福井照さん番組出演記録
 
 2008年6月に高知シティFMの番組「けんちゃんの今すぐ実行まちづくりの」のゲストとして福井照さんは出演いただきました。

 9月番組には衆議院議員の福井照さん(自民党・高知1区選出3期目)が登場されます。元建設省の都市局勤務(現国土交通省)であった福井さん。都市問題や都市計画に詳しく、最近は党の水産部長もされているようで、田舎をどう売り出すのかを常に考えられているようです。

 観光問題、都市問題、国策の引き出し方、政治と理念の問題という4つの項目を軸に質問項目を組み立てました。どの質問に関しても自分の言葉で回答をいただきました。
 聞いていて面白く、収録の時間が足りないと思いました。(記事はブログ記事ともリンクしています。)

 
 あるべき高知の観光とは?9月5日(金)

 あるべき都市の姿について 9月12日(金)

 国の施策の最大活用法とは? 9月19日(金)

 心の自由民権ー人生主義とは? 9月26日(金)

 

 福井さんの政策は面白いと思いました。もっと多くの県民は耳を傾け、討議をすべきであると思いました。都市計画をきちんとわかる政治家は日本では珍しい。あえて先人がいるとすれば東京市長を歴任した後藤新平氏ぐらいだろうか。

*このサイトでは文字中心に上げています。収録したテープを要約筆記しまとめたものです。私見をはさまず忠実に再現しています。写真や画像も含めて見たい人は、上の項目のリンクがブログの記事になっていますのでそちらをご覧ください。

*サーバーの負担を抑えるために、1つのファイルに4回分を貼り付けています。見苦しいとは思いますがご容赦ください。

あるべき高知の観光とは? 9月5日(金)

西村 今月の「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」のゲストは衆議院議員の福井照さんです。福井さんは元建設省(国土交通省)に勤務され都市問題に大変詳しい人です。取り付きにくいと市民には敷居の高い都市計画問題や、まちづくり問題をわかりやすくお話いただけると思います。

 今日のテーマは「あるべき高知の観光とは?」でお話をお聞きします。

 福井さんは観光についてご自身のホームページの中でこう述べられています。
「「観」とは、易経・お経から来た言葉です。他国の王様を賓(ひん)(案内)するときに使われた言葉で、観光の「観」は単に目で見ることではなく、心をもって深く内面まで見つめること。つまり「観光」とは、国の光を見ること、人々の顔が輝くことを見ることです。」と言われています。

 具体的にはどういうことなのでしょうか?沖縄や北海道は「観光地」というイメージが沸きますが高知は正直「観光地」ではないのではないでしょうか?
 桂浜は5分で飽きますし、あそこに高知城があり、龍河洞(りゅうがどう)でもあれば少しは観光地と言えますが。

 易経・お経から来た言葉からすれば高知は全然観光地ではないように思いますがいかがでしょうか?

福井 そうですね。今言われたように中国語では観光のことを「旅遊」(りょうゆう)と言いますね。「旅に遊ぶ」という意味です。

 それで「ツーリズム」=旅遊と言います。日本では「観光」と言いますね。本当は凄く深い意味のある言葉です。今言われたように易経。お経から来ています。当たらぬも八卦、四書お経の中に「国の光を見る、王に賓(ひん)たるにによろし」それを私たちの明治時代の先輩が「観光」と言う言葉をこしらえたのです。

 それで「ツーリズム」という英語に当てようとしたのです。つまりわたしたちが普段生活している生活の仕方が、「活き活きしてわくわくしている」「どきどきしてて、顔が光っている」「笑顔が溢れている」ということを「国の光」と言いました。

 そのことを「見せる」ことこそ最高のおもてなしである。ということです。
 高知の言葉にも「近きもの喜べば、遠き者来る。」とあります。つまり私たち高知県民が喜んでいれば、遠くからお客さんがどんどんやってくる。とういうことです。

 深い言葉は深い言葉です。でもあんまり「観光だから」「ツーリズムだから」特別のことがあるとかではなくて、普段私たちが生活している、生活の様子が家族同士で喧嘩してもやっぱり幸せに暮らしている。そういうことが一番大事ですし、根幹であると言うことです。

 ツーリズムに「観光」と言う言葉を使っている日本人には最高に知恵者であると言えるでしょう。ですから「ホスピタリティが足りない」とか、「はりまや橋ががっかり名所である。」とかいろいろ観光の分野では足らないところはあるでしょう。

 しかし大事なことは「私たちが今いかに幸せに暮らしているか」と言うことなのです。不満だらけであると思います。「高知県民が不満だらけですから観光客が来ない。」というところに本質があるのです。けんちゃんが最初言われた易経・お経から来た言葉の意味はまさにそこにあるのです。

西村 なるほど北海道や沖縄のような自然がどうのというよりも、高知県民の日常の生活の不満が高知県民に溢れているから観光客は寄り付かない。来ないぜということなのでしょうか。

福井 まさにそういうことです。不満だらけの顔を誰も見に来ませんね。そういうことなのですね。


西村 よくわかりました。関連した質問です。観光産業は地元仕入れ率が高いと言われています。県外からの観光客が増加すればホテルが潤い、タクシーやバス会社も潤い、みやげ物としてお菓子や農産物や海産物なども販売量が増えます。まさに地場産業であると思います。

 現在高知県の観光客は500万人前後だと言われています。これを倍の1000万人にすれば県民皆ハッピーになると思います。なにかアイデアなり方策はありますか?
 また成功事例などあればご紹介ください。

福井 国内のお客さんを他所と取り合ってもしかたがないと思います。日本は人口が減少していますし。
 一方中国の沿岸部の人や、台湾や韓国、あるいはインドの方など。あるいはマレーシアやインドネシアも所得が上がってきています。どんどん日本へやってきています。

 いままでは日本へ来る観光客は欧米人ばかりでした。これからはアジアの観光客を意識しないといけないですね。アジアのお客さんをいかに高知に呼んでくるか。そのことがポイントであると思います。

 北海道ですね。暑いアジアから雪を見たい。オーストラリアでしたらパウダースノーでしょう。季節が夏冬逆ですし。オーストラリアの夏に北海道へやってきてスキーを楽しむ。という観光客が今激増しています。

 そうするとなにが起こるかと言いますと。北海道と九州で今起こりつつあります。日本語の交通標識や看板、案内に英語と中国語とハングルが書かれる様になりました。ふだん私たちが目にしている風景とは異なるようになりました。

 そういう気遣いが「ホスピタリティ」「やさしさ」であるとわたしは思います。ターゲットは海外からの観光客です。これを目標にまちをどうするのか。観光産業をいかに延ばしていくのか。

 小樽運河の話しになります。この話しになると2分ぐらいかかります。高知もそうした事例(新堀川など)をかかえていますので、お話します。

 小樽運河はしっとりした運河がありました。半分以上埋めました。道路にする計画がありました。その時に全国的な反対運動がありました。それをコペルニクス的に展開をして「それでは綺麗な道路にしましょう」「遊歩道にしましょう」すべての橋はデザインしましょう。」「倉庫は店になるから、外は残して中は改造しましょう。」とあれは何年ぐらい前か忘れましたが、小樽運河をそうした考え方を活用して整備をしましたら、反対運動は収まるどころか、観光ポスターや小樽運河と言う歌が出来るはで大変身しました。

 さきほども言いましたが、まちのに便利なもの。しっとりして、ああ綺麗だなと、いいもんだというものをこしらえれば、海外の人も見に来るし、何よりも地元市民がそれを好きになります。それを誇りし、自慢するようになる。それがひとつ、ひとつ手法ごとの成功例はあります。

 さきほどの本質論の続きからいいますと、観光の目的地を作るというターゲットはアジアの方です。そしてアジア人として農耕民族、漁労民族として、しっとりとするという共通の目を持ち感覚をもっているので、それを活かしていきたい。

 だから高知こそそれが出来ると思います。これだけ自然が残っていて、農耕民族で、海はこれだけ綺麗で、黒潮の色を見せられる。最高のロケーションがありますね。居間から飛躍的に高知は延びると思います。

 
西村 以前福井さんは「小樽運河も道路特定財源でこしらえたものです。」と言われていました。高知市におきましては新堀川と言う歴史的な運河を道路特定財源で建設されている県道はりまや橋ー一宮(いっく)線は、新堀川に蓋をし、道路にしています。

 中江兆民の生家や儒学者岡本寧穂や武市半平太の道場跡も新堀川周辺に残されています。またアカメの幼魚や絶滅危惧種のカニであるシオマネキも生息している高知市中心部のビオトープであり、ウォーターフロントでもありました。
 新堀川などは貴重な観光資源になる可能性があるのですが、どうも道路特定財源とはかみ合わないようでしたが。そのあたりはどう思われますか?

