲労が重なり2度ぐらいひっくりかえりました。(めまいがして朝起きれない状態。内科、耳鼻科、脳外科で診察したら酷い肩こりで首の血管が収縮。脳へ血液が回らず貧血状態になっている。)との診察でした。

 それで「どこでもコミュニティ」を3年間で終わろう。1人でこの形態でやるのは限界であると思いました。(プロではなく仕事は仕事でしていますので)

 それで後継というのはおこがましいのですが、大西みちるさんや笹岡和泉さんに助太刀をお願いしました。それが「どこでもシリーズ」のそもそもの始まりでした。

 
富山 今まで8年間続けられて番組は何回ぐらいされているのですか?

西村 週に5日。月に20回。年間240回ですね。6年間「吠える」と「どこでもコミュニティ」を毎日していましたので1440回はしたようですね。もっとしているかもしれません。

 それと週1回ペースになって「どこでもブログ」と「今すぐ実行まちづくり」は年間50回ですからどこでもが2年で100回。今すぐが8ヶ月で40回で合計140回。
 正確にはわかりませんが8年8ヶ月で1580回程度は放送したのではないでしょうか。

富山 わたしなんかまだ11回目ですね。

西村 わたしは長くしましたが、お喋りは全く上手くならずに終わりますね。とっても残念です。

富山 1500回以上の番組の中で思い出のゲストとかはいかがですか?

西村 それはぱっと言われましても一杯ありすぎまして即答できません。やはりいろんな立場の人の話を偏見なしに自分が聞く。例えば右の考え方があれば、左の考え方がある。
 代議士もいれば首長さんもいる。学生もいる。いろんな人たちの話を聞いたことが私にとりましてはとても勉強になりました。

 それからそれをまとめてホームページやブログで公表しましたので、そこからまた新しいコミュニケーションが生まれましたし。
 この8年間と言うものシティFMの番組が「生活の1部」になっていました。番組づくりと、その後のホームページ造りに追われて、全く夜の街へ遊びにも行きませんでしたし。おじさんがそれをしていたことにはそれなりの効用はありました。

おんちゃん同士でいつも同じようなメンバーと愚痴を言いながらわいわい過ごすのではなくて、若い人とか、立場の異なる人との対話が主体でしたので、ひじょうに世間が広くなりました。

 窓口が広くなりました。自分としてまだまだ総括は出来ませんけれども、物凄く勉強になりました。

 
富山 1500回以上もやっただけある重みのあるコメントですね。

西村 それほど長くやるつもりはなかったし、1年続いたらいいかなと思いました。思いもかけず長く続いてしまったと言うことです。
 時の流れで始まった番組で、結果として8年8ヶ月も続いた番組でした。

 プロでもないし。市民サポーターとしては自分なりに精一杯やれたのではないかと思っています。

富山 けんちゃんどうもありがとうございました。次は笹岡和泉さんの話を聞いてみたいと思います。

 初めてラジオに出演されたのは「けんちゃんのどこでもコミュニティ」と聞きましたが?

笹岡 そうですね。2004年の7月頃であったと思いますね。けんちゃんにスタジオに呼んでいただいて熱く語りました。
 

富山 そのとき自分がラジオ番組を担当するなんて思いませんでしたか?

笹岡 そうですね。そのときは全く思いませんでした。後にけんちゃんから「ラジオ番組やりなさいよ」と言われました。
 まさか冗談だろう。と思っていたら「今度打ち合わせするからね。」となって「本当だったんだ。」という感じでしたね。

富山 ゲストに出られて1年後ぐらいでしたか?

西村 詳しい日時は記憶にありません。自分自身が1人で開局以来毎日の番組枠で、朝の帯番組を月曜から金曜日までやっていましたし。
 ちょっとハードワークになりすぎまして(特にどこでもコミュニティが)2回ぐらい体調不良でひっくり返ったことがありました。

 これはとても出来ん。俺も年かな。それで笹岡和泉さんのように若くてパワーがあってガッツのある人に番組をお任せしたほうが良いのではないかと思いました。
 そういうことで「後はよろしく」ということで笹岡さんに頼み込んだことがありました。

笹岡 けんちゃんが前半の話にありましたように、番組をホームページに仕上げていましたし。ゲストとの話をすべて上げていました。
 毎週、毎週継続してされていました。「同じことは出来ません。」ということを条件に引き受けることになりました。

富山 番組のゲストに出たことえを忘れたぐらに「番組をやってくれ」とのオファーがあったときはどんな気持ちでしたか?

笹岡 その間も番組出演者交流会なんかで何度かお会いする機会があり、接点もありましたので「本当なんだな」と「本当にやるんだな。」と現実味が帯びてきましたね。

 で、2006年4月からスタートということで気がつけば2年8ヶ月もやりましたね。

富山 やりましたか。今まで印象に残っていることとか、始めのほうでのこととかは・・

笹岡 そうですね。全く今までこういうラジオ放送なんかはしろうとでした。最初はどうなることかと思ったんですが、ちょっと周りに言わせれば「卑怯な手段」と・・。

 
大西 そうです。

西村 プロが和泉さんの横についていましたから。

笹岡 たまたま堀内佳さんと知り合いで。堀内佳さんに「ラジオ番組やらないかという話があるのですが・・」と相談しました。
 そしたら「是非やってみたら」と言われました。

 堀内さんも後押しした以上、フォローしていただかないわけにはいかないだろう。という流れで半年間強力な助っ人として、出演していただきました。貴重な期間がありました。

 最初の頃は、本当にがちがちで、今日はなにをしゃべろうか。という感じで。せっかくゲストの方がリラックスして来ていただいているのに、私の緊張がゲストに伝染してしまいました。2人で緊張したりしましたね。最悪の事態もありまいsたね。

富山 わたしもそれはありました。

笹岡 そういう期間も経て、堀内佳さんにも「伝え方はこうしたほうが良いよ。」とか「そのままで活かせばいいよ。」とかご指導をいただきました。徐々に自分なりのスタイルみたいなものが、出てきたという感じですかね。

富山 堀内佳さんは何をされている人なんですか?

