神戸市長田区住民交流会 参加者の感想文
 
 2008年10月5日二葉町を出発。神戸市長田区鷹取町の人たちとの交流会に出席した参加者からの感想文です。
 
*過日は大変お世話になりまして、ありがとうございました。車中のビデオ、防災センターでの見学など。 想像を絶する地震の恐ろしさに只只びっくり・・・。 長田の方々の生の震災体験談。淡々と語って下さいましたが、当日自分も一緒に居たような緊張を覚えました。皆様が苦難を乗り越え、協力しあい前向きに頑張っていらっしゃることに感動いたしました。
 今回勉強させていただいたことを我家、ご近所へと広めて行きたい。まずは自分の命を守ること。減災について・・。常に心がけたいと思いました。
(森田美代)
*一瞬にして建物や道路が破壊され、大勢の命が奪われた未曾有の大惨事を映像や体験談を通じて見聞きしました。それは正しく衝撃的でした。
 テレビや新聞の報道では見ていましたが、実際に現地で生の話を聞き映像を見ますと想像以上でした。全てが破壊される最も恐ろしい災害だと思いました。
 地震はいつくるか全く分からない。漠然といつかは来るかも知れないと思っていても、それに対して充分な備えをしている人は僅かしかいないと思われる。

今回の交流会を通じて、地震はある日予告無しに突然襲って来るものである事。被害を最小限に抑えるのは日頃の備えを十分に行う、訓練の実施、近隣とのコミュニケーションを図っておかないと、いざとなった時に間に合わないと感じました。
 まず、意識を変えて人ごとではなく我が身の事として危機感を持ち、「備えあれば憂いなし」日頃から倒壊防止や非常持ち出し品の装備、備蓄を十分に行う様、自身に言い聞かせてきました。
 又、地震津波を想定した避難訓練やシュミレーションを行っておくことも大切で、近隣とのご挨拶の励行でコミュニケーションを図っていきたいと思いました。大変身のある研修でした。

(阿部恭子 阿部久美恵)
   
*震災時の火災の様子(家庭用クーラーガス。灯油等により火の勢いが増す事)家屋の倒壊による人力の無力さ等、改めて認識させられた事でした。
 阪神淡路大震災による尊い犠牲の上に今の(今後の)活動が活かされている事がよく解りました。
 被災者の中には建てた家が倒れなかっても、火災にあい、早期に元の場所に建てられたのに、地区画整理で」、もう1度建てかえられた話には、本当にお気の毒としか思えませんでした。
 各地の災害が伝えられるたび、「あ、またか。」位の他人事でしかなく、お付き合い程度の寄付を出す位しか認識がなかったのですが、当事者には初めての事であり、また何時くり返されるか分からないという不安をももっておられる様で「地震がくるくる」と言われ続けられている高知こそ、多くの人に認識してもらいたいと思った事でした。
 鷹取町の方々はいろいろ行事をされているようですが、費用というか町会費や寄付とか集めておいでなのでしょうか?
(近森美智子)
*阪神・淡路大震災記念館、人と防災未来センター。
 注目は、地震発生により倒壊していくビル・家屋・高速道路・鉄道等の様子を迫力ある大型映像によって伝える、1・17シアター。見た人でなければ解らない大地震の恐ろしさ、それに震災直後の破壊された街並みを模型で再現、震災の恐怖と脅威をリアルに伝え、市民の協力により沢山の震災関連の資料や写真等見学1時間が短い位でした。
 長田区の旭若松公会堂にて、長田区の鷹取商店街の皆様との交流会、鷹取商店街理事長の石井さんの、まず一声はH7年1月17日は思い出したくないがと、切り出されました、いかに震災が恐ろしいか、被災直後から現在まで本当に罹災者でなければ解らない命懸けの復興状況をお話して頂きました。
 一番印象に残ったのは、H7年1月17日午前5時46分ドンと音とともに大きく上下に揺れ、一瞬なにが起こったのか解らずに頭の中は真っ白になり、上から物は落ちるはタンスが倒れるは、きのみきのまま、暗い中をよつんばで外へ出て一命をとりとめたと恐怖を語られていました。
 なかでも、家の倒壊により家の下敷きになった人が助けて助けてと云っているのに、なにも道具がなく助ける事が出来ず火災で焼死された現場に遭遇された方、本当になまなましいお話しでした。
 それに長田地区は罹災で焼け野原になり地域住宅再建の難しい問題、被災者に対して土地を担保に融資を図るリバースモゲージ制度の利用条件のある事勉強になりました。
 ある日突然に発生する南海大地震、自然災害は避ける事は出来ませんが、備えあれば減災する事は出来ます。
(荒木三芳)
*感想文、ご意見が遅くなりすみません。