 さきほど福井さんが言われた自然も農耕民族も高知はあるとは思いますが。それをうまくコーディネイトすることができれば新堀川の道路計画に反対する人はいなくなるとは思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?

福井 まさにそのとうり。景観ですよね。デザインです。建築にも土木にもデザインする人がいます。それに加えて画家であるとか。本四架橋の橋の色やデザインも画家が決めた話です。

 すべて人間に関わる綺麗なものを扱っている人に決めてもらう。それで景観計画をもう一度やり直したほうが良いとは思います。あんまりやり直すなんていうと市も県もあっと思うかもしれないけれども。

 最も大事なのは水面なのです。下水道整備率が今でも県庁所在地で高知は一番遅れています。だから下水道を整備して、水面に魚影を。朝倉などにもそのような場所は拘置しにはたくさんありますが、都市の真ん中で、水面に魚影が映る、綺麗な水面をつくる。それをまずやるべきですね。

 水質を良くすればビオトープはできますね。それから道路こしらえたりする景観形成ですね。ファサードhttp://allabout.co.jp/glossary/g_house/w002498.htmと言いまして建築物の前面だけは「歴史的景観にする」とか、石畳風にするとか。城下町風にするとか。

 工夫がありえると思います。けんちゃんの指摘は一番大事なところを指摘していると思います。ですので「かみ合わないといけない。」ですね。

西村 現実にはなかなかかみ合いません。かみあった事例ですか。福井さんのほうで日本の事例や世界の事例は詳しいと思いますがいかがでしょうか?
 また「観光」を活用したまちづくりで高知に参考になる事例はありますか?アジアの人が来たら良いといわれました。先進事例がありますか?


福井 小さい町ならば、長野県の小布施町(おぶせまち)があります。

 葛飾北斎の里です。建築も街路も公共構造物もすべて1人の建築家がデザインしました。1人の建築家がデザインすることで町全体が同じ思想で形成されます。
 小さな町だからこそ出来たのではないかと思います。

 また観光地であったが、一時的にものすごく落ち込んだ大分県別府市。こちらは「観光大学」を落ち込んでいる最中にこしらえました。

 それこそアジアから留学生たちを誘致して、別府温泉などで勉強してもらって母国に帰る。母国では別府のことを宣伝するから、母国から観光客が別府へやってきます。
 アジアの人にまず留学生として来ていただいて、料金が高くないように大学で勉強していただいてと。観光大学というのも仕掛けです。

 もっと仕掛けであると言うのであれば、金沢です。お城があって100万石と高知の24万石とは違いますが、たかだか数倍の規模。お城があって城下町があって、伝統があって、歴史と文化と風土がある。なにが違うかと言いますと金沢ものづくり大学です。賀沢市営でつくりました。

 宮大工を勉強している人。土塀をつくろうと勉強している人。あれはなかなか難しいことです。実際に金沢城を修復しながら勉強をしています。
 ぞして実際に街へでてファサードを作り直す。勉強をしながら街ができあがるという。これは滅茶苦茶知恵のあるやり方ですね。こういう学校を高知でもつくってもらいたいですね。

 高知城の石垣づくりは穴太(あのう)積みといいまして(滋賀県が由来)、滋賀県から職人が来られて現在修復しています。全国的に価値のあるお城です。ですので城下町風のまちづくり。龍馬が見た風景を地域で、ストリートで復元したら激増するとは思いますね。


西村 話が面白いので時間があっという間になくなってしまいました。もっとお聞きしたいことはたくさんありました。時間の制約がありますので一気に聞くようにします。

 高知の資源と言われているものに「坂本龍馬」があります。「よさこい祭り」もありあります。それから「路面電車」と「まんが」もあります。高知の独自性、観光と言う場合に外せないところではないかと思います。

 それらの活用法などで福井さんのほうでアイデアなり事例があればお願いします。


福井 僕が個人的に思い観光資源で世界1であると思いましたのはポーランドの「アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館」ですね。

 ポーランドでユダヤ人を虐殺したところです。戦争そのものが博物館。ユダヤ人が虐殺された施設がそのまま保存されていて、毎日世界中から観光客が押し寄せてきています。日本語のVTRもあります。

 収容者の現場がそのまま保存されています。

 だから災害だから、戦争だから観光とは別というのではなくて、観光というのは人間そのもの。現在の自分。過去の自分。を見たい、出会いたい。知りたい、だから行きたい。というのが原則であると思います。

 今まさに龍馬なども。よさこいもそうですが、今度のサミットもYOSAKOI・ソーランがアトラクションで踊るそうですが、ルーツは高知だろうと言いたいですね。龍馬でも本場は高知やろうと。全国ベースにもやはなっていますね。ですので「高知でしか見れない。」ものを提供する。

 災害であってもいい。地震であってもいいのです。この戦後取り残された今の杏示唆であってもいい。つまり今の「マイナスをプラスにする。」を高知を見に来てください。と言う発想のほうがたくさん人が高知へ見に来てくれるように思います。

西村 話はつきないとは思います。もっとお話をお聞きしたいとは思いますが、今回のテーマでのトークはこのあたりにしたいと思います。

福井 市長がやる気になれば可能な話ばかりであると思いますね。標識を外国語表示する(英語・中国語・ハングル)は既に博多がそうなっています。外国人観光客を受け入れるのならそのあたりの整備と受け入れ側の意識変革が必要になるでしょう。

 まず韓国からの修学旅行の受け入れから始めると良いと思いますね。中国も少しづつですが増え始めています。子もがポイントです。

 金沢の21世紀美術館もみのさんという東京からトレードされた人が来られて、現代美術を無料でずっと鑑賞させてようです。そしたら親に子供たちが言うて、親も一緒に来館するようになりました。それから爆発的に来館者が増えました。

 日本人でも外国人でも子供がポイントですね。


あるべき都市の姿について 9月12日(金)


西村 今月の「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」のゲストは衆議院議員の福井照さんです。福井さんは元建設省に勤務され都市問題に大変詳しい人です。取り付きにくいと市民には敷居の高い都市計画問題や、まちづくり問題をわかりやすくお話いただけると思います。

 今日のテーマは「あるべき都市の姿」についてお話を伺います。

 高知市などの地方都市は、中心市街地が郊外型ショッピングモールの登場により衰退し、活力がなくなってきました。映画館すらない状況です。
 福井さんは以前英国も同様の状況であったが、郊外への出店を規制し、中心市街地と提携して出店するようになってから共存して繁栄していると言われました。

 それはいわゆる「まちづくり三法」促しているのでしょうか?高松市丸亀商店街の再開発ビルなどは成功事例と呼ばれるものなのでしょうか?