笹岡 あらま。

大西 長崎出身で高知2年目ですからね。

笹岡 シンガー・ソング。ライターの人です。高知で歌の弾き語りをしている人です。是非歌を聴いてみてください。

富山 シンガー・ソング・ライターの方が後ろについてされていたのですね。

笹岡 某局で20年以上ラジオ番組をされている人です。プロですね。

大西 長崎で言えば福山雅治ですね。高知の福山雅治です。

富山 それは覚えておくべきですね。
   最初はばたばたしたのでしょうが、ラジオ番組を楽しめたりしたのでしょうか?

笹岡 だんだん相手のよさを引き出さなきゃとか。自分が気を張っているときは一生懸命で大変でしたが、だんだん途中から「いいや!」となって「自分が楽しんじゃえ」となりました。
 
 ディレクター泣かせで原稿を途中から書かなくなって、そのとき、ゲストの人が話してくれとことを本当に聞きたい。もっと聞きたい。
「え、そうなんですか。わー。」と「次どうなんですか?」とどんどん聞いているうちにアドリブ満載で話が盛り上がりました。

 そうしているうちに本当に、今年ぐらいからですかね。ゲストの人が「和泉さんがリードしてくれて凄く話しやすかった。ありがとう。」と言って帰ってくれるようになりました。

 それが「よっしゃ!」という感じで私も楽しめてましたね。

富山 お話上手になった感じですか?

笹岡 アドリブ上手ですかね。

西村 最近は絶好調ですよ。のりに乗っている。

笹岡 週にすれば67週ですね。結構1回のテーマでスタジオの外へ突撃取材も行きましたし。何人かの方にお声をいただいたこともあります。
 のべ80人ぐらいの人に出演いただいたのではないかと思います。

富山 思い出に残るゲストの方は?

笹岡 めちゃたくさんありますけれど・・私は切り口が福祉住環境とか、ユニバーサル・デザインとか。でありました。
 番組をしているうちに、番組のテーマが「笑顔をつなごう」でしたので、笑顔って「ノン・ジャンル」ではないですか。福祉分野の人もいれば、音楽関係や、絵を書いている人、パフォーマンスとか活動している人がいたりとか。須賀ジャズダンススタジオの人とか。

 ミュージカルさながらにわーとやってくださって、スタジオがびりびりしていました。外での取材とかね。

 後残念なのは「新コーナー」が始まったばかりだったんですね。これからと言うときにです。面白くなります。次回をお楽しみに。で終わりになりましたし。

富山 どんな新コーナーだったんですか?

笹岡 中心商店街の若い商店主の方と、ペアで一緒にユニバーサル・デザインの街と、中心商店街もそういう視点もやっぱり大事だし。
 どうしたら盛り上がるのか。2人の観点で盛り上げよう問いコーナーもつくりましたが・・。1回目が終わったところでしたね。

 どこかでまた始まるかもしれません。
 とっても思い出深いことがたくさんあります。

富山 2年8ヶ月でちょっと残念なこともありましたね。楽しかったですか?

笹岡 いろんな出会いがありました。「ラジオ出てください。」ということでつながりが新しく出来たりしました。これは私の財産になっていますね。

富岡 しおりのどこでもトラットリア。今日はどこでもパーソナリティズから西村健一さんと笹岡和泉さんからお話をお聞きしました。
 明日は大西みちるさんのお話と、ディレクターをずっと努めてこられた戸田健史さんにお話を聞いていきたいと思います。

 
 ここから(2日目)

富山 おはようございます。1週間はまだまだこれから。火曜日のしおりのどこでもトラットリアです。高知シティFMから元気に放送いたします。高知を元気にしようと活躍しているゲストの方と楽しくおしゃべりする。高知初心者の高知初心者のための、高知初心者による初心者のためのラジオ。もちろんベテランさんでも楽しめます。

 MCは高知大学2回生、高知県民2年生の富山秋桜里(しおり)です。では第11回のゲストをご紹介しましょう。今週はどこでもシリーズ最終回と言うことで、どこでもパーソナリティズ全員が集合しています。西村健一さん、笹岡和泉さん、大西みちるさん、富山富山秋桜里(しおり)です。皆さん今日もよろしくお願いします。

全員 よろしくお願いします

富山 昨日はけんちゃんといずみさんのお話を聞きました。今日は私の番組の前身番組「みちるのどこでもトラットリア」をしていらっしゃった大西みちるさんのお話を聞いていきたいと思います。

大西 はい。よろしくお願いします。

昨日の2人が「濃すぎて」僕が影が薄くなりましたね。

富山 今日ですよ。

大西 今日は頑張ります。

富山 番組を始められたタイミングは和泉さんと同じ頃でしたか?

大西  いずみさんと一緒に始めました。けんちゃんの「どこでもコミュニティ」時代の最後のほうのゲストで出演しました。
 いずみさん同様いきなりけんちゃんから、キラーパスが来ました。「続きよろしく」みたいな感じでした。

 上手くゴールを決められたかどうかはわかりませんが、楽しかったです。本当に。

西村 凄いツー・トップ(みちる・いずみ)でしたから。スルーパスに鋭く皆さん反応していただきましたし。

大西 けんちゃんが司令塔で。

富山 今までけんちゃんが呼んだゲストの中ではこの2人しかいないと。いうことでしたか?

西村 若い人で独自のネットワークをもたれています。私もネットワークがあります。
 みちるさんの場合は映画関係とか、商店街とか、アート系の人たちとか。独自のネットワークがあります。これからの高知を担う人である。笹岡和泉さんもそうです。それでお2人に番組をお願いしました

富山 どんな気持ちでしたか?

大西 そんなにプレッシャーはありませんでした。いずみさんが言っていたように、けんちゃんがやっていることを継続することは絶対にできないな。ということがあったので、どれだけ自分流にやれるか。

 ただあまり型にはまらないように、自由にやらせていただこうかな。そこらへんは兼ちゃんにも、デイレクターの戸田健史さんにも言いました。好きなようにやらせていただきました。

富山 プレッシャーはなかったとのことでしたが、以前東京のテレビ局に勤務されていましたね。テレビとラジオの番組制作の違いはどんなところでしたか?

 比べてラジオの面白かったところとか。テレビになかったところとか。どんなところでしょうか?

