高知城及び高知城周辺景観形成について
 
都市プランナー 香取千光
 
 先の平成16年9月16日の高知新聞夕刊に,高知城の見えるまちづくりの記事が掲載されておりましたが,見られた方も多く,そのことに関し様々な思いがあったのではないかと思います。
説明会においては,景観保全には賛成との声が多くあったようです。記事を見た方々も賛同される方が多いのではないかと思われます。
では,お城が見えるということで,何から進めるべきかとなった場合の方法論について皆さんに協力をお願いしたいと思います。
 現在では,建物も高層化し,特に,お城周辺では公共機関と共に業務系の業種が集積し,建物は高層化され,お城が見えるところも少なくなって来ています。
また,見えるであろう場所からでも,お城の樹木に遮られて見えない状況です。
高知城を積極的に見せるためには,樹木を一定整理することが求められます。
高知市五台山山頂展望台から高知市を望む。地方都市でありましても高層ビルが林立、高知城を眺めることは出来ません。
 三の丸までは,緑地としての機能を果たす意味からも現在の植生を保全する必要がありますが,それにおいても,剪定等は実施する必要があります。
三の丸以上については,移植や剪定,伐採を行い,天守閣を積極的に見せるようにすべきです。
 

 一昔前に,河川などがカミソリ護岸により,市民の視界から水面が姿を消し,水質が悪化し,ゴミ捨て場と化したことは,改めて説明するまでもなく,視覚に入らなくなった水面を気に留めることがなくなったことで,水質の汚濁が益々ひどくなった経緯があります。
このことと同様に,お城が見えないことで,当然意識されることも少なくなり,益々見えなくなって行くように思われます。
多くの市民は,樹木の生長が徐々に進み,気がついた時には,お城が見えなくなっていたということではないかと思われます。


 これは古くから遠くの緑などを取り入れる借景という技法があり,お城が見えるようになれば,それを借景する建物も出てくるのではないか。それが,一つの方向性を与えるとすれば,まちの景観は秩序付けられて来るのではないかと期待されるところでもあります。
その意味からも,対象物の側も見せる努力を払う必要があると思います。

世界遺産にも登録されました姫路城。香取千光氏が言われるように、石垣まで見えるようですすと、「ランドマーク」としてお城が際立ちますね。
 

 しかしながら,一部の市民からは,樹木を整理しようとすると,自然保護や環境保全の名の元に樹木の整理に理解を示そうとしない方がいるのも確かです。
樹木には,適度の剪定を行うことは活力を与えることとなるなどの効用もあります。
また,樹木の生長により,石垣が孕むなどの影響を与えている場所も見受けられ,そのような場所での樹木は,移植や伐採を積極的に行う必要があります。それをしなければ,石垣もやがては崩壊の危機にさらされることになりかねません。


 さらには,一定の景観を維持しようとすれば,樹木の剪定などは当然のことであり,例えば,自宅の庭木のことを考えていただければ一目瞭然ではないかと思います。
平成16年3月高知県教育委員会は,高知公園整備基本計画を策定し,県庁まで移転するとの記事が高知新聞に掲載されておりました。

 是非,高知県には,景観形成に向けた取組みとして,高知のランドマークとしての高知城をもっと見せるようにして頂きたいものです。
高知公園は,明治6年の太政官布告により高知城を公園と定めて以来,市民の憩いの場として,また歴史的な施設として,市民に親しまれ,特に春の花見シーズンは,市民の花見の場所としてもにぎわいを見せ,三の丸の桜については,市民権を獲得していると言えます。


 二の丸への西側のスロープは,公園として整備された当時につくられたもので,創建当時には無かった道です。その上がり詰めには乾櫓があったようです。できれば,そのような櫓も再現できれば結構なことですが,財政的にも困難性があり,歴史家などから時代考証などでクレームが付くこと請け合いですので,まずは,お城を見せることから始めて頂きたいと思います。

 お城の樹木も年々伸長し,お城を見えなくしていることから,市民も,樹木の整理には理解をしなければならないと思います。
お城も創建当時は,樹木は少なかったことは想像にかたくないところであり,積極的に植栽したのは,庭園としての樹木であったと思われます。
景観的には,樹木は植えれば良いというものではありません。現在の都市緑化においても場所によっては,死角が出来,防犯面での問題や交通事故の要因ともなりかねないケースも見受けられます。やはり,植栽にも,「どう見せるのか」「どう修景する(隠す)のか」を考慮すべきです。

 

 お城の樹木を整理した事例には,丸亀城があります。石垣を見せるように,樹木を一定整理したことで,JR丸亀駅からも非常に存在感のある石垣が見えるようになっております。しかしながら,石垣の上部にあるはずの矢狭間塀が撤去されているために,石垣の上に天守閣が取って付けたように見え,何かバランスが崩れているようにも感じます。


 高知城では,二の丸にも,本丸のような矢狭間塀が再現できれば,城の存在感も増幅すると思われます。現状では,矢狭間塀のあるべき石垣の上部に柵として有刺鉄線が張り巡らされており,下手をすれば,観光客にもケガをさせかねない状況です。
矢狭間塀に代わる生垣においても,棘のある柑橘類の樹木が植栽されており,訪れる者に刺さることもあるのではないかと危惧されます。

 築城時,一番景観を意識されたところは,やはり追手筋からの視線であったと思われます。戦国の城から政治的な城へと変わって行った中での築城であり,如何に見せるかに細心の注意が注がれたと思われ,それが,「ひろめ」であったのではないかと思われます。現在でも,「ひろめ」といわれる場所から追手門を越しに天守閣を望むアングルが一番きれいと言われております。その延長線上にあるのが追手筋であり,そこからも出来るだけ,お城が見えるようにすべきではないでしょうか。それも通りの全てから見せるのではなく,所々で見えるように出来ればと思います。

高知市追手筋から高知城を望む。

右手に見える時計台の建物は県立高知追手前高校。露店は日曜市。300年以上前からお城とともに街路市はありました。

 香取千光氏が言われるように、この追手筋からの眺望を一番意識して高知城は建築されたと思いますね。

 しかし現実には見えるであろうところでも,樹木が邪魔になり,視界を遮っております。
景観演出からは,通りでは隠して,追手門前に来てはじめて景観が開け,そこでお城を見せるというのも演出効果はあるかとは思います。しかし,通りの途中で遠景として見せることも有効であると思います。
 築城時代の地割りでは,「ひろめ」に至るまでの道路はそれほど広くはなく,やはり,演出効果をねらったものと考えられます。
現在の追手筋の所々から,お城が見えるようにするためには,クスノキなどの頂部の剪定をすべきであると思います。また,西側の城西公園からも天守閣が見えるようにしたいものです。
以上のことを要約しますと,

1)お城を周囲から見せるため,お城の樹木の移植・剪定,伐採を実施する。

2)二の丸への矢狭間塀を再現する。

3)追手筋の所々からもお城が見えるように,楠などの頂部を剪定する。

4)環境保護を唱える方に対し,樹木整理への理解を求める。

ということになります。

 


 このようなことについて,新聞等に投稿し,高知城を見えるよう,管理者である高知県に県民の意志表示としての働きかけをすると共に,見せるための樹木の整理に,市民・県民は理解をしているということをお示し頂きたいと思います。
是非ともご賛同いただき,新聞の「読者の広場」などへの投稿をお願い致します。
ちなみに,高知新聞には,投稿による「読者の広場」と電話による「読者の声」があるようです。その他,ネットでの掲載や,口コミでの紹介をお願い致します。

以上,高知城が見えるまちづくり特定県民より。