福井 そうですね。中心市街地を守るというのは国是であると思っています。役所(建設省)にいるときの最後の仕事が「地方の中心市街地の再開発」でした。最初の法律をこしらえました。

 地方の中心市街地の再開発は最初はアメリカから始め李ました。1980年代のアメリカでは地方都市が衰退し、中心市街地が荒廃し、ダウンタウンに低所得者の黒人層とヒスパニック層が入り込んできて治安が悪くなり、その地方都市から勤労者層もいなくなり、企業もいなくなりました。そのまちが「溶けて」なくなってしまったのです。

 その結果ダウンタウンが一番大事であるということがアメリカ人は理解しました。そこで都市の再開発施策を始めました。それがすぐに英国に波及し、90年代初頭に「タウンセンター・マネジメント」という考え方をを英国が発明をして地方都市のタウンセターを皆が活き活きして歩いて買い物したり、食べたいものを食べたりするゾーンに中心市街地をしないと地方都市がなくなってしまう。

 そういう意味でTMOというのは、イギリスの考え方を直輸入して日本でも10年ぐらい前からやり始めました。

 なにが違いかと言いますとイギリスは主体はNPOなんです。タウンセンター・マネジメントの主体なんですね。日本はNPOがまだまだ未熟で民主主義が発達していないので主体が市役所なんですね。そこが全然違います。そこがせつなくて。成功例だとかなんだかは言われていますが、青森や富山や金沢の事例を言われますが成功事例が僕にいわせれば1個もないのです。

 どうしてかと言いますと。英国のサッチャー政権も最初は「規制緩和」から始まったのです。日本の地方都市がが小泉ー竹中路線で苦しんでいるように、最初は新自由主義でした。規制緩和、市場原理、すべてフリーにすると言うことでいままで規制してきた郊外への大型ショッピングモールをサッチャー政権は最初は許しました。

 だから地方都市の中心市街地がみるみるうちに衰退しました。いままで郊外のショッピングセンターはなかったからです。同じサッチャー政権は間違いに気がつき、すぐに郊外の大型ショッピングモールをすべて禁止しました。それ以来政権が変わっても、1つの郊外型の大型ショッピングモールは出来ていません。

 そういう施策のファクト・フィンディングがあって転換がありました。背景は日本と全然違っているのです。かつて許したことをもう一度禁止するのですから。
 「ごめなさい」という激しい施策の転換というのが日本人にはなじめないということですね。

 日本では地方都市の中心市街とを守ることは国是なんだけれども、中心市街地がぼーとしているというので現在推移しているということですね。

西村 それだけ思い切って規制緩和して、また規制を強化する。というイギリスならではですね。凄いことをしたのかなと思います。

 日本でも「まちづくり三法」というのは郊外へのショピング・モールを規制していく法律のように聞いてはいますが、それだけの拘束力があるのでしょうか?

福井 だいぶ効果は出てきました。県により強弱はあります。一切今後の出店は無理だなと思わせる県が出てきたことはあります。とにかくこれからは地球環境問題もありますので、都市はコンパクトにしてできるいだけ自動車を使わないようにする。楽しく街を歩いてわくわくどきどきしてお話もして、食事もしてという。これからは「コンパクト・シティ」が国是になります。

 なるべく郊外の大型ショッピングモールはつくらないようにことなんです。ただ郊外の大型ショッピングモールをこしらえる立場の人からしますと「まだまだ購買力があるではないか」と言う人がいます。

 高知でもあまだまだ郊外に2つくらいこしらえてもお客さんがやってくると言われています。と開発当事者に読まれているぐらいまだ私たちは購買力があるのです。

 しかし都市計画において、高知市長さんのポリシーにおいて少なくても当面は高知市には郊外型の大型ショッピングモールは出来ないでしょう。私たちの目標はなるべく都市をコンパクトにしていくことです。

 高知市は環境白書にも載りましたし、路面電車を活用して、低炭素社会のモデル都市として私たちは暮らしている。と日本中から既に認められています。より低炭素社会の象徴が中心市街地になるのです。中心市街地は商店街だけのものではない。学校も病院も、住宅も全部含まれるのです。これからはどんどん街の真ん中にいろんな施設をもってくるのです。

西村 そのあたりの議論はいろいろ市民レベルでも行われていました。討論会を見に行ったこともあります。高知大学を中心街へ誘導する。高知女子大は池へ統合する。追手前小学校は廃校にして新堀小と統合、跡地を商業地にするなどお互い連携のないちぐはぐな都市再生プランが乱立しています。

  高知県や高知市には「都市計画不在」のように思われます。あるのは街路整備計画だけのようにも思います。
 都市計画とはどのようなものなのでしょうか?マスタープランにおいても高知では市民参加が保証されず短期間で決める傾向があります。市民参加と情報開示が中途半端です。

 お立場上お答えできにくいテーマかもわかりませんが、おかまいない範囲でそのあたりをどのように整理し、考えれば良いのは。お話ください


福井 都市計画法は昭和43年(1968年)にこしらえて、その時に市街化区域をこしらえました。市街化区域とそれ以外の区域をつくりました。

 はっきりした線で区分したのです。しかしそうして区分した市役所ほど土地が安いからという理由で市街地以外の地域へ公共施設を移転させたり、新たにこしらえたりしていました。40年の悲しい歴史があります。

 いまは端境期であると思います。そうしたゾーニングをすると言う手法の都市計画が破綻をした。失敗したということは国土交通省もわたしたちも共通の認識になっています。ですから建物を建てるときの制限だけではなく、目標は地球環境に寄与するというこいとで都市をどうやってつくるのか。そのための規制があり、誘導がある。
 
 今までとは全く違うという考え方で都市計画をすればブレークスルーできると思います。

 今までの延長線で考えても何も進みません。お互いに不平不満だけいうて終わり。お互いをうまくとり持つ場所がないのですね。

西村 ないのですね。1990年頃の時代に高知市は横山市長の時代に、都市再開発のために都市計画税を導入する構想がありました。当時自分も青年会議所の時代でしたのでセミナーなどもやりました。
 地域地域の不満が地区懇談会で爆発して、行政側がそれを受け止めて対話しているうちに時間切れになりました。なかなかそれは難しいですね。

 福井さんが「あるべき高知の観光とは」で言われていましたように1つの街であれば1人のプランナーが設計したら景観も一貫したものになるから良い街ができますね。でもそうはなかなかならないからばらばらになります。

 もう1つの視点は防災の観点です。高知市は低地の街ですね。シティFMのある潮江とかわたしの住んでいる下知は南海地震時水没することがわかっているのに、現在物凄くインフラ整備をしています。電柱地中化工事もしていますし。

 水没することがわかっているのに市役所もどうしようもないし。高齢化、少子化だ、介護保険だがあるので、市役所も動けない。皆答えがないのではないでしょうか?
 そのあたりは国として国政として「救いの手」とか「方策」はありますか?