大西 単純にテレビのほうが楽です。映像だけでなくて、音楽とか、スーパーであるとか、面白く加工ができます。何でもあります。テレビは。
 ビジュアルでもいいし。聞いた感じでもいいし。

 ラジオは耳だけなんで、いかにしゃべりが、聞きやすいか。いかにゲストの方の話を聞きだすか。そこにかかっているので、そこらへんは、テレビと違って難しいなと思ったけれども、やりがいがありましたね。

冨山 苦労はされましたか?

大西 苦労。どうなんですかね。ディレクターが苦労したんじゃないでしょうか。

冨山 なんかそういうことに慣れてきたというのでしょうか。面白くやっているなと思い出したのはいつからですか?

大西 最初のほうからです。自分が話を聞きたい人というよりも、話がしやすい人をゲストに呼びました。
 いずみさんが堀内圭さんを助っ人にしたのが卑怯というのであれば、僕も卑怯です。自分の得意なジャンルの人。芸術関係とか、商店街の普段から熱い話をしている人を、ラジオでも話しましょう。そういうのがあったので、比較的話しやすい人をゲストに呼びました。

 卑怯かもしれませんが、そのほうが良い内容ができるのではないかという考え方でしたね。

冨山 しゃべりやすいし。同じタイミングでいずみさんと、始められましたがライバル心などはありましたか?

大西 すでに負けていますから。

笹岡 サラブレットと雑草と思ってください。比較しない。と。

大西 ラジオを聴いている人は、僕とかけんちゃんのおっさんの声は聞きたくないんですよ。いずみさんのような、しおりさんのような爽やかな声を聞きたいのです。

 ですので僕たちはしゃべらないほうがいいですね。けんちゃん。

西村 僕なんかも8年8ヶ月も番組しまして、ついに喋りがうまくなりませんでした。聞き苦しい。あいつはなにをしゃべりたいのか。
 とか某民間掲示板にぼろくそに書かれていましたね。

冨山 わたしはみちるさんから番組を奪ってしまったんですけれども・・・。

池マサトさん
吉村領さん
大西 いやいやちゃんと「卒業」しましたので。後はしおりさんに任せられると思ったから、次をお願いしました。

冨山 そう言っていただけるとうれしいのですが・・。

大西 今回で最終回というのはとても残念です。次のステップへ進むための壁であると思ってください。

冨山 そんななかでこんなゲスト来たよ、というのはありましたか?

大西 いろいろゲストに来ていただきました。音楽家の人や漫画家の人、お芝居をされている人とか。後橋本大二郎前知事にもでていただきました。そのときは自分から知事室へ伺って、収録しました。そんなのもいい思い出です。

 1番だれが良かったかという思い出といいますと。池正人さん。歌小屋の2階というところのライブハウス。そこのオーナー兼ミュージシャンなんですけれども。

 シティFMへ来てくれまして、スタジオで生演奏していただきまして。凄いいろいろ考え方がしっかりされている方なので、人生の師匠のような人でした。話を聞いていまして、腑に落ちるようなことをお話していただいて、「芸術・文化というものは鍾乳洞なんだよ。」。

「一滴、一滴落ちていって、それが何千年も経って芸術・文化になる。」という感じのことを話していただきました。

 それなんか印象に残っています。

 
冨山 ラジオでしゃべったからこそ仲良くなりたいとか。番組がなかったら会えない人だったとか。

大西 それまではライブ・ハウスでライブを聞く。という感じだけでした。実際に素の話も聞けるので、ラジオのおかげでミュージシャンの普段の話が聞けるというのはいいと思います。

冨山 ゲストと私達MCとスタジオの中では距離が近いではないですか。そういうなかで、生歌であるとか。感動しますよね。私の番組でもありましたが。

大西 そうですね。

冨山 至近距離で聞けるというのは。私だけのために歌ってくれているのだ。

笹岡 リスナーのためでしょうけれども。

大西 リスナーのためなでしょうけれども、狭い空間で歌っていただいていますし。

冨山 1人占めしているような気分ですね。

大西 それは良かったですね。

冨山 ネットワークなんかは、広がりましたか?

大西 何人かは僕の知り合いとかではなくて、ラジオに出たいので出させてほしいとか。会ったこともない人と話したこともありましたし。いろんなフィールドの人たちとなかよくしました。

冨山 前半の話を終わりまして、後半はどこでもシリーズの番組ディレクターである戸田健史さんの話をお聞きします。

戸田 おはようございます。

富山 初めて声を聞いた人が多いのではないでしょうか?

戸田 そうでもないですね。実は番組の前後半の間に入る音楽の紹介であるとか、前後のナレーションとか。私がさせていただくことがありました。

冨山 ディレクターとしてですね。

戸田 名前をまだ言っていませんでした。戸田健史です。

冨山 よろしくお願いします。あまりしゃべることはないのではないですか?

戸田 あまりないですね。

冨山 実はしゃべるのは結構好きだったりしますよね。

戸田 そうでもないですね。

冨山 どこでもシリーズのディレクターをずっとされておられるのですね。

戸田 さきほどけんちゃんから説明がありましたが、「吠えるうぉっちんぐは」は局のパーソナリティの細井春菜さんとけんちゃんのコンビでしていました。

 番組が改編され2003年4月から「どこでもコミュニティ」が始まりまして、ディレクターとして関わりました。
 開始当時からちょっとした話がありました。第1週の収録からけんちゃんゲストがドタキャンですよね。

西村 そのゲストの人は多忙な人でして、番組出演を忘れていたようでした。電話したら地元の赤岡にいましたし。「今からでも来れないか。」と言いましたら「宴会してるんだよ。」ということでしたし。

戸田 なおかつディレクターもどたきゃん。私も風邪でダウンしていましたし。
 当時の私の上司が聞き役になり、けんちゃんと当時の上司で収録したのが「けんちゃんのどこでもコミュニティ」の第1週目の収録でした。
 リニュアルいたはずなのに「これ何?」となってしまいました。

冨山 そんな始まりの(どこでもシリーズの)エピソードがあったんですね。

戸田 あったんですよ。

冨山 これまでの思い出とか、苦労した話はありますか?

