どうなった?坂の上の雲のまちづくり

 今日のテーマは「どうなった?坂の上の雲のまちづくり」です。このテーマ以前にも取り上げました。愛媛県松山市は人口475000人の四国一の都市です。松山市長の中村時広氏は、就任以来「坂の上の雲のまちづくり」を都市政策の基本理念としてきました。司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」。明治時代の松山を舞台に、正岡子規と秋山兄弟の友情が描かれています。生前司馬氏はこの小説のドラマ化、映画化は絶対にしないと言われていました。具体的に松山市の都市形成にどのような影響を与えているのでしょうか?

1)松山空港近く、重信川近くに「坊ちゃんスタジアム」が完成しました。夜間照 明もある3万人収容の野球場です。野球という言葉をベースボールから造語し た正岡子規。彼の友人で松山に教師として滞在した夏目漱石のゆかりのネーミ ングでした。昨年はプロ野球のオールスター戦が開催されました。

2)伊予鉄道にも協力して、路面電車軌道に、道後温泉から、松山市駅まで「坊ち ゃん列車」を走行させました。第一号の乗客はマラソンの高橋尚子さんと小出 監督。マドンナのスタイルをして高橋さんが乗られた列車は今も人気です。

3)子規堂、ロシア兵士の墓地、秋山兄弟の記念碑、道後温泉本館など松山市に は、ゆかりの施設が散在しています。市長の方針は大きな箱物に記念館をこし らえないと発言しています。

* 「貧しかったけれど人々が国の未来を信じて懸命に生きた時代」「坂道を上る と苦しいけれど、大きな雲を見ると困難をやり遂げた満足感とまたやる気が出 る」そうしたメッセージを司馬遼太郎氏は日本人に送りました。

*晩年司馬氏は「この国のかたち」というエッセーと対話集で、現代日本の情けな さを警告しています。松山市は司馬遼太郎氏の精神を活かすまちどくりをして います。

* 都市自体が教育現場である。そうした気概を松山市の都市づくりから伺えま す。中村市長の思いはそういうところにあるなと思いました。

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2002年3月1日