福井 国として公共体としてはないんですよ。僕は役所の時もしていましたが「風水」ではないかと思いますね。占いだけではなくと(都市における)「風の道」「水の道」を守るということです。人間こそ自然だから。

 都市は人工で、自然と対立している。というのは全く間違いです。都市も自然なんです。人間が自然だからです。自然そのもののわたしたとが、自然そのものに、ナチョナリーに暮らしている。アスファルトだって、セメントだって自然のものですよ。

 そういう街の暮らし方はそこの風水論で、そこの龍脈が沸いてくる。地球からエネルギーが沸いてくるところに市役所、県庁やお城を建て、南側に海があって、広びろとしたところで経済活動をし、北と、東と、西には山があって敵から守られている。そういう風水論というのは、極めて有効なんです。

 おどろおどろしいことを言っているのではなくて、生態学者の人がいつも言っていることです。生態学の中でなにが1番大事かと聞きますと「地下水である」と。「地下水脈を切ったらあかん。」と。「地下水ほど生態学上重要なものはない。」と。

 徳川吉宗が江戸中に地下水道を引きこんだんです。そしたら、物凄く悪いことが起こりました。なぜかと占い師に聞きますと「それは地下水脈を切ったからだ」といわれたそうです。

 地下水脈は磁気も持っているし、電磁気のほうもそうだし、地下水脈を頼りに多様な生き物が生きているので、「風の道、水の道、地下水を大事にして」私たちがそこにしっとりと自然と一体となって暮らしている。という都市がどういうものであるか。

 高知の南国の、室戸の、宿毛の街と自然と地下水とを「見る力」が、「読み解く力」がいります。そんなことは近代都市計画の中では、近代土木工学でも1個の教えていません。だから物凄く前に戻らないといけないけれども「知恵の埋蔵金」が固まっていると思うんです。

 だからけんちゃんがずっと不平不満があるのはそこなんです!その「読み解き方」が足らんということです。

 
西村 なんか高知市は「環境都市宣言」にエントリーをしたようです。さきほど福井さんが話された「観点」や「視点」があるのでしょうか?

福井 それは未だ役所ベースに乗らないから。だけど水面も活かすし、山も活かすし。僕の言葉ですと「風水」ですけれども。考え方は入ってはいますね。
 環境モデル都市として世界に認められる活動。それで1番大事なのは人をつくること。そして「意識」です。意識。

 だから私たちが全員同じ気持ちで低炭素社会をつくるんだ。低炭素社会の世界のモデルになるんだ。その意識をつくることです。それこそ風水で地域を読み解いてわたしたちが暮らしている大地は一体なんなんだ。それを知る為にも、一緒に活動する。そういうことと思います。


西村 もう1つ質問です。富山市などは路面電車を活用したまちづくりを行っているようです。鉄道の廃線をうまく活用したようですが。廃線を路面電車に活用して熱心にまちづくりをされているようです。

 高知も路面電車が動いていますし。それを都市づくりに活かす。路面電車を高知駅から北へ伸ばす。イオンまで延長します。北部環状線を路面電車を走らす。そういうことの実現は、今の法制度とか都市計画のなかでは実現は無理なのでしょうか?
 やる気があればできるのでしょうか?

福井 やる気だけでは駄目です。技術開発がいります。パンタグラフのないLRTが必要です。北海道で実験が終わりました。出来そうになったんです。
 リチウム電池と言って何億回に1回は発火するので、なかなか導入できないんです。リチウム電池を積んだ路面電車です。

 停留所に電車が停車するたびに、横から(充電器)をピット出して、充電して走行する。バッテリーに充電するようにして走ります。そうなりますと架線が要りません。
(パンタグラフも架線も架線を支えるビームなども不要になります。)
 そうすると路面電車の背も低くなります。そうなれば高知駅の1階のあの空間の天井の高さでも電車は北側へ通り抜けることが出来るんです。

 今は行けないんですけれども、新しい技術開発した後のLRTや路面電車では可能です。行けるのです。それも早く実験をまずして高知で導入できるのです。それもコレもお金がいります。

 今の土佐電鉄の経営状態で、そんな投資が出来るかどうか非常に難しいと思います。それは私たちの税金で市役所と土佐電鉄とかが合体して、プロジェクトができるか。それがキーであると思います。

西村 風水の話は面白いですね。高知市は山に囲まれ、海もちかくにある地方都市ですね。しかし、アスファルトの放射熱や建物や自動車の排熱で街は暑いです。夏にはエアコンをいれないとすごせないほど街が暑いというのはおかしいですね。エアコンをかけるからよけい暑くなりますし。

 これは風水の立場から見てもおかしいと思いますね。夏はエアコンなしで過ごせる街であるとか。市民がやる気になれば出来るのではないのでしょうか?

福井 石油・石炭を卒業することは可能ですね。ちょうど東大の学長が自宅を改造されて太陽熱発電パネルその他をやっていました。80%を削減したそうです。
 石油・石炭は80%削減できるんです。だから太陽光でエアコンも使用可能です。
太陽光を使用するためにはエアコンも冷蔵庫もすべてCO2が低いものにしないといけないんですがね。

 いずれにしてもわたしたちの住まい方が地球としっとりいっている。そういうことが風水論ですね。60兆個細胞があるけれども、分子生物学的には、死んだらすぐ風になりますからね。

 だから風も水も自分自身も一体だという生き方をいかにできるか。そこにかかっていると思います。

西村 福井さんのホームページのなかで北山孝雄さん(北山創造研究所所長・建築家安藤忠雄氏の弟)との対談で「風水の話」はとても面白く興味を持って読みました。お互い面白い話をしまくって終わっているようでしたが。環境と都市が密着しているという話は初めて聞きました。

福井 都市計画で定めているのはドイツです。「風の道」と定めています。「風の道」という都市計画そのものがあります。
 道路をここからここまであるけど。風の道は山からこういうふうに風の道があるので、ここにビルを建ててはいけない。はっきりあるんです。

 風水をおどろおどろしいというのは、日本だけです。


西村 韓国ソウル市のチョンゲチョンの時も「風の道」がどうしたこうしたというのはテレビで見ました。風はチョンゲチョンの上をこう吹くから温度が下がる。そういうのがあるんですね。

福井 今度はっきりするのは東京駅南側にある大丸がありますね。大丸が壊されます。そうすると江戸湾の風の道が、大丸の高層建築で通れなかったのが、なくなるとそのまま皇居まで行きます。風の道を復元するのですね。(大丸は移転します。)

 もともと風の道に東京駅はありました。無意識ですけれど東京駅周辺の建物を低くすることで風の道が出来ます。皇居は武蔵野台地の先。このさきに海があって。皇居には雑木林が一杯あります。そこへ向って潮の香りがする風が吹きます。


西村 大きな再開発ですね。そうなると日本橋の上にある高速道路も撤去しないといけないですね。

福井 ありますね。川沿いに風は行きますからね。川沿いに建物とか高速道路などをこしらえるのがそもそも間違いですね。

 あのときはしょうがなかったんです。関東大震災の後にいろんな広場をつくって、公共空間がたくさんありました。高度経済成長のときは、東京五輪の時は、使用せざるをえなかったですね。いちいち用地買収なんか出来ませんでしたし。

 それが川の空間だったり、関東大震災後にこしらえた防火帯であったり。そこへ高速道路を通すしかなかったんです。突貫工事でしたし。

西村 その話を聞きますと高知であれば風水を意識した都市づくりは東京ほど労力なしにできそうに思いますが。

福井 そうですね。さえん場から、最初でしょ。オリジンで。そこの近くまで船で来て。さえん場が最初の商店街だったんですね。

西村 そうですね。九反田のかるぽーと近くの堀川を船が着いて、そこから歩いて現在のはりまや橋商店街付近が昔の高知市の繁華街でした。
 船は藩政時代は大丸前まで水路がありましたし。

福井  キーは水面なんです。水面の復活ですね。

西村 でもいまの高知市の都市づくりは水面を埋めていますからね。「16億円の無駄遣い」といわれているはりまや橋バスターミナルにしても、むしろ川を堀返せば価値がでるでしょうに。全部逆行してますよ。話が行政側とかみ合いません。
 事業を批判するとかみ合わないし。かといって迎合するわけにはいきませんし。
 ではあのバスターミナルは利用計画は?と聞きますとなにも考えているようにはないですし。都市計画の不在なんでは思いますね。

 風水の話は自然で沖縄でも首里城は風水で決めたと聞いています。建築で「鬼門」というのがありますが、これも風水の1種なのではないでしょうか?建築家は一応学習しているとは思いますが。


福井 建物のほうはそうですが。

西村 都市計画のなかでは「風水」はまだまだ活用されていないということですね。

福井 そうです。

 
国の施策の最大活用法とは? 9月19日(金)

西村 今月の「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」のゲストは衆議院議員の福井照さんです。福井さんは元建設省に勤務され都市問題に大変詳しい人です。取り付きにくいと市民には敷居の高い都市計画問題や、まちづくり問題をわかりやすくお話いただけると思います。

 今日のテーマは「国の施策の最大活用法とは?」でお話をお聞きしたいと思います。
 福井さんは国の施策を活用して地域の振興を図る。それには知恵がいるのではないかと言われてます。低迷する高知県の地域経済。
 とりあえず活用できそうな国の施策はいくつかあるのでしょうか?