戸田 そうですね。若い人から、高齢の人まで、またあらゆるジャンルの人に番組に出演いただきました。それぞれ話し方に特徴があったり。声が小さかったり。逆に盛大な声でお話され方もおられました。

 いかに上手く音を録るかというのは腕の見せ所ではありました。どうしても編集しないと時間内に収まらない。あるいは時間が余ってしまう。しゃべりが少ない人もいましたし。

 どうしたものかな。と日々遅く編集し、あと2分かなとか。そういうことは多々ありましたね。楽しい作業ではありましたけれども。

冨山 私達とは全然違うところでの苦労をされておられますね。

戸田 人に見せるものではないですしね。

西村 リクエスト曲なんかもなかなかヘビーな曲があったりしましたね。

戸田 そうですね。トークの前後半の合間の曲は、出演者のリクエストです。人によりましては「え!」という曲もありました。
 中年の男性の方は浪曲でしょうか、「人情松の廊下」をリクエスト。朝からですよ、8時20分過ぎにですね。「殿中でござる。殿中でござる!」なんてリスナーの人には何が起こったやらで・・。どうなっているシティFMとかいう話があったりして・・。

 古い曲のリクエストがあり、どこにその音源はあるのか。駆け回りました。

冨山 それは見つかりましたか?

戸田 大概はなんとかして見つけます。なかにはなかったのもありました。ごめんなさいということもありました。

冨山 そんななか私達4人が「どこでもパーソナリティズ」としてやってきたんですけれども、第1印象をまず聞きたいんですけれども。
 例えばはじめてけんちゃんに会ったときとか?

戸田 何か随分前なんで・・。記憶が薄れかかっています。
 「朝の番組(吠えるウォッチング)で辛辣な意見を言っている人という意見がありましたので・・。怖い人かなという印象でした。

 でもすぐに打ち解けましたし。

冨山 根はやさしいというか・・。

戸田 実は収録の中で対立もあったりしました。対立があったからこそお互いに信頼が深まりましたし。

西村 放送してかまわない内容か。いけない内容か。放送局として悩ましい部分はあります。
 それは「やっちまえ!」というわたしなんかは「行け行け!」というところがあります。戸田さんの場合は「公共の電波だから難しいよ」というところがありますし。悩ましい問題もありました。

戸田 恥ずかしい話ですがスタジオで泣いたこともありました。
   というのがけんちゃんですよね。

冨山 1番お付き合いが長いですし。

戸田 そうですね長くなってしまいましたね。

冨山 いずみさんの第1印象は?

戸田 まず堀内佳さんという接点がありましたし。その時点で以前からの知り合いのようでしたね。

笹岡 というか高知県在住のシンガー・ソング・ライターである堀内佳さんの戸田さんはコアなファンだったんですね。
 
戸田 昔ラジオを聴いていたんです。

笹岡 「はがき職人」だったんですよ。私の印象というよりも、堀内さんに「会えた!」という・・

戸田 そっちのほうが印象が強くて。。
   だって圭さんが目の前にいてしゃべってるんですも。ディレクター冥利につきますよ。「いやこの仕事してよかった!」と。

笹岡 私の印象!私の印象は!

戸田 それに付随してたひと。そんなことはありません!
   とにかく楽しい人だなということです。

冨山 みちるさんの第1印象は?

戸田 なんだろう。私自身まじめで通していますが、なんか真面目な人なんだなあと思いました。
 妥協を許さないというか・・

大西 許しませんね。

戸田 それがにじみ出てきて・・。物凄く身の引き締まる思いがしました。

大西 それは初めて聞きましたので恥ずかしいですね。

戸田 必死でやりました。もちろん他の番組も必死でしていますが、あらためてネクタイを締めなおして、やんなきゃいけないんだねと、言うのを常づねさせられたと言う。本当にこれは有難いことです。

大西 ありがとうございます。

冨山 収録のたびに今日はみちるさんの日だみたいな。

戸田 どんなゲストが来るんだろう。そのときまで知らないこともありました。

冨山 最後聞きにくいですけれども私の第1印象は?

戸田 若いね!若さでもう少し突っ走るのかと思いきや、意外とちょっと踏みとどまっているところがあったんで、
 ちょっとぽんと背中を押してあげられたのかなあと・・。ぐらいで番組が終わってしまうので残念なんですけれども。

冨山 後からそこへみんなで走って行こうと思っています。
 じゃあみちるさんからのリクエストですけれども4人をほめてください。

戸田 えーと。

冨山 時間の関係もあるので4人を一気にほめてください。

戸田 一気にですか。

大西 ふだんはプロのしゃべりもするし。僕らのようなしろうとパーソナリティも相手にされているし。そこらへんをなんていうのでしょうか、このへんは凄いとか。

戸田 なんでしょう。マイクと言うのか抵抗感がやはり、みなさんなかたんですね。
 緊張はされてたんですよ。マイクがあるからかしこまなければならない。ということはありませんでした。やっぱり凄いなというのはありましたね。

冨山 その辺は私は全然無意識でしたが皆さんどうでしたか?

笹岡 ものおじしないということですか?

大西 実際この空間に別にいろんな観客がいるわけではないではないですか。戸田さんと僕たち。

西村 私の場合は毎週、毎週、ジャンルの異なるゲストが出演しました。今日は政治家、来週は学生、その次はアーティストで、その次は商売人、次は福祉関係の人とか。次から次に異なるジャンルの人が毎週来るので、そちらへの緊張が先にたってマイクのことにはあまり関心がありませんでしたね。

冨山 そういうこともありなんですね。
   珍しくディレクターさんの話を存分に聞きました。ということで、本日は「みちるのどこでも・トラットリア」の大西みちるさんと、ディレクターの戸田健史さんにお話をお聞きしました。

 明日は「高知を元気にするために。どうしようか。:という話をしていきたいと思います。

(3日目)高知を元気するために その1

富山 おはようございます。週の真ん中水曜日のしおりのどこでもトラットリアです。高知シティFMから元気に放送いたします。高知を元気にしようと活躍しているゲストの方と楽しくおしゃべりする。高知初心者の高知初心者のための、高知初心者による初心者のためのラジオ。もちろんベテランさんでも楽しめます。