 現実に大地震というものに遭われた人たちには多くは語れない経験をされたようですね!あの防災追体験フロアにての経験も我が町内会も宮崎県知の言葉ではあにけれどけど、なんとかせにゃいかんと思いました。

 大きな災害が現実に起こってしまったら頭で勉強したことなんてなんにもならんのでしょうね!?体験してしまった人たちの教訓、やれたことなどを聞いてみると、やはり人頼み(行政などのこと)しないで近所の人たちで助け合わないといかねいと思いました。 この現実を町内で伝えることだけなのに何と難しいことか?隣人の助け合いがいちばん早く対応ができると学びましたことなどを熱く語っても話を聞いてくれてないのです。 誰も何もしてくれることもなく現実に南海地震が直撃するのに・・・
 今回の鷹取町の人たちとの交流会の体験を生かせるように努力しようと思っています。またこな機会があれば是非お誘いくださいませ。
 大変おそくなりましたことをお詫びいたします。

(中宝永町町内会会長 黒岩博)
 

*この度は、二葉町自主防再開のみなさんといっしょに研修会に参加させていただき、まことにありがとうございました。
 私自身は95年1月17日の震災の日から2週間後、当時高知生協病院の職員として、長田区にある同じ系列の神戸協同病院のボランティア活動に参加するために高知からワゴン車で看護士などを乗せ,向かったことが思い出されました。
 そのときは体育館など避難所へ支援物資を届けたり、御用聞きの活動を数日間行いました。体育館の足の踏み場もないプライバシーのない状況や、水の大切さ、薬がなく治療中断で病状が悪化した方がおいでたことが印象的でした。
 また震災後10年の節目には医学生や看護学生と一緒に長田区のほうへ聞きとり活動なども行いましたが、市内にたくさんある復興住宅では、ほとんどの住宅で飛び降り自殺や孤独氏が多発していることを聞き、建物や町並みは復興しても,住民のくらしの再建や心のケアについて深く考えさせられました。
 そして今回は3回目の長田区の訪問となりましたが、鷹取商店街振興会理事長の石井さんからは、「思い出したくない話だが・・」と切り出されたとき、辛い気持ちを乗り越えて私達に伝えてくれていることの有難さをまず感じました。行政はあてにならないと話されました。震災直後は自分の命は自分で守ることは当然であるとしても、復興については国の私有財産には補助しないという基本があるとはいえ、行政とかかわる仕事をしている自分にとって、住民の立場に立った復興支援を行う行政にしなくてはならないと思いました。

 石井さんの他、そうそうたる顔ぶれの報告者の方から短い時間(少しもったいないなかったです)でしたが、「防災福祉コミュニティ」「ミニコミュニティ」などのまちづくりの課題、「淡路島南部地域の津波対策」「リバースーゲージ制度」など今後の震災対策や議会活動の参考になるお話を聞くことができ、大変有意義でした。
 今後、南海地震に備え,亡くなる方を限りなくゼロに近づけ、「減災」のための施策の充実、国も含めた災害復興支援策を住民運動とともに作っていきたいと思います。また議会内では南海地震対策調査特別委員会だけではなく、全議員を対象に被災地の方の生の声を聞く機会を持つことも大切と感じました。
 二葉町のみなさんの自主防災会活動は県内の組織の模範となるような活動をされていると思います。地区内での行事などにもぜひ参加させていただき勉強させてください。今後ともどうぞご指導をよろしくお願いいたします。今後のみなさんの活動のますますの発展を祈念いたします。
(高知市議会議員 細木良)
 
   
*おしらせ (市民がつくる防災フォーラム) 
テーマ災害に負けないまちづくり。人づくり 
主催 第10回市民が作る防災フォーラム実行委  
場所 高知男女共同参画センターソーレ
日時2008年12月14日  AM11時〜16時30分
088−820−1540
   
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