福井 今高知でできるのは、「輸出」と「観光」であると思います。
 「輸出」は高知の「農林水産物」の輸出です。政権は放り出しましたが安倍総理の最初の施政方針演説のなかに、今3000億円の輸出を1兆円にするというものです。

 りんごや小夏や文旦を中国やインドや台湾に輸出しようと。順調に輸出額は増えています。1兆円を超えそうな勢いです。毎年15%、20%を超える勢いで増えています。日本で買うよりも遥かに高い値段でりんごやお米が北京の百貨店で売れています。

 量さえ作って、うまくマーケティングしルートさえつくれ上海、北京、高雄とか、台湾でも私たちがいつも食べている小夏や、文旦やトマトがどんどん売れると思います。

 今は量が足らないのですね。ルートがなくて量が足りない。せっかくの機会を失われている。農林水産物の輸出ですね。

 それと第1回目「あるべき高知の観光とは」でお話しました観光ですね。これは日本人の1億2千700万人のマーケットの奪いあいではなく、どんどん人口が増えているインド,台湾、韓国。14億人のうち4億人はもう先進国と同じ所得だといわれている中国の方にどんどん高知へ来て頂く。どんどんお金を使っていただく。

 言うことだと思います。どんどん豊になりますからヨット遊びとか、海で遊ぶことなどはアジアの方がしてくれると思います。そのための黒潮ですね。そのために宿毛のさんご礁。そのための鏡川。日本銘仙100選にもえらばれた鏡川。30万都市の街の真ん中を流れている川が日本名水に選ばれています。坂本龍馬が泳いだという。子供が泳いでいる川。そんなところはありません。

 観光資源には事欠かないので観光客の誘致。それは別府のように留学生を呼んで。例えば高知観光大学をこしらえて毎年留学生を2000人ぐらい来て頂いて、高知で遊んでいただいて。それで帰っていただいて、宣伝していただいて、どんどん親戚を連れて来て頂く。そういうことで飛躍的に観光客は伸びると思います。

 「農林水産物の輸出「と「観光」です。これについて国が手を取り、足を取って指導してくれるのかと言いますとそうはなりません。やはり地方自治の原則ですね。実は都合に良いときだけ地方自治の原則なんだけれど。いちいちはしてはくれません。地元の人達が知恵を出さないといけないのです。

西村 もう一つお聞きしたいことがあります。最近完成しました高知駅周辺連続立体交差事業です。これなんかも国策の1つでしょう。
確か一度は鉄道高架事業は取りやめに成った経緯があり、もう一度がんばって復活されました。
 また高知駅前に関連した事業で高知市はどのように都市改造すべきなのでしょうか?活用する方法はあるのでしょうか?

福井 鉄道を2階建てにして踏み切りを解除する。というのはツール(道具)であって、本来の目的は高知市の北側にあった土地を私たち市民に向けた土地に治すということでした。
 鉄道操車場というのは鉄道マンのために必要でした。国鉄に働いている人に顔を向けていた。土地でした。今や高知市民に顔を向けた土地に大化けしているんです。どんどんマンションも建っていますし、新しいお家も建っているし、もちろん地震にも強いけれども下水道も公園も出来ている。お店もどんどん出来ている。

 それが弥衛門のほうまでずっと続いてますます大化けします。ポイントは県がもっている土地。市がもっている土地。それから四国JRが持っている土地にちゃんとお客さんを呼べる建物。そして綺麗なもの。

 今後500年、1000年してなるほどこれが高知の風土だと。まず建築物を立てるののならまず景観があって。景観形成は風景になって。が風景が500年、1000年すれば風土になる。それが私たちの志ですから。風土になるうような設計をいかに県庁なり、市役所なりが、JRができるか。そこがポイントですね。今のところは原っぱですが・・。
 だから物凄くウォッチしないといけないのです。

西村 また意見が異なるかもしれません。最近の国は「迷惑施設」を地方自治体に押し付けることが多いようです。受け入れる場合は多額の交付金を出すが、反対すれば出さないという露骨で強引なやり方が目立つように思います。東洋町への高レベル放射性廃棄物問題や岩国市への米軍艦載機の移転問題など。

 国の方針というのはこういうものなのでしょうか?それともこれは「異質」なものだったのでしょうか?

福井 まあ「札束でほっぺたを叩く」ようにそういう感じでしたね。あの時(東洋町の高レベル放射性廃棄物採取処分場文献調査)の場合は。
 だけどもたとえば今水道の水は世界1なんですね。殆どそれはダムで食べていますけれども。ダムにより何百年も暮らしていた人達がふるさとを追い出された人達が新しく住み替えておられます。

 何万人いらっしゃるるんでしょうか。北海道から九州まで。そういう協力いただいた感謝を忘れてはならないと思います。

 先ほどの原子力は理論はあるんですね。地球環境だから原子力を増やさなければならないという立場もふつう世界中そうですけれども、ドイツなんかスウェーデンみたいにこれから原子力は使わないんだという国もあります。

 原子力でどうこうというのはまた別の話しです。日米安保条約。これも別の話しです。いずれにしても被害を被っている地域の方の被害を大きさをいかに小さくするか。被害を受けていない殆どの国民が一緒に考えなければならない。と思うんです。ですから国のけんちゃんがご指摘のそういう思いやりを考えていますよ。後期高齢者もそうですけれども。一緒に考えてます。

 同じ立場でやりましょうねと。ぬくもりとか。あったかさとか。そういう感じが役所に全くないんですね。それが必要なんです。それを魂から入れ替えた後の、補助金とか、交付金のありかたはどうなのか?同等なのか?それは行政改革が必要なところですね。


西村 別の観点からの質問です。先日NHKの番組でも放映されていました。約6万ある日本の橋のうち1割に当たる約6000橋が即維持管理作業をしないと危険であるとのレポートには驚きました。
 現在日本の仕組みでは、道路や橋の新設には国の補助が半分あり、残り半分に関してもうち半分は地方債の発行が認められています。新設橋の建設は割合簡単ですね。地元負担も少なくてすみますし。

 ところが維持管理の場合は100%地方自治体負担であり、財政力の弱い高知県などでは道路や橋の維持管理が十分にできない可能性があります。この状態で地震でもくればどうなるのか?先日の岩手・宮城内陸地震のような地震が来ればどうなるのか?
 ひどい災害なら国が手助けはしていただけるのでしょうが、そうなるまではどうするのか。
 維持管理を促進するような国の施策はあるのでしょうか?