 MCは高知大学2回生、高知県民2年生の富山秋桜里(しおり)です。では第11回のゲストをご紹介しましょう。今週はどこでもシリーズ最終回と言うことで、どこでもパーソナリティズ全員が集合しています。西村健一さん、笹岡和泉さん、大西みちるさん、富山富山秋桜里(しおり)です。ついに3日目になりました。皆さん今日もよろしくお願いします。

全員 よろしくお願いします

冨山 1人づつ紹介しますと、高知シティFMの語り部である西村健一さん。

西村 こんにちは。間違っていました。おはようございます。

冨山 早速に。
   女性癒し系パーソナリティの笹岡和泉さん。

笹岡 おはようございます。

冨山 そして私の前身の番組「みちるのどこでもトラットリア」をされていました大西みちるさん。

大西 おはようございます。よろしくお願いします。

冨山 そしてわたし冨山秋桜里でおおくりしています。
   この「どこでもシリーズ」はなんらかの形で高知を元気にするために、番組をこしらえてきたわけなんですが、今まで8年間けんちゃんはやってこられて、どうでしたか。高知を元気にするためにはなにが必要ですか?

西村 そうですね。今していました「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」という番組ですね。実は9月7日に高知青年会議所と言う団体がありまして、わたしもそこの卒業生ですが、彼らが主催した「俺たちの高知創造委員会」のシンポジウムがありました。

 その時に高知県知事と高知市長と理事長(サニマート社長)と私がパネラーで高知を元気にする趣旨でやりました。そのときの私の肩書きが「高知シティFMけんちゃんの今すぐ実行まちづくり」なにがしで出席しました。
 
 なにを話したかと言いますといろいろお話しました。高知は10年ぐらい不況ですし、今全世界が不況になってます。
 特色あるのは、高知で特化しているのは「まんが」と「よさこい踊り」だろう。プロ化したらどうか。

 よさこいをプロ化する。踊る先々で高知の産物を販売する。物産販売もアンテナ。ショップのようなちゃちものではなくて、ごんとやる。(沖縄のわしたショップのように)。

 そのために特色があることをいくつかしたらいい。サッカーのJリーグも私が青年会議所の現役時代に、各地の青年会議所、平塚や磐田や柏や、市原や横浜などの青年会議所がチームをサポートし、サポーターを集めたり、資金を集めたりしていました。
 それとおなじようによさこいもプロ化する。例えば10人のプロをつくり、100人のセミプロをつくり、1000人の予備軍をつくるとか。

 そういう形で全国へ出て行ってよさこいを教える。全国200箇所でよさこいをしているので、そこで踊りを見せて人を集めて高知の物産市を開いて販売する。知事も市長も出かける。売る職員が出世するとか。

 しくみをつくるとか。

 高知は自然にこだわる。自然エネルギーに徹底する。水力、風力、太陽光、木質バイオマスにて高知のエネルギーをまかなう。極力原子力や火力に頼らない。
 有機栽培の農業を伸ばし、自然豊かなバリヤフリーなまちに高知をしていくのです。高知は世界に誇れるまちになるのではないかと言うことを言いました。

 そういう観点からいずみさんやみちるさんもまちづくりの切り口があろうと思います。そのあたり、いずみさんからどうぞ。

笹岡 そうですね。皆さんが感じていらっしゃる朝の番組枠自体が、高知の街を元気にする。というコンセプトでずっと来たと思います。
 私の番組「いずみのトラットリア」も「笑顔を増やそう」というのがありまして、いつも番組では最後にゲストの方に「高知の街を笑顔にするためには、どんな街にしていけばいいですか?」といつも質問します。

 その中で皆さんそれぞれの専門性と言いますか、そのなかの立場から、「こんなことをやっていきたい。」という方もいます。笑顔になること、挨拶すること。これなら私にもできるは。と答えてくださる人もいたりしました。

 本当にノン・ジャンルでみんながそれぞれ笑顔が増える街とか、元気になる街というのをというのを考えてこれたかな。そういうつながりを造ってこれたかな。

 私自身が日頃やっている事の立場で言えば、福祉住環境のところで、障害を持っている人も、高齢になられた方も、みんなが、ともに暮らせる街にという切り口で、いろんな活動をしてるんですけれども、やっぱり誰もが老いて行くし、医療の進歩に伴って、障害を持っても生きていける状況も言っている中で、みんなが自分の事を思って、自分がそういう立場(障害者や高齢者の立場で)、街を利用するとき。公共交通機関を利用するとき。どうなんだろう。

 いう風なこと。思いやりですね。全てのキーワードは「思いやり」だと思います。自分が相手の立場だったらどうだろう。
 私自身も実際に困っていらしゃる場面でどうしたらいいか。そのために解決する専門家のネットワークをつないでいたらというのを取り組んでいて、いつも、たぶんどんなジャンルでも同じです。

 高知にはいい活動している人も、いい情報があるのに、専門職もいっぱいあるのに、本当に困っている人に届いていません。なんでなんかな?つなぐことが出来たら・・・。
 新しいものを造るとかではなくて、もっと解決できることがあると思います。

西村 蛸壺化している。医療は医療だけ。土建屋や土建屋だけ。農業者は農業者だけ。商売人は商売人だけ。それぞれ役所も「縦割り」になっていて、横の、隣との交流が全然ありません。

 わたしが番組(どこでもコミュニティ)では毎週、毎週ゲストのジァンルが変りました。農業の人が今週来て、翌週商業の人が来て、次は学生が来て、その次は政治家と言う具合にゲストのジァンルは異なっています。

 それぞれ得意な分野もあれば、不得意な分野もあります。みなの話を聞いていたら、これは共通点はあるなと思いました。「なんとかしたいね。」というきもちになりますね。

笹岡 だからベースの思いは同じなのに、やっていることは、なぜか断ち割りで、つながれていない。ということも多々ありまして・・。
 自分の専門性に取り組んでいくことも大事ですが、「横串を刺す役目」になることも大事であると思いました。

 と言う意識でいつも動いています。表面だけ見ると、「笹岡またこんなところに出没している。あの人は何がやりたいのだろう?」と思われますね。

西村 突撃レポーターですからね。

笹岡 突撃アポ無しみたいな。

西村 突撃レポーター笹岡和泉がどこへ現れるのか?

