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竹内隆志さん
竹内隆志さん 昭和29年生まれ  (経歴は本人サイトより)

家族の勧めで工業高校に入学。
成績はトップでストレートに工業大学に推薦入学の勧めもあったが、自己の
適性が合わないことから1年間浪人し、わざわざ苦難の道を選び
大学は経済学部に入学。

大学では勉強よりもバンドに没頭。
成績はまずまずだったが意地の悪い教授の法律科目を選んだのが裏目に。
就職先の内定もあったが1単位足りないばかりに1年留年。
さらに苦難の道を歩む。この間アルバイトで食い繋ぐ。

大学を卒業後20年余り、とある商工会の経営指導員として勤務。
地域では身近な相談相手として頼られていた。
町のイメージソングの作詞大賞に入賞。イベントでその曲を演奏するなど
学生時代続けていたバンド活動で培った才能を町おこしにもいかす。

町の新たなイベントも企画し実行委員会の事務局として裏方を担う。
この頃青年部など若手経営者との交流も熱心に行い、打合せ会の後は
高知の飲み屋へ直行。仕事も遊びも楽しかった時代である。

商工会へ天下ってきた給料泥棒の事務局長と再三意見が対立し不仲に。
仕事がやりづらくなり、かねてからの独立志向もあり退職を決意。
またまた苦難の道を歩むこととなる。

社労士・行政書士の資格と経営指導員の業務をとおして得た幅広い知識と
経験をもとに平成13年4月「たけうち経営労務事務所」を開業。
さらに苦難の道は続く。

労働局で相談員として労働者の解雇や賃金不払いなどの相談に
あたるうち、労働問題に強い社労士になろうと決意。
ホームページのドメインも「労働ドットコム」に。

リストラで解雇された中高年の再就職支援の業務を依頼され相談を受ける
うちにキャリア・カウンセラーという仕事と領域を知る。
さらに活動を広げるためNPO法人を中心となって設立。

県が設置した若者のための就職支援のジョブカフェの初代センター長に就任。
積極的に事業を展開し活動を活発に行った結果、講演の依頼や新聞やテレビ
ラジオなどでも再三取材を受け、一定の評価を受ける。

一瞬成功を収めたかのように見えたが、妬みと追い落としにあい、さらに
苦難の道を歩むこととなる。

 
 竹内隆志さんとの出会いは1986年になります。当時は夜須町商工会の経営指導員をされておられました。わたしは高知青年会議所に入会したばかりで、翌年は初めて理事になり夜須町をテーマにしたまちづくりの委員会「高知の海と街を愛する委員会」の委員長になりました。それで夜須町のリーダーの若手を訪問したなかで出会ったのでした。  「海洋連続セミナー」として開催、副委員長であった横山明さんに助けられ、夜須町商工会青年部長であった丸岡克典さんと連携した活動を行いました。そして1987年にはセミナーの講師をしていただきました安岡正博さんの先導で、米国西海岸(1987年)、米国東海岸(1989年)へも一緒に研修旅行に行きました。
 「富士通コンコードジャズフェスティバル」も夜須町公民館で最近は開催されるようになりましたが、地元での主催者である青山清水さんと、商工会を訪ね協力いただいたこともありました。
 事情があって2000年に退職されたので、暫く交流がありませんでしたが、竹内さんがパソコンやインターネットの技術者であることを聞きました。ちょうど会社のホームページを作成したかったこともあり、個人指導もしていただきました。パソコンとホームページの師匠は竹内隆志さんです。

 様々な資格も取得されています。blogもSkypeもXoopsも見つけられ、「実用」として使いこなす能力のある人です。ジョブカフェもキャリアコンサルタントもそうです。竹内隆志さんいは「時代を読む力」が備わっています。
 最近はあまりにご多忙すぎるのが心配です。同世代ですから「立派な中高年」。体と心に相談しながら無理なく先端の仕事をやりきっていただきたいです。
竹内隆志さんの番組での発言は こちら  から
竹内隆志さんの 関連ホームページは こちら
 
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