福井 必要な歴史かもしれません。アメリカもそうでした。アメリカも同じ道をたどりました。バーと高速道路やインターステイト・ハイウエイをこしらえて、つくりきっやんでそんなもんいらんやないかと。

 ガソリン税もなくして、道路への投資をずっとしなかったんです。ロサンゼルス五輪(1984年)あたりから、痛みが全米で目立ち始めました。何10年も道路整備をしなかった後に、メンテナンス・プログラムをこしらえてそれで今は道路をこしらえ維持管理をしています。それで日本も今その道をたどろうとしています。

 マスコミは止められませんわ。高知ではお陰さまで「命の道」を守るということになりましたが、公共事業や道路事業にみなさんの協力をいただいています。
 全国的にはマスコミを中心に「道路は悪である」という声が席巻しておりました。今は抵抗出来ないですね。

 そんなには予算は減りませんけれども、日本もアメリカと同じ道をたどろうとしているのです。そのあたりを理解いただければと思います。


西村 海抜0メートル地域の私が居住する下知地域では電柱地中化工事(共同埋設菅工事)が国土交通省の直轄工事でされていました。
 むしろこの地域は地盤が弱く、浸水する危険性が高い地域です。耐震性のある津波避難ビル機能のある公共建築物や、昭和40年代に建設された高潮堤防が劣化しています。こちらは高知県の管理だそうですが。

 地域住民の危機意識が国の事業に反映されないように感じています。このあたりはどのようにすれば良いのでしょうか?どこにどういう風に訴えれば国と話がつながるのか?そのあたりはどうすれば良いのでしょうか?

福井 目的が今までは経済でしたからね。戦後から高度経済成長が終わっても、経済難ですよ。公共事業の目的は経済なんです。
 その時代はとっくの昔に終わっている筈なんですが。終わらせないといけないんですが未だに続いています。ご指摘のように聞こえましたのですが、まさにそうなんです。

 地震の時に私たちの命をいかに守るのか。公共事業のバランスを考えれば。公共事業の目的を考えれば、全然違った答えになる筈です。

 例えば今は「港が余っている」と言われています。道路事業はそんなにでもないけれども、港湾事業は余っている。だけどいざというときに船で罹災者を助けないといけない。

 経済ではなくて命を守る。そういうときには港の工事や整備は足りないのではないかと言うことが見えてきます。そういう意味で命を目的とする。そして防災を目的とする。地域のマネジメント。地域の経営を目的にすることです。


西村 塩野七生・著「ローマ人の物語」を読んだことがあります。全15巻の著作集の中に「すべての道はローマに通ず」という著作があります。ローマ帝国の公共事業のありかた。社会基盤整備(インフラ整備)のありかたについて述べられています。

 ローマ帝国は本国の施設を属州の都市にもこしらえています。道路網、水道、橋,劇場、浴場、競技場、などです。

 また維持管理もきちんとしていたようで500年ぐらいは施設は保全されていたようです。もちろんローマ帝国は古代国家で、今の日本は近代国家であり、社会体制は異なります。税制や社会制度の違いは当然あるでしょうが、参考になるのではないでしょうか?

福井 まさにそうです。皮肉を言いますと・・
 インフラ。インフラ・ストラクチャーですね。公共工事でこしらえる施設ですね。道都とか、下水道とか。上水道の整備事業を今の社会でもインフラ整備と言いますね。
 そのインフラという言葉がまさにローマ時代につくられました。

 そのインフラというのは、例えば、インフラ・レッドであるとか、インフラ・ソニックとか言うのは高周波で耳に聞こえなかったり、目に見えなかったりするんです。
 つまりインフラというのは、普段は目に見えないし、わからないものなのです。ここで隠喩として暗喩としてローマ時代から、あったということです。

 これはとても深い話です。だから常に重要性をPRしていませんと国民に理解してもらえないのです。ローマが続いたのは地方自治ですね。それぞれの民族を殺さずに、支配はするけれども、属国にするけれども、今までどうり生活してください。

 民族として仲良く暮らしてください。そのためにインフラストラクチャーがあったと。物凄く志が高かったんです。志がいかに大事であったか。常にわたしたちは言わないといけないと思います。

 だけど僕たち日本人は「ソーシャル・キャピタル」というものを持っています。隣組とか。日本人の農耕民族としてのおつきあいです。一緒に農耕して作業して、田植し、稲刈りとか仲良く暮らしていました。そのあたりはローマ人はありませんでした。

 僕たちの日本は持っています。それをソーシャル・キャピタルと言うのです。社会的な基盤。私たちは忘れてはならないと思います。「ローマ人の物語」を読むと常に思い出すところです。

西村 国の補助はだいたい50%で、後は地元自治体負担です。高知県の場合地方自治体が弱っているので補助すら受けられない状態になりつつあるのではないのでしょうか?
 福井さんは「農業の輸出」「外国人観光客、特にアジア地区からの誘致」を言われていました。

 地元を「元気にする」方策は国のメニューで「高知の特性を生かし使えそうだ」というものがありましたらご紹介いただけないでしょうか。

福井 人と意識ですから。教育そのものであると思います。地方の元気再生事業というので「環境と食」が高知は滅茶苦茶いいのである。JTBのアンケートでも高知で1番お気に入りのものは食べるものでした。と言っています。

 小夏や文旦や野菜にしても、お酒にしても。およそ口にするものは高知では素晴らしい。もう一回見つめなおして、棚卸をして、どこがどうなのか。素晴らしいのかを私たち自身が、理解しないと。理解しないとアピールできません。


西村 高知は大きな川があり国直轄のダムもあります。森林の間伐をした折に発生する林地残材をチップ化し、木質ペレット化しますと「木質バイオマス地域循環システム」がダムで展開することが可能です。
 熱源と電気も起こせ、エネルギーの地産地消と環境対策、排出権取引の対象となりダム上流域の人たちにとり仕事を生むしくみになりえます。ダムは迷惑施設から利便施設へ転換できます。

 早明浦ダムや大渡ダム、中筋川ダムなどに可能性があると思いますがいかがでしょうか?(木質バイオマス地域循環システムについては別紙参考)
 国の直轄のダムで木質バイオマス地域循環システムが稼動すれば山間部は元気になると思いますがいかがでしょうか?

 ダムの上流域の人たちは水没したりして生活や暮らしの場が奪われてきました。国土交通省の直轄のダムで木質ペレットをこしらえるプラントがありますと、そのペレットをつかって発電したりできます。また地域の人、上流域の人も間伐材を持ち込んでそいれが現金収入になれば地域が元気になります。そうなるとダムが迷惑施設から、ありがたい施設になると思うのですがいかがでしょうか?

 高知県は森林が多く大きなダムもあります。ダムにその視施設ができると山間部の人は元気になり間伐も進みます。その先鞭を国土交通省直轄のダムでしていただきたいのです。

 福井さんのサイトで自然体験の学校なども組み合わせて出来る。と表現されていましたが・・。これは1つの政策になるのではないでしょうか?