笹岡 実は横串刺したいと言う、対専門職でどうぜではなく、知っている大西さんや、しおりさんというつながりから、広まることもあります。

 人と人とがつながりることが、財産になります。それで何かの動きにつながると言うことです。

冨山 MCを通じてとか、番組を聴かれたリスナーの方が、こういうつながりもあるということを実感しながら、というか。

笹岡 結構声を架けてくださる方とか、つながりができたかたもたくさんありますね。

富山 ではここで一旦前半を閉めまして、後半に行きたいと思います。前半のけんちゃんといずみさんは、月曜日、火曜日と雰囲気が違って笑いが一切ないまじめな話になりました。私もどうしたらいいのかわからないです。

笹岡 スタジオの温度が上昇してしまいました。

富山 まさに「吠える」感じで来たのですけれども後半は、帯屋町とかで中心に活動されています大西みちるさんの話を聞いて見たいと思います。

大西 そうですね。僕がやっていた番組も一応まちづくりです。芸術・文化とかで、高知の街を元気にしよう。
 ゲストの方とお話をしながら、そんな話をしてたんですけれども。
 アーティストの方々は、街づくりを考えているわけではなんです。

 その人たちがしている活動をまちづくりにつながらないかな。と、プロジューサー的な気持ちで、やってたんですよ。
 いろいろ商店街の活動もしてますし。本業も商店街にありますし。
やっているんですけれども、自分達の生活と芸術・文化とが普段は接することがないので、結びつけることが、面白くもあり、大変でもありました。

 そういう中で、自分がやっている活動が、街中に映画館をつくろう。というコミュニティ・シネマの活動であったり、芸術家や作家の方を集めて、アート・フリーマーケットをやる「おびさんマルシェ」であったり、そのようなことをやっています。
  
 そういったものをやって、商店街に来ていただいた人やや住んでいる人に芸術を肌で感じていただいて、高知の街を面白いんだな。と感じてくれたらいいなと。それは凄くありました。

 なかなかこういう考えでは一朝一夕にはいかないものです。
 普段たまに行政の方とまじめな話になりますけれども、高知の街の空き店舗に芸術文化ホールをつくろうとかするんですよ。「文化が発信できるんですよ。」と行政の人が言うのですが、なかなか簡単ではないと思います。

 文化施設をつくれば文化が盛んになるものでもないし。単純ではありません。そこらへんを整理し、単に物を造ればいいというのではありませんし。

 イベントでもいいから、身近に芸術・文化と触れ合うことで、普通の生活の中に入ってくることで、文化が生活の中に根ざすのではないかと思います。

 ラジオでいろんなゲストの方を呼んで、話をして市民の人と触れ合う機会を多くつくれたので良かったと思います。

西村 そうですね、おびさんマルシェとしおりさんも関わられていて司会をされていたラ・ラ・ラ音楽祭。本当の市民の手づくりのイベントですね。
 そんなにコストもかかっているわけではない。市内各所で音楽を奏でている。
 このあいだは9月でしたか、おびさんマルシェとラ・ラ・ラ音楽祭が同じ日に開催されました。非常にインパクトがありました。
 すごく格好いいと思いますしあれは高知の文化だと思います。

大西 漫画とかもいろいろ活動してまして、この番組(みちるのどこでも・トラットリア)にも漫画家の人に出演いただきました。
 NPOの漫画ミットの代表の吉村領さんにも来ていただきました。

 ラジオ番組がきっかけで、高知は漫画王国・土佐だとか言うものの、漫画家を輩出しているだけで、産業として成り立っていない。と番組で話しました。

 それが今回知事の肝いりでやっている産業振興計画のなかで、「漫画のようなコンテンツ産業を高知も力を入れる」。漫画家を育てるだけではなくて、産業として、必要なことを考えようとして、この間の委員会になぜか、僕と吉村さんが入りました。いまやっているところです。

 けんちゃんとかはまんがのほうはどうですか?

西村 子供が芸大へ行っているので関心はあります。県外ですので、情報は入りませんね。
 くさか里樹さんや村岡さんにまんが記念館での学芸員研修の時の交流会でお会いしたぐらいのことですし。
 確かに高知県の「産業振興計画」のなかでちゃんと掲載されています。これからの高知を動かす指針にはなっていますね。

富山 みちるさんは、街中を中心にいろんなところで見かける感じで・・・。

大西 商店街はイベントばっかりしているんじゃないかと言われないように。イベントだけではなくて、普段の生活から、みんなが足を運びたくなる街にしたいなと思います。

富山 私も大学のほうで高知市の旭を元気にしようということで、学生が何人か集まってイベントをやったりとか、活動をしています。
 その商店街の方に「今までことをアンケートをとりたい。と言ってイベントの感想とか、旭の街はどうなってほしいか。」ということを聞きました。

 「イベントしたぐらいで変るわけないでしょ。」と言われる方もいました。奇麗事みたいな感じで流されました。
「結局お金が大事なんだよ。」とまとめられてしまったんですけれども。

 そこはイベントだけでは駄目というのはわかるんですけれども、気持ちで変えれる部分もあるのではないのでしょうか。

笹岡 打ち上げ花火であっても、そこにきちんとしたコンセプトがあり、次にどうつなげるかがあれば、その思いは伝わると思います。

大西 イベントをして何かマイナスになることは絶対にありません。何かは残るんで、つぎにどう生かすかですね。

 そうやってアンケートをとるなんて素晴らしいことです。

富山 上からお金が来ないと活性化なんて出来ないとか言われてしまってショックだったんですけれども。

西村 その商店主達は依頼心が強すぎるのでしょう。みちるさんたちや、ラララ音楽祭の人たちは、自分達が楽しんで、人を集めてくる交流することが出来れば、人も集まるし、人が集まればお金もあつまります。

 ところが、お金のところばかり言っている商店街なんて魅力ないですね。今はものが溢れています。少々50円、100円高かろうが、安かろうがどこで買っても同じなんですよ。

 だけど楽しい思いをして、商店主と面と向き合って買い物をするほうが、無言でスーパーなんかで買いものするより)楽しいに決まっています。今の時代はネットでも購入できますし。

 それを商店主は履き違えたらいかんと思いますね。
 人が商店街に来なくなるのはそれだけの理由があります。理由を考えたときに、人がイベントで一時的にでもどんと集まるだけでも、シャッター通りの商店街に来るだけでももの凄い価値があります。

 そこをもっと商売人は考えませんと。やはり人も呼べないし、集まらないと思います。そのあたりは大西さんいかがでしょうか?