福井 だれも注目していただけなかったのですが、福田ドクトリンでこの間出しました。「排出権取引やります」がありました。誰もマスコミは誉めてくれない。
 これはごっついことなんです。どうしてかと言いますと、京都議定書の時に、当時の大木環境庁長官が「6%マイナス」を約束しました。

 その時は凄いバトルがありました。経団連と秘密文書が交わされました。約束するけどええからと。経済界とは。そのことを最近言われる人が出てきたので、本当ではなかったかと思います。

 今回福田総理は、洞爺湖サミットで「2050年に二酸化炭素排出量を半減しましょう。私たちも60から80%下げましょう。」とこれは凄いことであと40年で現在の二酸化炭素排出量を6割から8割削減することですから。

 今の石油消費量を2割にすると言うことですね。それをやるのに際しては僕たちだけではできません。

 排出権取引ですね。これから増えようとしているインドの工場に省エネルギー技術を差し上げて、今から排出量を増えようとしているのを抑える。その排出権を買うのです。地球全体で排出量が減ります。

 私たちの分を減らすためにインドで減らす。それは京都議定書で認められています。経済界は最初こそやり気はなかったですが、今回は「やります」と言いました。

 物凄いことです。誰も誉めてくれませんが。排出権取引で、日本国内取引ですが、木質バイオマス地域循環システムは使えますね。

 間伐材をチップ化し、ペレット化し、木質ペレットを燃焼させてエネルギー、冷暖房や発電につかいますね。石油の削減にもなりますし。

西村 高知は大きなダムが国土交通省関係でありますので、先鞭をつけると言うことでは可能ではないでしょうか。

福井 国土交通省も環境目的になっています。ガソリン税も環境目的税になります。

西村 水資源公団の人達が」大きな関心を持って中嶋健造さんの話を聞いていただいたようです。早明浦、大渡、中筋川、坂本などの大きなダムが高知県にはありますし。ダムの近くに木質バイオマス地域循環システムのプラントをこしらえていただいて、地域交流センターも併設してやれば、ダムの上流域の人たちにメリットが出る仕組みでうs。

 どんどん間伐した材木を持ち込んで来ます。間伐が進みますから森も生き返ります。現金収入にもなります。ダムも活用されます。悪いことは1つもありません。地球閑居の為にもなりますし。

 その事例を「アジアの人たち」に売り出すこともできますから、即実行できれば良いと思いました。
 仁淀川町も間伐がどんどん進行し、個人林業主などからどんどん間伐材が持ち込まれすぎて、抑制しているようだとも聞きました。木質ペレットを消費する先をもっと今後開拓しないといけないのです。

 その先鞭でダムにそのプラントが出来るととてもいいのです。

福井 木質ペレットを効率よく燃焼させる実験が行われていますね。ボイラーレベルの実験段階であると聞いています。

西村 この実験などがうまくいくと森がたくさんある高知県は「宝の山」を持っていることになります。

福井 一昨年から間伐が公共事業になりました。コペルニクス的転換です。「間伐が公共事業ですから」だけど個人の山は1割負担です。その1割の負担が払えないのです。
 他所の県は1割負担分を県で出しているところもあります。高知県はその1割負担を県が出すことが出来ないのです。

西村 間伐材はプラントへ持ち込めばトン3000円で購入してくれます。ダムのあるところはどんな山奥でもきちんとした道路がありますし。
 「呼び水」的に国土交通省あたりが、木質バイオマス地域循環システムのプラントをダムに併設してこしらえていただいたら、モデルになるので、早く促進できます。

 ダム周辺は道路が整備されています。間伐した地域から車で0分程度のところに、間伐材を売る場所があれば言うことはありません。高知県の拠点、拠点にダムがありますし。流木も活用できますし。燃やして灰ができれば、畑で活用できますし。クリーンエネルギーですし。
 
福井 ダムの周辺の市町村は小さく財政事情も厳しい自治体ですね。例えば早明浦の上流域になる大川村には道路や橋があります。今の状態では維持管理は村の予算では殆ど出来ないと思います。

 こういうプロジェクトをこしらえているから道路の維持管理が必要である、使えますねと言うことで使えますね。

心の自由民権ー人生主義とは? 9月26日(金)


西村 今月の「けんちゃんの今すぐ実行まちづくり」のゲストは衆議院議員の福井照さんです。福井さんは元建設省に勤務され都市問題に大変詳しい人です。取り付きにくいと市民には敷居の高い都市計画問題や、まちづくり問題をわかりやすくお話いただけると思います。

 今日のテーマは「心の自由民権ー人生主義とは?」でお話をお聞きします。

 福井さんはホームページのなかで「好きな時に子育てができ」「好きな時に親の介護ができる」「またなによりも大切な事、即ち自分の心のケアも好きな時にできる」、自分の人生を設計どおり生きることができる、そんな人生を支援することを本意とした社会を創らなければならないと思っています。」

 そのためには

「今必要なのは枝葉のような個別の政策ではなく、より上位概念であり、個別の政策をコントロールする領域、即ち人間のあり方を根本から見つめ直すベーシックポリシー、或いはスーパーポリシーといってもいい領域であると考えます。

 今の日本からこの分野がすっかり抜け落ちてしまっているからこそ、政治不信はむろんのこと現代人の根源的な不安、不満に立ち向かうことができないでいるのです。」と言われています。哲学のようですが、今一度解説をお願いします。

福井 今言われた途中で、皆さんは「気を失った」と思うんですけれども。
 たとえば後期高齢者医療制度に対する国民のブーイングというのも、1つの現われなんですね。というのはやりたいことは、できるだけ長生きしていただきたい。1分でも1秒でもわくわく、どきどきして長生きしてもらいたい。そう生きてくださいね。と。

 そのために必要な医療費は確保したいので、こういう仕組み(後期高齢者医療制度)にしますと。今まで市町村ごとにアンバランスだったしたので、県全体で1つにしますと。そういうことなんです。それだけなんですね。

 後期高齢者とか。いきなり年金から天引きするとか。あまりにデリカシーがない。ということなんです。僕に言わせばデリカシーがないとか言う問題ではないんです。
 つまり目的なんですね。僕も行政にいましたので、目的意識がはっきりしていなければ、すべて誤解を生んだり、うまくコミュニケーションができなかったりします。そういうことなんですよ。

 今まで戦後経済を立て直す。地域を立て直す。それから貿易をもっと増やす。それが行政目的でした。もうそれは終わりました。もちろん外交や防衛も必要です。今からは「人間1人1人が1番大事。」「1人の人生がいかに守られているか」がお互いに分かり合うこと。「1人1人の人生が1番大事であると言う社会を作り上げること。」を目的にして政治も行政も魂の底から心を合わせていかないとならない。

 というのを自由民権運動にひっかけて「心の自由民権」と最初から申し上げていました。自由民権の国高知ではそう言っているけれども、東京ではコミュニケーションできないので、「今までは経済中心の資本主義だったけれども、人間を大事にする。1人1人を大事にすると言う意味で、資本主義から人生主義へ。人生が1番大事。目的である。そんな世の中にしましょう。」と言っています。

 いろんな事件も起こるでしょう。くっついたり離れたりするでしょう。殆ど苦しみの人生ですからね。でもそのたびに暖かく、支援できるような、人生の都合に合わせて行政が動いていく。そういう仕組みに変えなければいけないということです。

 例えば市役所の部署(課)の名前も「20代課」「30代課」とか。そういう風でいいんです。今は縦割りも厚生労働省とか経済産業省とかの霞ヶ関の様式にあわせて県庁も市役所も組織になっています。

 そんなんじゃなくて市役所ぐらいは私たちの人生にあわせた、段階に応じた課(部署)であったらいい。ホテルによくありますなんでも相談できます人が、そこにいます。そういう組織。行政の考え方。政治の世界もそういう風に変える。根本的に変えなければ今は立ち行かないのではないか。そういう思いの投げかけなんですね。

 
西村 同じような質問です。われわれ市民の側からしますと「政治家はどうしてあんな大きな家に住んでいるのだろう?」「政治家はどうして自分のことしか考えないのか?」とか「どうして政治家は金儲けできるのか?」と批判をします。

 しかし政治家主催の国政報告会などをたまに聞きに行くこともあります。
国政の報告などでは「これこれの道路をこしらえました。どこどこの地域に国の交付金を取り付けました。」という「成果を誇示する」説明があるのが普通のようです。そういう説明を聞かないと市民は納得しないようですし。

 有権者としては「地域に公共事業をたくさんもってきてくれ」と言うし、市民としては「政治家は自分のことしか考えないのではないか」とも言います。市民であり油研社の側が矛盾しています。

 お立場上困っておられると思いますがそのあたりの聴衆の反応とか。最近の政治の動き。あるいは国政の動きなど。かなり市民というか有権者の意識は変わってきたのでしょうか?