 

大西 おっしゃるとうりであると思います。イベントをやっているときと、やっていないときの「イベント格差」があるようです。

 だからといってたたみかけるようにイベントをするのはどうかとも思いますね。ただ1日のイベントをやるにしても、その日だけの打ち上げ花火ではありません。事前に商店街を廻って挨拶をまわりをしたり、「やりますので皆さん協力よろしくお願いします。」とそのコミュニケーションだけで、僕は価値があると思います。

 いろいろいう商店主もいるでしょうが、そこはめげずに。大学生がそれだけ関心を持つことが、本当は素晴らしいことなんです。(写真は高校生まんが甲子園)

西村 しおりさんのように県外から高知大学へ来られて、旭の商店街の行く末のことを考えてアンケートまでとるなんて素晴らしいことです。
 もっと有難がらないといけませんよ。けしからんと思います。商売人として。

笹岡 みんな精一杯ではないでしょうか。日々感じます。そのあたりを少し、イベントかなにかで、盛り上げたらいいですよね。

大西 頑張ってください。

富山 皆さんも頑張ってください。
 ということで、みなさん「吠えて」もらって高知を元気にすることを4人で熱く語っていただきました。
 明日が本当に最終日になりますが、よろしくおねがいします。きょうはどうもありがとうございました。

最終収録(4日目) 最終回

富山 おはようございます。ウイーク・エンドまでもうひと頑張り。木曜日のしおりのどこでもトラットリアです。高知シティFMから元気に放送いたします。高知を元気にしようと活躍しているゲストの方と楽しくおしゃべりする。高知初心者の高知初心者のための、高知初心者による初心者のためのラジオ。もちろんベテランさんでも楽しめます。

 MCは高知大学2回生、高知県民2年生の富山秋桜里(しおり)です。では第11回のゲストをご紹介しましょう。

 今週はどこでもシリーズ最終回と言うことで、どこでもパーソナリティズ全員が集合しています。西村健一さん、笹岡和泉さん、大西みちるさん、富山富山秋桜里(しおり)です。ついに最終回になりました。皆さん今日もよろしくお願いします。

 大学生が、しおりのどこでもトラットリアが第11回で終わってしまいます。みなさんは普段はなかなか大学生と話す機会なんてないですよね。

大西 ないですよね。しかも女子学生ですからね。

富山 そこですか!

西村 私は娘が現在大学3年生で、しおりさんより1学年上にいます。県外にいますので、ほとんど会話がないですね。父と娘は会話がないですね。

大西 今日のほうが大学生としゃべっていますね。

西村 そうですね。メール出しても返事もほとんどないし。

富山 そんな中で、高知大生について聞かせてください。今日は私が全部受け止めますので。

西村 今各大学で騒いでいる大麻汚染。早稲田、慶応とか。高知大学は大丈夫なんでしょうか?

 好奇心がある世代だけに。

大西 話題になったりする?

富山 大学ではならないですね。でもニュースとかを見てて、オランダのことを調べているうちに大麻に興味を持つとかになったのは、吸いたかったからやった。というのは学生としてやりすぎたかな。と思います。

 知的好奇心の延長線上にあるのは、いいような、悪いような。でも屋ってはいけないことなんですけれども。

笹岡 そのへんの境がわかりにくい。麻痺しているのでは。いろんな情報が入りすぎているのかも。

富山 只単に悪いと思ってもやってみようとは、違うと思いましたね。

大西 僕はこの秋にいろんな大学の学園祭に見に行きました。だいたい全部似ているのは、露店ばかりですね。

富山 高知大学の黒潮祭りもそうですね。

大西 行ったかな?名前とかまで覚えていませんが。。。。
 全部焼きそば焼いて売ったり、おでん作ったり。本当に一体なにがやりたいのだろう。

富山 私もそう思いますね。

大西 しおりさんだったら、ラジオが好きだ。とか言うのがあるじゃないですか。公開ラジオをやるとかではないけれども。
 他にやりたいことはないのかよ。と。
 大麻の話ではないですが、他にすることがないから、大麻をやっている。どんなことにやりがいをもってやってんおかなというのが、凄く感じました、

 見学していて正直面白くなかったですね。

富山 私も今ひとつであると思います。オリンピックと同じで4年に1度見たら充分ではないでしょうか。

笹岡 義務的と言うか、やっているような感じで・・・・

富山 お店出している人たちは楽しいでしょうが・・・お客さんとしていくのは私は1年生のとき行ったので、もういいかなと言う感じです。

西村 部活とかサークルで活動費を稼ぐというんではないでしょうか。

富山 それもありますね。

大西 日本中のマスコミが注目するぐらい高知大学の学園祭は違うな。という何かがある。ということで来年から頑張ってほしいですね。

富山 やろうとている学生自治会の人たちも毎回同じ人たちがやっているということもあるので、波は変らないのかなとは思いますね。

笹岡 いろんな可能性がある時期ではないですか。何でも出来るし。凄いもったいないな!と思いますね。
 私も芸術系の大学だったので、いろんなことを試していました。これもあれもと。
 それは今も変ってはいませんけれども。

 だから何でも出来るし、いろんなことが出来る。何もないならないで、見つける努力というか・・。映画を見に行くのもいいし。遊びに行くのもいいし。行った事のないところへ行くのもいいし。なんか1つやってほしいですね。

富山 私も人のことは言えないかもしれないけれど、1歩踏み出せないと言うか。壁をつくって私は違うかな。という学生が多いのではないでしょうか。

笹岡 今の時代、座っていてもネットで情報が入るではないですか。そのへんもあるのかな。

富山 これで受け止めたことは大学で、どんどん発信していきたいと思います。

 さて最後の最後なので、今までラジオ番組をやってきての感想であるとか、その他総括してもらいたいと思います。
 みちるさんトップバッターでお願いします

大西 そうですね。僕は一応卒業しています。しおりさんに番組を引き渡しましたので。
 引継ぎもしましたので、「2回目の卒業式」ということで、涙も枯れ果てているんですが、ちょっと告知なんかしてもよろしいので少尉か?

富山 どうぞ。

大西 NPO高知シネマで上映会をしています。2008年の最後の上映会が、12月8日、月曜日にあります。
 リスナーの方もパーソナリティの方も県民文化ホールグリーンへ来場ください。

 12月8日というのは、ビートルズのジョン・レノンの命日だということで、その日にメモリアルということで、ビートルズに関係する映画をやろうと言うことになりました。

 「アクロス・ザ・ユニバース」という映画です。この映画の挿入曲はすべてビートルズです。

富山 ファンにはたまらないですね。

大西 そうですね。若い人達にもなじみのある曲がたくさん出ますし。是非鑑賞していただきたいなと思います。
 世界中にビートルズ・クラブがあります。ビートルズのコピーバンドです。高知にもいるんです。ラ・ラ・ラ音楽祭なんかで活躍されています。

 そのメンバーに某市会議員も入っています。高知のビートルズ・クラブのメンバーも映画と映画の合間にロビーで演奏するということです。

 長渕剛のコンサートでも長渕剛もどきがたくさん出没します。そんな感じになります。ビートルズ・クラブのおじさんたちが、ビートルズ・ナンバーを演奏する催しがあるので、この上映会、12月8日の県民文化ホールに見に来ていただきたいですね。

 詳しくはNPOこうちコミュニティシネマのホームページに書いています。是非足を運んでいただきたいです。

富山 最後に一言お願いします。

大西 やはり、こういう映画の活動もそうですし、おびさんマルシェの活動もそうですし、芸術文化活動を続けて市民の皆さんに「高知の街も楽しい」と言ってもらえるように、これからもどんどん楽しい活動をしていきたいと思います。

富山 ありがとうございました。次は笹岡和泉さんお願いします。

笹岡 本当に最後になりました。自分の番組の締めをちゃんとしていません。
 いずみのどこでもとラットリアの2年8ヶ月。出演していただいた方、そしてずっと楽しみに聞いていただいた方。本当にありがとうございました。

 そして番組ブログもありますので、また見ていただければと思います。

 私自身の活動のNPO法人福祉住環境ネットワーク高知の活動もあります。「ひまわりのようにまっすぐに」と。これもまた 話題があちこちと突撃しまくっているのがわかると思いますけれども、そうしたところで、引き続き・・。

 笹岡和泉どこへ行っちゃったのかな?何してるんかな?と是非続いて見ていただければと思います。

 番組を通じて出会えた方とか、「笑顔をつなごう」というテーマでとり組んだ 事やら。これからラジオでの出演はなくなりますが、今までどうり活動は続けていきたいと思っています。

 これで得た財産をこの場に一緒にこの空間を今、共有している皆さんももちろんそうですが、本当に大きな財産だと思っています。

 よく「こんな風にしたら良いよね。」とか「ネットワーク大事だよね」とか言いっぱなしは嫌なので、実際動く、やるという風にいきたいし。何かやります。

 なので、聞いて下さっている方も、実際にお会いした方もつながりを引き続き持てたらな。と思っています。ありがとうございました。

富山 ありがとうございます。けんちゃんから。

西村 私は2000年の4月から番組をスタートしましたので、かれこれ8年8ヶ月やりました。言いたいことがありすぎまして、本当にまとまりません。

 番組も4つのタイトルがありました。「吠えるウォッチング」「どこでもコミュニティ」「どこでもブログ」「今すぐ実行まちづくり」という形態に変えてきましたが、やろうとしているコンセプトは。

 みんないろんな考え方があるんだけれども、意外に隣の人の考え方を意外に知りません。では話を聞きましょう。
 私自身が突っ走るほうで、若い頃は人の考え方を聞かず、独断と偏見で走り回っていました。間違いもおかしたし、人を傷つけました。

 だからいろんな主義主張を頭から、反射的に否定するのではなく、話を聞いてみる。自分が「聞き役になる」ということにおきましては、高知シティFMの番組を担当させていただいたことは、自分自身の糧になりました。

 それと番組を始めた頃は、パソコンも全く出来なかったんですが、あまりに番組がヘビーだったんで、番組以外でも情報発信しようということで、パソコン操作を人より遅れて覚えました。

 ホームページやブログの作りかたも覚えていろんな情報を発信しました。

 これからじゃあどうするのか?どうなるんだ。あのおっさんはどうしゆう?わめいていたけれどもどうしゆう?と思われているでしょう。

 ブログもあります。検索エンジンでYahooでもGoogleでも「けんちゃん」とキーワードを入力してください。私のブログなり、ホームページがすぐ出てきます。

 それを見ていただきましたら、私の動向や行動がわかります、個人ブログは毎日更新していますので。行動履歴はわかります。

 それと現実の市民活動は、地元二葉町自主防災会の活動と、夜須でヨットをしています。そこのNPOやす海の駅クラブの活動もしています。

 それ以外のことはこれから再構築していきたいと思います。8年8ヶ月も番組をつくっていましたので、これからは、文章を真面目に書いていく。まとめてみることをしたいです。本を読むことももっとしますし。

 これを契機に(番組の終了を)、再学習をしてみまして、社会に対する関わり方をもう一度考えてみたいと思っています。以上です。

富山 ありがとうございます。

大西 告知とかあるんじゃないですか?

西村  実は私の友人が野市のほうでみかん山を管理しています。入野みかん園といいます。場所は国道55号を北へりゅうがどうへ行く道です、野市動物公園を過ぎて1キロ程度走りますと、田んぼの中に信号があります。そこを右折し300メートル行ったところに入野みかん園はあります。

 大人1000円でコンテナ一杯のみかんが採れます。詳しくは私の個人ブログ「けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト」のカテゴリーの「入野敏郎さんみかん園」をクリックしてください。

富山 ついに番組の終わりになりました。皆さんどうもありがとうございました。