福井 9年前に第1声を上げたときはすごい熱い思いがありました。お互いに、僕自身がすべて考えたわけではなくて、皆さんと一緒に話したことをだんだん昇華して言って水蒸気になったんが「心の自由民権」というものです。

 そういう意味から言いますと高知県民はひじょうに進んでいるんですよ。ただそれは「潜在意識」なんですね。それをはっきり意識として顕在化して、表面に出てきて、だからこういう考えだ。と意識にのぼるというところまでは高知県民もそうだし、ましては日本国民全体はいっていないです。

 私も行政にいましたから、けっして政治家は尊敬しておりませんし。尊敬していない政治家にどうしてなったの?と家族に言われたりして。ですから政治家になったつもりもなるつもりもないですけれども。志はそういう日本全体を変えるとか。日本が世界に恥ずかしくない国にするとか。

 文化をつくる。ということをずっと都市計画をしてきましたので。文化をつくる。歴史をつくる。そういうことを生涯の仕事にしようと。やっていました。

 政治でもヨーロッパの政治家はほんの一言で、文化的知性と教養を感じさせることがあります。バチと言ったりします。そういう発言をする政治家は未だかつて日本にはいませんでした。

 あるいはパリの大改造をしたのは政治家の発想、デザインでやったのだけれどもそういう政治家は日本にはいません。

 戦前に後藤新平という人がいました。歴史的にはただ1人だけです。そういう意味で知性と教養。文化をつくるという様な政治家が1人でも2人でも出てきたら最高ですし。

 私の訴える「心の自由民権」というのは人の幸せとはなにかだけを毎日24時間考える政治家がもし100人いたら、抜本的に日本は変わります。

 幸せとは何かを考えず。なにも考えないでずっとこの100年間来ました。だから根本的な目的意識を持つことが未だにない。と感じています。

西村 福井さんは「私の政治信条」のなかで「ユーバーポリテック」=超政治、次世代のための政治。哲学・思想・歴史観・宗教性・時代認識・長期展望を備えた政治と言われています。

 それはグローバルな観点から、ローカルのことを考えることなのでしょうか?
 福井さんとは考え方が違うかもしれません。
 昔石橋湛山という政治家がいましたが、宗教家であり、エコノミストであり、「小日本主義」という大局観がありました。植民地主義を放棄しアジアの国々と共存して反映する展望をきちんと持っていました。
 自由民権運動の先駆者を先祖に持つ高知県民は「ないものねだり」をせず高貴な目的を持って活動をしようよということなのでしょうか?
 高知県民は潜在意識で高貴な目的があるとのことでしたが、表に出てくる兆候は出てきたと思われますか?

福井 十分出てきていると思います。
 こんなことを言いますといつも怒られています。政治の世界には「階層」があります。

 まず「選挙のレベル」があります。次に「政局のレベル」があります。この前の国会のような。それから「政策のレベル」があります。その次に「政治のレベル」があって、その次に「「ユーバーポリテックというレベル」−大政治という歴史認識があります。

 私たちが付き合っている政治家の人たちは、殆ど選挙のことしか考えていない人たちとしか付き合っていない。ということですね。
 
 今変わりつつあるのは「環境」です。2人の話は共通しています。地球環境で自分を見つめ直すこと。日本人が世界に誇れることは「自然との一体感」です。

 今分子生物学で60兆個の人間の細胞があります。100兆個の微生物がいて、長くても半年。早ければ3ヶ月くらいで酸素も炭素も水素も私たちの体の中で入れ替わります。

 だから食べるのです。食べたものはすべてわたしたちの血になり、肉になり脳細胞になり、すべての細胞になります。それで入れ替わったものが便や尿や汗で排泄されます。半年前の自分と今の自分とは分子レベルでは全然違います。なにも残っていない。すべて風になっている。

 これが自然との一体感を日本人は持っている。だから地球を大事にする。家族を大事にする。地域を大事にするのです。そういう発想は欧米人にはないのです。

西村 2000年以降日本の自殺者は3万人を越えています。少子高齢化社会で人口減少になっている日本で自殺者の数が減らないのはなぜなのでしょうか?
 小泉内閣の構造改革により「格差社会」がより大きくなったからなのではないのでしょうか?3万人の自殺者の数は異常であると思います。

福井 異常事態です。3万人の下にピラミッドがあります。うつ病の方が30万人。うつ病予備軍が300万人。日々苦しんでいる人が3000万人。そういう大きな山があり、水面上に出てきているのが3万人ということです。

 ですから何千万人という人々の心が病んでいるのですね。と言うのは最初の話しに、戻りますが、「思いやり」とか「尊厳」とか、日本人が農耕民族としてずっとしてきたここと。助け合って生きてきている。助け合いいつくしみあい共同して働いて、同じ分け前で暮らしていた。

 そういう農耕民族としての暮らし方が、小泉ー竹中路線の「新自由主義」のリベラリズムでぶち壊されました。それで格差が出てきました。それで心が病んでいる。というのはまさに至言だと思います。そのとうりだと思います。

 ですから自殺者対策とか、うつ病対策とかなんかではなくって、今の私たちの暮らし方の根本原理というものをもう一回見つめなおして、日本人の良さは、「一緒に助け合って生きていくんだ。」と。同じ分け前で生きていくんだと。

 それは社会主義だと言われようが、そうなのです。

西村 それは以前福井さんが言われていた「ソーシャル・キャピタル」という考え方でしょうか?いわゆる共同体意識でしょうか?

福井 共同体ですね。

西村 僕らも中途半端にしか習いませんでしたが「ゲマインシャフトとかゲゼルシャフト」とか。ゲマインシャフトのようなものでしょうか。

福井 中国人の諺に「日本人に気をつけろ。社会主義者になってしまうぞ。」というのがあります。それぐらい世界では日本は「社会主義国」だったと。
 つまりいかに平等に「分け前」をもらっていたか。かつての日本。つい20年前、10年前までの日本です。

 それはつい30年前、40年前までは福井さんの田んぼもご近所全部が出て、田植をし、稲刈りをした。同じ分け前で、同じ所得で。助け合って生きてきました。というのが日本民族の原点です。その生き方を忘れてはいけません。

西村 ユニバーサルな社会の実現は可能なのでしょうか?そのためには市民1人1人が差別も偏見ももたないユニバーサルな考え方にならないと実現しないのではないのでしょうか?

そのあたりはどのようにお考えになるのでしょうか?

福井 ユニバーサル・デザインの根本はそれこそ、普段の普通の人がいかにラクチンで、気持ちいいなというデザインができるかということです。
 道路にしてもLRTにしてもそういうことだと思います。

 ですから原点で、いかなる人も同じように、同じような気持ちで、造ったりできるかというふうなことです。

 すべてのひとが共同して、ソーシャル・キャピタルですね。すべてのひとが参加して同じ喜びを味わえるような。そんな場をどうやってつくれるのか。それがユニバーサル・デザインです。

西村 先日も福井さんは高知福祉機器展も見学行かれたようですね。人間の尊厳を保つための福祉機器とか。機器をいろいろ体験されたうようですが・・。

 そのあたりの感想などはいかがでしょうか?

福井 個人的にはいろいろ失敗したことがありました。車椅子をエスカレーターに乗せる機械をつくろうと思ったりしていました。本当に難しいんですよ。

 ものすごく微細な技術が必要で、遅々として完璧にならないのです。実際開発に携われておられる技術の方々は頑張っても誰が乗ってもスムーズに行くなと。

 恐怖感もないような。是非設計をしてもらいたいとおもいます。